まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

行田市

前玉神社(埼玉県行田市埼玉)5

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 埼玉県行田市の南部に神社は鎮座しています。

 神社専用駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【前玉神社】
 埼玉県行田市埼玉の旧郷社。延喜式内社。祭神は前玉彦命・前玉姫命。例祭は7月14日・15日。
 境内の浅間社は埼玉の浅間様として知られ、新生児の無病息災を祈って額に神璽を受ける。初山祭は6月30日・7月1日である。
 古くから埼玉郡の総社として崇敬を受ける。」

 また、衫彑扈馘拘「神道大辞典(縮刷版)」によると次の通りです。
「【前玉神社】
 埼玉県北埼玉郡埼玉村埼玉に鎮座。郷社。前玉命を祀る。
 近世まで浅間宮、又は富士権現と呼び、郡中の総鎮守である。上下二宮に分る。口碑には延喜式内社という。一説に、浅間宮は、中頃、社内に勧請せられたもので、その宮の繁盛と共に何時ともなく本社までもその社号を称するに至ったのであると。浅間社はいま境内社である。
 例祭日、4月15日。」


鳥居です。
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 社号標
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 二の鳥居
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 富士塚の上に前玉神社は鎮座しています。
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 途中に浅間神社が鎮座しています。

 手水舎になります。
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 蒸し暑い日に参拝しました。蝉が鳴いており、より一層蒸し暑さが増幅しました(´・ω・`)

 富士塚に登っていきます。
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 境内社
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 左側は菅原道真公らしい御神像があったので天神社(天満宮)かな。右側は恵比寿さまらしい御神像があったので恵比寿社かな。

 さらに先に行きます。
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 社殿になります。
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 御朱印は、参道と中の授与所で頂けました。
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 前玉神社と浅間神社の二種類があり、御朱印代は各300円。書き置きの御朱印もある。




神社名:前玉神社
鎮座地:埼玉県行田市大字埼玉字宮前5450番地
祭 神:前玉彦命 前玉比売命
社格等:延喜式内社 旧郷社

前玉神社 境内社「浅間神社」の御朱印(埼玉県行田市埼玉)5

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 埼玉県行田市埼玉に鎮座する前玉神社の境内社「浅間神社」の御朱印です。祭神は木花咲耶姫命になります。。
 富士塚の途中に鎮座しています。

 全景
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 浅間神社の社殿です。
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 御朱印は、前玉神社の授与所にて頂けます。御朱印代は300円です。



神社名:前玉神社
鎮座地:埼玉県行田市大字埼玉字宮前5450番地
祭 神:前玉彦命 前玉比売命
社格等:延喜式内社 旧郷社

天真山高源寺 正木丹波守開基の寺 御朱印&落ちない御守(埼玉県行田市佐間)5

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 埼玉県行田市にお寺はありました。

 お寺専用の駐車場はありました。自動車は5台位は停められそうです。


 こちらのお寺の由緒は次の通りです(案内板による)。
「往古、行田市は忍藩として隆盛をほこっていたが、天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原城攻めと同時に石田三成軍の二万にもおよぶ軍勢により忍城は水攻めを受けた。
 忍城佐間口の守将『正木丹波守利英公』は奮闘し、城も破られることはなかったが、小田原城での篭城に参戦していた忍城城主成田氏長が敗れたため止む無く忍城は開城した。
 この戦いで丹波守は無常を悟り、水攻め彼我戦歿者の霊を弔わんと発心し、武士を捨て、この佐間の地に高源寺を開基した。
 開山に守天昌意和尚を迎え、一心に菩提を弔い、翌天正十九年
二月一日に没した。
 このことは和田竜著「のぼうの城」に活写されている。

新編武蔵風土記稿よると、
禅宗臨済派、上崎村龍光寺末、
天真山と号す、開山守天和尚、
慶長五年八月二十五日示寂、
開基は成田下総守氏長の家人正木丹波守勝英なり、
天正十九年六月二日卒し、
傑宗道英と謚す、当寺に墳墓あり、
本尊聖観音を安置す、
と記されており、丹波守の没年月日、御本尊の相違が見受けられるのは明治二年の火災によって焼失したものと考えられる。」


 行田八幡神社の兼務社「佐間天神社」のすぐ近くにお寺はありました。

 入り口になります。
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 山門になります。
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 こちらのお寺は映画「のぼうの城」で佐藤浩市さんが演じた正木丹波守開基のお寺になります。境内にはお墓がありました。
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 忍城が水攻めされた際の戦没者を供養するお墓がありました。
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 丁重に供養しているようです。

 本堂になります。
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 本尊は阿弥陀如来になります。以前は聖観音だったそうです。

 御朱印は、本堂右側にある庫裡で頂けました。御朱印代は志納になります。

 御守りがありました。
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 500円だそうです。「落ちない御守り」もありました。御守りの柄は武将が描かれていました。正木丹波守かな?




寺院名:天真山 高源寺
所在地:埼玉県行田市佐間1丁目2-9
宗 派:臨済宗円覚寺派
本 尊:阿弥陀如来
開 基:正木丹波守

忍東照宮・諏訪神社 徳川家康公着用「歯朶具足の兜」が描かれた「勝守」(埼玉県行田市忍本丸)5

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 今年の1月5日に埼玉県行田市に鎮座する忍東照宮・諏訪神社に参拝いたしました。

 埼玉県行田市の中心部にある「忍城址」の道路を挟んで反対側に鎮座しています。

 駐車場の場所がわからなかったので「忍城趾」の駐車場に停めさせて頂きました。無料で停められました。


 こちらの神社の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。
「【諏訪神社】
 祭神 建御名方命・八坂刀売命
 例祭 9月27日
 当社の鎮座したのは、八十二代後鳥羽天皇の建久(1190年頃)の昔、忍三郎・忍五郎家時等の一族が、館・塁等を築き居住した頃、と言い伝えられている。又『持田村誌』には、成田親泰が延徳三年(1491)に忍城を構築し、この時、持田村鎮守諏訪社(持田諏訪神社)を城鎮守としたのが、当社であると伝えている。その後、成田氏代々の崇敬があり、寛永十六年(1639)城主となった阿部忠秋は城郭を修築し、併せて正保二年(1645)、当社の本殿を造営、寛文十二年(1672)拝殿を新たに建立した。現在の社殿は昭和三十六年の造営である。
 文政六年(1823)、松平忠義は伊勢桑名から移封するに当たり、城内字下荒井の地へ東照宮を、史に城内へ多度杜と一目蓮杜を勧請した。これらは明治六年、城郭取り壊しの際、当社境内に移される。又、城内各所にあった小両、科斗杜(風の神)・八幡杜・久伊豆社・荒神社・春遺稲荷大明神・神明杜・二の丸稲荷大神・天神社・両棟稲荷大明神の九社も同時に当社へ配祀された。

【東照宮】
 祭神 徳川家康公・松平忠明公・八幡大神
 例祭 5月17日
 当社は、家康公の娘、亀姫が父の肖像を頂き、後に子の松平忠明公に伝え、忠明公が寛永二年(1625)、大和国郡山城内に社殿を造営して、肖像を安置したことに始まる。以来、藩主・藩士崇敬の社となった。その後、移封の都度遷座され、慶応四年(1868)鳥羽・伏見の戦の折、大坂蔵屋敷内の東照宮を、当社に合祀した。
 社領は、郡山当時より百石を受け継ぎ、明治維新まで続く。その地は、埼玉古墳群の辺りであったと・伝えられている。
 明治四年(1871)、藩主東京移住のために祭祀断絶の危機を迎えるが、旧藩士ら相計り、同七年に下荒井の地より、本丸の一部である諏訪郭内の忍東照宮境内一隅に本殿を移し、同三十三年に藩祖、松平忠明公を配祀した。
 現在の拝殿は昭和五年の造営である。」


 元々は忍諏訪神社の境内に東照宮が鎮座しました。
 
 鳥居になります。
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 参道を進むと二の鳥居がありました。
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 案内板がありました。
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「諏訪神社・東照宮
ご神徳
◎厄除 当宮所蔵の家康公肖像画は、長女・亀姫様がお輿入れ(結婚)の際、父親の肖像画を希望したので描かせ『我が意、ここにとどまる』と言って与えたものであり、四十二歳のときのものである。これにより厄除に御神意ありと伝えられている。
◎身体健康 ◎無病息災 ◎子孫繁栄 ◎家内安全 ◎縁結び ◎交通安全 ◎学業成就 ◎病気平癒 ◎八方除 ◎開運 ◎商売繁盛

神事
歳旦祭(1月1日)・節分祭(2月3日)
祈念祭(3月27日)・例祭(5月17日・9月27日)
大祓式(6月30日・12月30日)・除夜祭(12月30日)
月次祭(毎月1日・15日)」
※ご祈祷に関しては神社にお問い合わせください。恐らくは土日の対応になるかと思われます。

 社殿になります。
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 社殿は日光東照宮みたいに派手さはないです。

 こちらの神社は兼務社のようです。基本的に土日のみ誰かしら常駐するようです。なので祈祷祈願は休日のみかもしれません。

 御守り(一体500円〜)や御神札(一体800円〜)、絵馬(一体400円)がありました。私は徳川家康公着用の歯朶具足の兜が描かれた「勝守」を一体頂きました。初穂料は500円です。
 参拝したのは1月5日だったので、破魔矢(絵馬あり1,000円、絵馬なし800円)がありました。頂きたい方は、早めの参拝をお勧めします。

 由緒書きは、頂きたい旨を授与所で告げれば頂けます。無料になります。

 御朱印あり(初穂料300円)。




神社名:忍東照宮・諏訪神社
鎮座地:埼玉県行田市忍本丸12‐5
祭 神:徳川家康公 松平忠明公 八幡大神(東照宮)
    建御名方命 八坂刀売命(諏訪神社)
社格等:旧村社

目の神社(行田八幡神社境内社)5

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 埼玉県行田市の忍城趾の東へ行った所に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、秩父鉄道「行田市駅」になります。

 駐車場は、参集殿の前と第二駐車場が利用できます。自動車は10台以上は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』より)。
「埼玉県行田市行田に鎮座。祭神は品陀別命・息長足姫命・大物主命・素盞嗚尊・市杵島姫命ほか二柱。虫封じの信仰がある。例祭は9月15日。
 源頼義・義家親子が奥州征討にあたり、戦勝祈願として八幡神社を勧請したと伝える。天文年間(1532〜1555)に佐間村田中から行田に遷された。忍城主成田下総守氏長の崇敬により城下の総鎮守となる。」


 鳥居になります。
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 西向きに社殿は建っています。
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 忍城を守護するためかと思われます。
 癌封じや虫封じ、病気平癒のご利益があるそうです。

 境内社になります。
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 なで桃だそうです。
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 御朱印は、境内社の「目の神社(めのかみしゃ)」を頂きました。御朱印代は300円でした。

 御守りや御神札といった授与品はありました。もちろん「目の神社」の御守りはありました。眼病平癒のご利益のようです。

 近くには「風が語りかけます。旨い!旨すぎる!」の十万石饅頭本店がありました。




神社名:行田八幡神社
鎮座地:埼玉県行田市行田16‐23
祭 神:誉田別尊 気長足姫尊 比売大神 大物主神 神素盞鳴尊
社格等:旧村社 行田総鎮守
札所等:忍城下七福神 大黒天
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