栃木県栃木市にある寺院になります。
最寄りのバス停は、栃木駅北口より寺尾線(出流観音行き)に乗車、終点「出流観音」で下車してください。
お寺専用の駐車場はありました。
こちらの寺院の由緒は、次の通りです(東京堂出版刊『古寺名刹辞典』による)。
「栃木市出流町288。出流山千手院と号す。真言宗智山派。坂東三十三ヶ所観音霊場の第十七番札所。
天平勝宝二年(750)日光開山勝道上人の開創と伝えられ、本尊十一面千手観音像は弘法大師東国巡錫の折の作といわれる。
寺域は出流山中腹にあり、景観の良いことで知られる。本堂背後の崖に奥の院霊窟といわれる洞窟があり、東に大師窟、西に奥の院の窟、更に西に大日窟と呼ばれる鍾乳洞があり数十本の鍾乳石がある。中でも4辰魃曚晃事な石柱は古来より大日如来の後姿とされる。
天平七年(735)下野国司若田氏高藤介の妻明寿は子宝に恵まれなかったが、この十一面観音に祈り、霊験を得て一子を授かった。この子が後の勝道上人であるという。よって日光修験者は生涯に一度は当寺に修行すると定められたこともある。
明治維新前には智山派総本山智積院移転地七ヶ寺の一つに列せられた名刹である。
本尊には開運・厄除けの霊験があるとされ、関東一円から参詣者を集める。
御詠歌は、
ふるさとをはるばるここに立ち出る
我が行く末はいずくなるらん」
また、吉川弘文館刊「日本仏教史辞典」によると次の通りです。
「栃木市出流町にある。鍾乳洞を以て知られ、真言宗智山派。出流山千手院と号す。本尊は千手観世音菩薩。
開山は日光開山の勝道と伝え、日光山系修験の修行地となっていた。のちの寺歴は未詳。鎌倉時代初期に坂東三十三ヶ所観音霊場に列せられた。元亀二年(1571)醍醐寺無量寿院の僧堯雅が東国・陸奥を歴訪し法流を弘めた際、当寺の別当坊で印可を行った。近世、朱印地五十石。寺内に末寺四・門徒三ヵ寺があり、坂東三十三ヵ所観音霊場第十七番札所。京都智積院移転地七ヵ寺の一つに列す。慶応三年(1867)薩摩藩西郷隆盛の関東騒擾策の一つとして尊攘浪士が当寺により挙兵した。」
こちらの寺院は坂東三十三観音霊場の札所であり、「出流観音(いずるかんのん)」の名で知られています。
寺号標。智積院の化主が住職を勤めていたので一時期別格本山なっていたようです。
参道を進みます。
まだまだ進みます。
弁天池?です。
進みます。
大御堂です。
境内は山の中にあるといった感じなので修験道の雰囲気のあるお寺でした。
御朱印は、参道途中の寺務所に併設されている「納経所兼授与所」で頂けました。御朱印代は300円になります。
各種御守り(一体800円から)や各種御札(一体1,000円)等の授与品はありました。
私は子年生まれになり、守り本尊は「千手観音」になりますので「開運御守り」を一体頂きました。800円です。
寺院名:出流山 千手院 満願寺
所在地:栃木県栃木市出流町288番地
宗 派:真言宗智山派
寺格等:旧別格本山
本 尊:千手観世音菩薩
通 称:出流観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十七番札所
下野三十三観音霊場 二十九番札所
関東八十八ヶ所 特別霊場
御詠歌:古里をはるばるここに立いいづる 我がゆく末はいづくなるらん