栃木県足利市の外れ、群馬県桐生市に近いところにお寺はありました。
最寄り駅は、JR両毛線「小俣駅」になります。徒歩ではかかりそうです。
お寺専用の駐車場はありました。自動車は数十台は停められそうです。
こちらの寺院の由緒は、次の通りです(東京堂出版『古寺名刹大辞典』による)。
「栃木県足利市小俣町2748。仏手山金剛王院と号す。真言宗豊山派に属していたが、戦後に一派独立して真言教団(真言宗鶏足寺派)の本山となった。真言教団は弘法大師、興教大師の垂訓にのっとり、慈猛上人の法脈を継承する。
その創建は平城天皇の勅を奉じた東寺の定恵により、さらに仁寿元年(851)に慈覚大師円仁が在住して現山院号を定めたとう。また天慶の乱(940ころ)に際して田原藤太秀郷が将門調伏の秘法を修せしめたところ、鶏足の吉瑞のあったことから現寺号を定めたともいう。元来は天台真言の顕密二教を兼修したが、文永年間(1264〜1275)に高野山金剛三昧院の意教上人頼賢の法弟慈猛が中興してからは、真言宗慈猛派の根本道場となった。室町時代には鑁阿寺とともに鎌倉鶴岡八幡宮の別当職を兼ねる大寺であった。戦国時代に上杉謙信の兵火に罹ったが、天正十九年(1591)に徳川家康の庇護を得て復興した。現在の堂宇は正徳三年(1713)の建立になる。
本尊は五大明王。
寺宝の梵鐘に『朱雀天皇の御願所、羽林中郎将帰依の地』とあり、羽林中郎将は平将門の父良将、または下野左近衛中将藤原公孝といわれる。」
また、蠑学館刊「佛教大事典」によると次の通りです。
「【鶏足寺】
真言教団の本山。栃木県足利市小俣。本尊は五大明王。
809年(大同四)東大寺定恵の創建で世尊寺と称したが、円仁が仏平山金剛王院と改めた。さらに平将門の乱に際し、藤原秀郷が常祐に調伏を行わせたとき、祈祷壇上に鶏の足跡がつき成就したので鶏足寺と改称したと伝えるが、五大堂跡の出土瓦などから平安初期の開創とされている。
はじめは天台宗。鎌倉時代に、学頭頼尊が下野薬師寺の慈猛から慈猛意教流を受法してから真言宗に転じ、中世には当流の本寺として隆盛をみた。第二次世界大戦後、真言宗豊山派を離れ真言教団を設立した。
太刀と銅印『鶏足寺印』(重文)がある。」
3月24日に参拝をしてきましたが、門前の梅林は時季を過ぎていました。
駐車場から境内に入れますが、山門から伸びる参道の杉並木は、風情があてとてめ良いです。
山門になります。
こちらで護摩を修しているようです。
閻魔大王は、怖い顔をしてました👹
御朱印は、本堂の右側にある「庫裡」にて頂けました。御朱印代は300円です。
由緒書きはないそうです。
寺院名:佛手山 金剛王院 鶏足寺
所在地:栃木県足利市小俣町2748番地
宗 派:真言教団(真言宗豊山派系)
寺格等:本山
本 尊:釈迦如来 五大明王
札所等:足利坂東三十三観音霊場 七番札所