まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

馬頭観音

石山観音万徳寺(群馬県伊勢崎市下触町)5

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 群馬県伊勢崎市の北西部、前橋市に近いところにお寺はありました。

 お寺専用の駐車場はありました。


 山門に掲げられた案内板によると、こちらの寺院の由緒は、次の通りです。
「上州石山観音 沿革
 嵯峨天皇代、弘法大師がこの地を巡錫(説法ながら各地を巡る)した折に聖観音像を一夜で厳頭に刻し二十一日間この石上で修法さる。(聖観音は三十三体観音の本尊、地獄道に堕ちた者を救う)
 その後、妙恵比丘がこの地に庵を造りお産、病苦、畜馬、畜牛に霊験を給わる。
 神鳳抄によれば平安朝代石山の荘園として領有三十町歩に及び、奈良時代延喜式による御牧等設けられると記さる。
 当山は北関東随一の馬頭観音で一名師子無畏観音とも云い、頭上に馬の頭を戴き畜生道に堕ちた者を救う。馬頭観音を心中で想い、口で念ずると四十里以内に不魔諸々の鬼神がいなくなり罪障消滅、多くの福を得ると云う。

鐘楼堂
 元亀年間、赤堀城城主秀綱が主家の追福と乗馬の安泰を祈念して寄進さる。

大鰐口(金鼓)
 参詣者が鰐口を鳴らして下をくぐれば人馬の障りを除き、馬が戦場でも大砲や爆音にも驚かず流弾が当たらず運送にも事故がないと云う。直径一丈近く天明年間死者の鎮魂供養として近郊信者の寄進による。

仁王像(金剛力士)
 五百の夜叉神(天夜叉、地夜叉、虚空夜叉)を使役し千の仏の法を護る金剛神なり。阿吽の二体の守護神なり。阿像は密跡金剛で智慧福徳を具う、吽像は那羅延金剛で力量は虚像の七倍の力あり理性と福徳を具う。当山の彫刻者は雲慶作(運慶の略号とも云う)鎌倉時代の作とも。

金毘羅宮
 お堂の西にあり仏教では薬師十二神将の一体で宮比羅大将と云い『鰐(ワニ)』を祭主、金毘羅大権現と云う海上では船旅の守護神、陸では良運の神なり。
 この境内は以前『昼尚暗(ひるなおくら)き』と云われ杉松の茂った期に国定忠治が仲人となり大前田一家と九宮一家の手打式は有名で、人は縁結びの観音と呼ぶ。

石の大鳥居
 入り口にあり天の像で天門と云う。天照大神が石窟にお籠りになられた時八百万神(やおよろずのかみ)が出御を祈り、木を石戸の前に建て鳥を止まらせて鳴かせた。この木が鳥居の始まりなり。当山の鳥居は本地垂迹の説(神仏混合)による。

塁岩と出羽三山
 堂の裏の岩は赤城の火山岩で、昔地殻変動により岩盤隆起と長い年月雨水の為この岩が露出さる。

帝釈天
 ヒンズーの神の中で最高と云う人類を護る堂の鬼門除けに羽黒山、湯殿山、月山を祭る。
堂の南側の八海山大神は東西南北とその四隅を祭る縁起のよい神と云う。

百体庚申塔(豊作の神)
 猿田彦神の化生。道教の教えによれば人間の体内にいる虫(三尸蟲・さんしちゅう)が庚申の日の夜、その人の悪事を天帝に密告すると云う。よって密告されないように夜を明かして庚申様を祭った。仏家では帝釈天と青面金剛(堂内にある)とを祭った。

水子地蔵(水子霊を救い代受苦の菩薩)

蒋総統の顕彰碑
 第二次世界大戦後、日本が4つに分断されるのを防ぎ国民に安心感を与えた名将なり。生国の中国に向け建立す。 」


 こちらの寺院は、石山霊園の隣にあるといった感じです。実質「石山霊園管理事務所」が維持管理しています。
 
 道路沿いです。
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 鳥居がありました。
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 山門になります。
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 由緒が書かれた案内板。
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 鰐口
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 鐘楼堂
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 鐘楼がない・・・

 観音堂には「馬頭観音」が祀られていました。
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 上州三十三観音霊場十二番札所になります。

 御朱印は、石山霊園管理事務所で頂けます。御朱印代は300円です。
 霊園管理事務所までは写真を左へ行くと山門がありますが、右へ行くと管理事務所があります。
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 右の道を進んでいくと霊園の管理事務所があります。
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 1月18日は、祈祷祈願が行われるそうです。
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 家内安全や交通安全の祈祷祈願が受けられます。祈祷料は3,000円です。




寺院名:観音山 北野院 万徳寺
所在地:群馬県伊勢崎市下触町4番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:馬頭観音
通 称:石山観音
札所等:上州三十三観音霊場 十二番札所
御詠歌:玉とむすび 蓮葉におきたる 露の一雫 ながきは人の願いにて 短きものは命なり

多氣山不動寺持宝院 北関東不動尊霊場(栃木県宇都宮市田下町)5

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 栃木県宇都宮市の西部にお寺はありました。

 最寄り駅は、JR宇都宮線・日光線「宇都宮駅」、もしくは東武宇都宮線「東武宇都宮駅」になります。
 徒歩でお寺まで行くのは無理ですので、バスをご利用ください。両駅から「立岩」バス停行きに乗り、「大谷観音」バス停下車、徒歩約30分になります。ちなみに大谷観音バス停の一つ前が「切通し」、二つ手前が「大谷橋」バス停になります。
 もしくは、「鹿沼営業所」行きのバス停に乗り、「田野町」バス停下車、少し歩きます。

 お寺専用駐車場はありました。自動車は、かなりの台数が停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(雄山閣出版刊『日本名刹大事典』による)。
「真言宗智山派、多気山、持宝院。本尊は不動明王。開山は勝道の弟子尊鎮。
 本院縁起によれば、宇都宮氏の始祖宗円が不動明王を奉じ、東国に下り氏家勝山に国家安穏の護摩壇を構え、五大明王の秘法を修めたという。宗円はこののち康平七年(1064)この地に伽藍したという。長治二年(1105)氏家勝山の伽藍が焼失し、宇都宮宗綱は霊験あらたかな不動明王を多気山に移し本尊を祀った。
 寺領十五石。
 のち宇都宮歴代城主の信仰あつく祈願所となった。」

 また、下野新聞社刊塙静夫著「とちぎの社寺散歩」よると次の通りです(一部抜粋)。
「(前略)
 当寺は、通称『多気さん』とか『多気の不動尊』といわれ、四季をとおして参詣者が多く、とくに正月中は大混雑し、参道脇は車でうめつくされる。
 寺伝によれば、弘仁十三年(822)、日光を開いた勝道上人の門弟尊鎮が馬頭観音を本尊として開山したという。その後寺の歩みについつは明かでないが、長治二年(1105)、宇都宮二代城主宗綱が勝山城(現・氏家町氏家)内の明王堂に安置してあった不動明王像を当寺に移して本尊にしたという。一説にはこの仏像を移したのは、建武二年(1335)、宇都宮九代城主公綱のときであるともいう。
 伝承によれば、この不動明王像は、藤原宗円(宇都宮氏の祖という)前九年の役(1051〜1062)のさい、源頼義にしたがって下向のときに捧持し、勝山で朝敵調伏(調伏とは悪を打破すること。とくに密教で五大明王などを本尊として怨敵を降伏させること)の壇をかまえて戦勝を祈願したものという。
 この本尊は、現在不動明王坐像(市指定)として本堂(不動堂)の奥に安置されている。高さ1.73辰隆麑畋い蚤枡發法惺応元年(1389)己巳十月廿六日』に修復した墨書銘がある。像は忿怒の形相(表情)をとっているが、顔面筋肉のはれ膨れや隆起などはみられず、力を内に秘めた成田山新勝寺(成田市)の不動明王像に似ている。平安時代末期ので、今では火よけ・商売繁盛の不動尊として信仰されている。
 山門をくぐり、136段のきつい石段をのぼると、右側に本堂(不動堂)があり、その左手に祭神殿がある。この裏側一帯は多気山持宝院社叢(市指定)として特別に保護されている。この社叢は、わが国の暖帯林の縁に位置する樹林として学術的な価値が高く、アラカシ・ウラジロガシ・ツクバネガシなどのカシ類と、ヤブツバキ・ヒサカキ・ヤマザクラ・ヤマモミジ・イタビカズラ等が茂っている。
(後略)」


 宇都宮市といっても市街地からかなり外れていますので、周辺は山の中といった感じでした。
 緑が多いので、春先から紅葉の時期の参拝をお薦めします。

 交通安全祈祷殿になります。
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 先に進むと山門がありました。
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 右側には本坊がありました。
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 急な石段を上がっていきます。
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 石段を上がり、境内にはいると本堂と大師堂がありました。
本堂
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歳神堂
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神楽殿かと思いましたが…

 大師堂
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 本堂は不動明王、大師堂は弘法大師と馬頭観音・如意輪観音が祀られています。不動明王は北関東三十六不動尊霊場、馬頭観音は下野三十三観音霊場の札所本尊になります。
 ちょうど本堂では護摩祈祷が始まるところでした。開始の合図が法螺貝でした(´・ω・`)

 御朱印は、境内の右側にある授与所で頂けました。
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 「不動明王(2種類)」・「寿老人」・「馬頭観音」の4種類になります。御朱印代は各300円(納経帳)、500円(北関東三十六不動尊霊場納経軸)です。

 御守りや御札といった授与品はありました。

 多気不動尊から「大谷観音(坂東三十三観音霊場十九番札所)」まで2匱紊覆里納動車でさほどかからないかと思われます。






寺院名:多氣山 不動寺 持宝院
所在地:栃木県宇都宮市田下町563番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:不動明王
通 称:多氣不動尊
札所等:北関東三十六不動尊霊場 十八番札所
    下野三十三観音霊場 別格霊場
    下野七福神 寿老人
御詠歌:あらたかや 願いをさずく 不動尊 衆生守る 多気のみ山

駒形神社(群馬県前橋市)4

群馬県前橋市にある「駒形神社」に参拝してきました。

前橋市の東部、伊勢崎市や高崎市にも近いところに鎮座していました。

以前の参拝日記⇒こちら


こちらの神社の由緒は次の通りです(案内板より)。
「本社の鎮座するこの地は古くは利根川本流の西岸に位置し、広漢たる原野の中に駒形社一社のみあり、駒形大明神と称し、祭神に保食命で、食糧、農耕守護の神として信仰された。
上野名跡考では『駒形とは野の神、山の神、水の神、土の神の社地より準き土を採り、駒形を造り野馬守護のためこの四神を祀る』と誌す。境内は馬蹄形をなし源頼朝の愛馬『磨墨』の蹄と伝えられるものが御神体の一部にある。
勧請年月は、元亀元年と伝えられる。
『上野国郡村誌』
神仏混有時代は小屋原町の天台宗泉蔵寺に属していたが、慶安年間(1650年)項束善養寺村(現前橋市東善町)より数戸、この地へ移転して以来漸次戸数の増加により社殿を改築し、別当『山伏修験本明院』を設け駒形の氏神とした。
社殿は宝暦七年(1752年)に改築したが現在のものは明治三十八年十月の新築である。
明治四十年十二月本社境内末社三社(八坂社、稲荷社、秋葉社)並びに町内字東高島鎮座琴平神と、その境内末社四社(八坂社、稲荷社、秋葉社、菅原社)及び町内字桃井鎮座の雷電神社と、その境内末社三社(八坂社、三峯社、諏訪社)を駒形神社に合併した。
大正三年十月九日、群馬県より神饌幣帛料供進神社に指定され村社となる。
昭和二十年神社官制廃止に伴い、同年十二月『宗教法人駒形神社』となる。」


1月1日に参拝してきました。
初詣の参拝客が多かったです。

二の鳥居になります。
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その脇には、社号標がありました。
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何だか可愛らしい文字です。

境内に入ります。

参道を進みます。
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狛犬がいらっしゃいました。
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意外といかつい顔です。

こちらが神楽殿になります。
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どんな神楽が舞われるのでしょうか?

庚申塔や馬頭観音の碑がありました。
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何だか神仏習合的な感じがします。

社殿になります。
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そんなに大きな社殿ではありません。
参拝客で列を作っています。
地域の方々に親しまれている神社なんですね。
授与所前でも御守りや御札を頂く方が多いです。続きを読む

間野谷稲荷神社(群馬県伊勢崎市)3

群馬県伊勢崎市間野谷に鎮座にする「稲荷神社」に参拝してきました。
便宜上、間野谷に鎮座しているので「間野谷稲荷神社」と呼ばせていただきます。

伊勢崎市の中でも北東部にあり、みどり市笠懸町に近いところにありました。
国道50号線からも神社は見えます。

最寄り駅は、JR両毛線「国定駅」と「岩宿駅」になりますが、両駅からかなら遠いです。

駐車場は、見当たりませんでした。
自動車は、神社の西側に数台停められそうです。


こちらの神社の由緒は以下の通りです。(群馬県神社庁伊勢崎佐波支部著 伊勢崎佐波の神社誌)
「当社の創建年代は不祥だが、赤堀十ヶ村の領主上野介景秀がこの地を統治するに及び、山城国の伏見稲荷神社より御分霊を迎えて鎮座式を行ない、氏子の生産安穏を祈ったと伝えられる。」


こちらが鳥居になります。
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鳥居に掲げられていた扁額です。
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「正一位稲荷大明神」と刻まれています。

石段を上がり、境内に入ります。

両サイドには、狐様がいらっしゃいました。
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稲荷神社には必ず居なければなりません。

こちらが社号標になります。
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旧社格が村社になるんですね。
木に隠れて、見ずらいです。

境内に入り、正面には社殿がありました。
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何だか曹洞宗系のお寺の本堂かと思いました。
祀られているのは保食神(うけもちのかみ)になります。
ガラス越しに中を覗き込みましたが、何だか集会所みたいな感じで、社殿のような雰囲気は感じられませんでした。
本殿は囲われており、わかりません。

境内には碑がありました。
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こんもりした上にありましたが、どうしたんでしょうか?
お隣の木は、ご神木なんでしょうか?

境内には、由緒を記す案内板は全くありませんでした。
普段は、参拝者はいらっしゃらないのでしょう。続きを読む

米珠山 多聞院 吉祥寺(群馬県太田市)4

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群馬県太田市にある「米珠山 多聞院 吉祥寺」に参拝してきました。
高野山真言宗に属するお寺になります。

太田市の南部、住宅地の真ん中にお寺はあります。

駐車場は、入り口の前にありました。
自動車は、5台位は停められそうです。


寺伝によると、
「建治年間(1275〜1278)に叡範上人が開創し、宝暦二年(1752)頃に火災で伽藍と古文書が失われ、詳細は不明です。
安永四年(1775)には本堂の再建されました。」
なんとも変哲もない由緒ですが・・・


入口です。
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入口の両脇には、庚申塔や地蔵菩薩が祀られていました。
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また、六地蔵も祀られていました。
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地蔵菩薩が妙に多いな。

参道を進みます。
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山門です。
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山門を入り左側にあるのは、光明真言百萬遍供養塔があります。

また、毘沙門堂がありました。
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上州新四国八十八ヶ所の札所本尊である毘沙門天が祀られています。

こちらが本堂です。
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コンクリート製です。
関東八十八ヶ所の札所本尊「不動明王」が祀られています。続きを読む
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「社寺参詣道 代表師範」になります。

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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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