まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

富岡市

妙義神社 交通安全ステッカー(群馬県富岡市妙義町)5

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 群馬県富岡市に鎮座する妙義神社に参拝する。

 由緒「群馬県神社庁富岡甘楽支部編『富岡甘楽平成神社明細誌』」
「【妙義神社】
 祭 神:倭建命
 相殿神:菅原道真公 権大納言長親卿 丹生都姫命 建御名方命 素盞嗚命 國常立命 大国主命 八衢比古命 彌継種命 大地主命 大己貴命 八衢比売命 疱瘡神 伊邪那美命 大日孁尊 祭神不詳
〈由緒〉
 当社の創建は『宣化天皇の二年に鎮祭せり』と社記にあり、その後推古天皇の朝に別当を置かれ、光仁天皇宝亀年中再興あり。元は波己曽の大神と称し後に妙義と改められた。
 そもそも妙義と云う所以は、後醍醐天皇に仕へ奉りし権大納言長親卿、此の地に住み給いて明々魂々たる山の奇勝をめで、明魂と名づけしものを後世妙義と改めたと思われる。古くより朝野の崇敬殊に篤く、開運、商売繁昌の神、火防の神、学業児童の神、縁結の神、農耕桑蚕の神として広く世に知られ、関東、甲信越地区より参拝する者が多い。
 江戸時代は歴代将軍を始め、加賀の前田侯外諸大名の崇敬篤く、上野東叡山の宮、御代々御兼帯御親祭の神社となる。幕府より玉串献上ののことあり。日光例幣使参向の途次、必ず参拝あらせられる。是又年々の例なりが、明治に至りて止む。
 御祭神の道眞公・長親公は、中古の合祀なり。
 旧幕府徳川家光公より、朱印地三十石・反別三町六反五歩、受領あり。
 明治五年7月27日、郷社に列せられる。昭和九年4月7日、県社に昇格する。」

 参道。
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 中腹には「大」の字があるのはお分かりだろうか?

 総門
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 神社でありながら仁王像が配されている。この門に掲げられている扁額には「高顕院(正式寺院名:白雲山高顕院石塔寺)」という別当寺であった名が刻まれています。神仏習合を感じさせる門です。

 鳥居
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 扁額には「白雲山」と刻まれている。

 参道
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 神門
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 社殿
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 帰りがけ「交通安全ステッカー」を頂きました。初穂料300円。




神社名:妙義神社
鎮座地:群馬県富岡市妙義町妙義6番地
祭 神:日本武尊 豊受大神 菅原道真公 権大納言長親卿
社格等:旧県社
札所等:上野三十四観音霊場 十一番札所
御詠歌:たれもみな祈るこころは白雲の 妙なる法のあけぼのの鐘

小野山祥真院得成寺 小野小町開基の寺(群馬県富岡市相野田)5

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 群馬県富岡市にある寺。

 山門を右にいくと墓地があり、そこに駐車するスペースがあった。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗供戮茲衄歓茵法
「この寺の縁起は小野小町の開基説と江戸時代の亮賢に関するものとに大別できる。
 まず小町開基説では、朝廷に仕えていた小町が任を終え故郷の出羽国に戻ろうと、当地にさしかかった折りに重い病気にかかった。小町は庵を設け仏道修行に専念して病の全快を祈った。この庵を小野山普済寺と称したという。彼女は祈願所に薬師像を祀り、千日願をかけて日参しては病気全快を祈った。しかし、満願日になっても全快しないために、彼女が、『南無薬師まずは諸願の叶はずば、身より仏の名こそ惜けれ』という歌を詠むと、その晩に薬師尊が夢枕に立ち、『むらさめは唯一時のもぞかし おのが身のかさここにぬぎおけ』とこたえた。翌朝には病気が全快したために彼女は薬師像に塩を贈ったことから塩薬師と呼ぶようになったという。うらびれた晩年の小町像も寺に保存されている。
 現在、塩畑堂橋近くにある塩畑道が彼女の日参した堂であるという。
(中略)
 寺伝は貞応元年(1222)に心全律師が開山となったと続く。心全は高野山から不動尊を背負って来て本尊としたという伝承に基づくと、ここから真言宗が始まると同時に開山・開基のそろう寺院としての体制が整ったことになる。なお、紀年命不詳の板碑も三基あるので、当寺の創建が中世であったのは確かであろう。
 幕末に鋳造されたと思われる上野国甘楽郡小野郷小町山得成寺鐘銘並序には、『寛永十六年(1639)、第八世の亮賢が広大で美麗な寺を再興した。このことが徳川綱吉の耳に達し、金屏風・御紋付呉服一重を拝領した。』旨の銘文が刻まれている。寛永十六年で第八世ということは真言宗としての寺歴は貞応元年まで遡ることができないと考えられよう。
(中略)
 このような関係から当寺は朱印地三十石、また七日市藩より寺領九反歩の寄進を受けている。
(中略)
 当寺は碓氷郡八幡村の大聖護国寺は末寺であったが、昭和十六年(1941)7月に奈良県の長谷寺の末寺に替わっている。本尊の不動明王は平安期の様式を整えているために昭和四十九年に市指定重文となったが、平成十一年に県指定重文となった。」


 山門。
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 本堂。
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 小高い山の中腹にある真言宗豊山派の寺。小野小町開基、心全律師が開山。ただ、寺院としての繁栄し始めたのは江戸時代に亮賢和尚が住職となってからのようだ。亮賢は、徳川綱吉に命じられ音羽護国寺となった僧侶だ。

 緑が多く、静かなお寺である。

 鐘楼堂。
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 境内には小野小町の化粧井戸がある。
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 御朱印は、境内の左側にある寺務所にて頂きました。書き置きで御朱印代は300円です。
 御朱印には「勝軍不動」と書いてあるのだろうか?どのような不動明王なのか気にはなる。拝観はできるのだろうか?





寺院名:小野山 祥真院 得成寺(とくじょうじ)
所在地:群馬県富岡市相野田245番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:不動明王
開 基:小野小町

妙義神社 オリジナル御朱印帳(群馬県富岡市妙義)5

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 群馬県富岡市に鎮座する「妙義神社」のオリジナル御朱印帳です。大きさは11僉16僂砲覆蠅泙后初穂料は1,500円(御朱印代込み)です。紙質は普通です。
 もう少し大きかったら良かったかなとおもいます。

 開運・火防の神です。
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 波己曾社になります。群馬県指定重要文化財です。
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 本社同様「権現造」みたいです。




神社名:妙義神社
鎮座地:群馬県富岡市妙義町妙義6番地
祭 神:日本武尊 豊受大神 菅原道真公 権大納言長親卿
社格等:旧県社

妙義神社 開運厄除御守り(群馬県富岡市妙義町)5

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 群馬県富岡市妙義町に鎮座する妙義神社の「開運厄除御守り」になります。色は二種類(青と赤)ありました。授与所で頂けます。初穂料700円です。
 悪いことはなく、運が開けて欲しいなと思う今日この頃です。社号標にも開運・火防の神とありますので。
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 御守りには「菊の御紋」が描かれていました。輪王寺宮の兼帯だったからでしょうか?裏には天狗の羽団扇紋が描かれています。神仏習合を感じさせます。

 他にも各種御神札・御守りがありました。

 御守りを頂く前に社殿へ向かいました。
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 12月29日に参拝したため、とても寒かったです。本社までに伸びる石段を上がると汗が出てきました。いい運動です。帰りは脇参道から下がって来ました。




神社名:妙義神社
鎮座地:群馬県富岡市妙義町妙義6番地
祭 神:日本武尊 豊受大神 菅原道真公 権大納言長親卿
社格等:旧県社

妙義神社(群馬県富岡市妙義町)5

妙義神社 御朱印
 群馬県富岡市の妙義山の中腹に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR信越本線「松井田駅」になります。徒歩で神社まで約1時間はかかります。

 自動車を停めるには、道路の反対側にある「道の駅みょうぎ(URL:http://www.myogi-bc.jp/) 」の駐車場を利用した方が良いかもしれません。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【妙義神社】
 群馬県甘楽郡妙義町妙義の旧県社。祭神は日本武尊・菅原道真・豊受大神。例祭は4月15日。
 宜化天皇二年に創建されと伝える。妙義山の主峰である白雲山の東山麓に鎮座し、もとは波己曾の大神と称した。江戸期には歴代将軍や諸大名の信仰が厚く、上野東叡山の宮門跡が兼帯する親祭の社であった。その宿坊を宮様御殿と呼んだ。
 本殿・拝殿の彫刻は日光に優ると称される。」

 また、群馬県神社庁富岡甘楽支部編「富岡甘楽平成神社明細誌」によると次の通りです。
「【妙義神社】
 祭 神:倭建命
 相殿神:菅原道真公 権大納言長親卿 丹生都姫命 建御名方命 素盞嗚命 國常立命 大国主命 八衢比古命 彌継種命 大地主命 大己貴命 八衢比売命 疱瘡神 伊邪那美命 大日孁尊 祭神不詳
〈由緒〉
 当社の創建は『宣化天皇の二年に鎮祭せり』と社記にあり、その後推古天皇の朝に別当を置かれ、光仁天皇宝亀年中再興あり。元は波己曽の大神と称し後に妙義と改められた。
 そもそも妙義と云う所以は、後醍醐天皇に仕へ奉りし権大納言長親卿、此の地に住み給いて明々魂々たる山の奇勝をめで、明魂と名づけしものを後世妙義と改めたと思われる。古くより朝野の崇敬殊に篤く、開運、商売繁昌の神、火防の神、学業児童の神、縁結の神、農耕桑蚕の神として広く世に知られ、関東、甲信越地区より参拝する者が多い。
 江戸時代は歴代将軍を始め、加賀の前田侯外諸大名の崇敬篤く、上野東叡山の宮、御代々御兼帯御親祭の神社となる。幕府より玉串献上ののことあり。日光例幣使参向の途次、必ず参拝あらせられる。是又年々の例なりが、明治に至りて止む。
 御祭神の道眞公・長親公は、中古の合祀なり。
 旧幕府徳川家光公より、朱印地三十石・反別三町六反五歩、受領あり。
 明治五年7月27日、郷社に列せられる。昭和九年4月7日、県社に昇格する。」


 妙義山の中でも「白雲山」を御神体とする山岳信仰の神社になります。

 一の鳥居です。
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 社号標になります。
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 開運・火防の神様になります。

 一の鳥居を進んでいくと総門があります。
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 掲げられている扁額には「高顕院(正式寺院名:白雲山高顕院石塔寺)」という別当寺であった名が刻まれています。
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 神仏習合を感じさせる門です。

 先に進みます。
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 「波己曾社」がありました。
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 旧本社になるそうです。通常は祈祷に使われているのかなと思います。
 群馬県指定重要文化財になります。

 急な石段を上がります。
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 随神門になります。
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 唐門になります。
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 「国指定重要文化財」になります。

 社殿になります。
妙義神社 社殿
 唐門同様に「国指定重要文化財」になります。

 平成30年12月29日に参拝しました。北関東のうえに妙義山の中腹に鎮座するため境内はとても寒かったです。空っ風でビュービュー・・・。参拝者はいらっしゃいましたが、皆さん寒そうでした。

 帰りは脇参道を進みます。
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 途中には白雲山登山口がありました。
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 あくまでも上級者向きのようですので、なれていない人はやめた方がよいです。

 御朱印は、総門を入り右側にある「授与所」で頂きました。御朱印代は300円です。

 こちらの神社にはオリジナル御朱印帳があります。
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 大きさは11僉16僉∋羲舛鷲當漫⊇虔耄1,500円(御朱印代込)です。

 御神札や御守りといった授与品はありました。私は「開運厄除御守り」を一体頂きました。初穂料は700円になります。




神社名:妙義神社
鎮座地:群馬県富岡市妙義町妙義6番地
祭 神:日本武尊 豊受大神 菅原道真公 権大納言長親卿
社格等:旧県社
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