八幡神社
2019年03月08日07:35
2019年01月22日00:12
2019年01月10日01:00
群馬県前橋市の中心部、国道50号線と国道17号線の交わる交差点から遠くない所に神社は鎮座しています。
最寄り駅は、JR両毛線「前橋駅」になります。徒歩では少々歩きます。
神社専用の駐車場はありません。周辺には有料駐車場がありますので、自動車で来られた方はそちらを利用してください。
こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「前橋市本町の旧県社。祭神は品陀和気命・息長足媛命。例祭は9月15日。
1月9日の初市祭はだるま市として知られる。また、子育て八幡の信仰から七五三祭はにぎわう。
在原業平の後裔の業重が石清水八幡宮を勧請したという。永禄年間(1558〜1570)に兵火に遭ったが、元亀・天正年間(1570〜1592)に北条氏らの武将が神田を寄進した。徳川将軍家から十五石の朱印領が寄せられた。藩主の酒井・松平両氏が代々崇敬し、前橋の総鎮守として市井の信仰も厚い。」
鳥居になります。
お隣が公園なので、公園内に鎮座しているといった感じです。
手水舎になります。
神社周辺は前橋市の中心部なので、買い物や食事ができるお店が多いです。
1月6日に参拝したので境内の左側にある「授与所」は開いていました。
若い神職の方が詰めていらっしゃいました。久し振りの参拝なので、御朱印と御守りを頂きました。
私が頂いた御守り以外は一体300円〜600円位でした。
御神矢(破魔矢、守護矢)の初穂料は、どれくらいなのだろうか?
常時授与所は開いているのかはわかりませんが、開いてない場合は社務所で祈祷祈願受付、御札・御守り・御朱印の授与が行われます。
社務所の所在地は「前橋市本町二丁目7‐2」になります。
鳥居横に「参集殿建設募金のお願い」という案内板がありました。
2019年01月01日07:30
栃木県小山市の南部の間々田地区に神社は鎮座していました。
最寄り駅は、JR宇都宮線「間々田駅」になります。徒歩では25分位になります。
神社専用の駐車場はありました。
こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「小山市間々田の旧村社。祭神は誉田別命。例祭は9月15日、8月21日。
旧暦4月8日に悪魔を祓う行事があり、龍を型どった物を氏子町内に配り、『じゃがまいた、じゃがまいた』と唱えて練り歩きながら、各戸の軒先に藤つると菖蒲を挿していく。
天平年間(729〜749)に勧請したと伝える。天慶二年(939)に藤原秀郷が勅命により平将門の乱を平定した。当社に祭田を寄進し、里人は飯田(ままだ)の里と称した。文治五年(1189)に源頼朝が陸奥に泰衡を討伐する途次、当社に祈願した。日光例幣使も参拝した。嘉永四年(1851)に現社殿を建立し、正一位の宣旨を受けた。」
また、由緒書きよると次の通りです。
「間々田八幡宮の創建は古く、今から約千三百年前の天平年間に勧請されたものと伝えられている。
天慶二年(939)平将門の乱が起るや、朝廷は藤原秀郷等に勅して之を討たした。秀郷は征討に臨み沿道の神社仏閣に戦勝を祈願し、乱平定の後、当八幡宮に神饌御料として供田した。これより後、里人、飯田(まんまだ)の里と呼称した。
文治五年(1189)陸奥泰衡の乱に征討の軍を率いた源頼朝は
藤原秀郷、当八幡宮に将門調伏の祈誓ありしを聞き、戦勝を祈願して
松樹を植えた。後に人これを『頼朝手植の松』と称し近年に及ぶが惜しいかな明治三十八年(1905)枯死した。
徳川幕府、家康の遺骨を日光山に遷し、日光街道十八駅を置く行程三十六里(141辧砲覆蝓F光・江戸の中間なるをもって間々田と改称した。また、朝廷は日光東照宮に例幣使をさしつかわし例年、幣帛を賜るが、その道中、当駅をへるに鎮座せる神社の由緒あるを聞き、当八幡宮を必ず参拝されるを例とされ、享和年間の社殿焼失
まで続いたと言い伝えられている。
正徳二年(1712)六月、神階正一位の宣旨を受ける。
享和年間に失火し、社殿ことごとく灰燼に帰した。よって御神霊を仮殿に安置し、嘉永四年(1851)に至り現在の社殿を再建した。建立に関係した宮大工は、折しも東照宮大修理にあたって各地から招かれた宮大工であったと伝えられ、御本殿の彫刻には、その優秀な技術をしのぶことができる。
当八幡宮境内はこの近隣に類を見ないほど広大で、小山市に貸与してある公園の部分を含めると約二万坪の敷地を有している。数百年の樹齢を数える杉の古木が荘厳な雰囲気を醸し出し、緋鯉、真鯉の遊泳する神の池には、春の桜、秋の紅葉がその艶やかな姿を映し、氏子崇敬者や市民の憩いの場となっている。
また、松尾芭蕉は、奥の細道紀行で江戸を出発して二日目に間々田宿に宿泊しているが、その芭蕉に因んだ句碑『古池や蛙飛び込む水の音』が立てられている。この句碑は、病気平癒を祈願した氏子が、全快のお礼に嘉永年間に建立したものであるが、御神徳による霊威は古い昔から伝えられるところであり、近年でも足を病んで歩行できなかった茨城の婦人が、夢に見た当神社を写真に撮り、朝夕拝んだところたちまち癒えたとお礼参りに来られたり、都内に本社を置く会社の社長は当神社に祈願し、社殿下の砂を拝領して会社を起こして見事に成功した例など枚挙にいとまがない。これ偏に遠く天平の昔より間々田八幡宮のご加護を信じ、崇拝し、神社護持に力を尽くした氏子崇敬者の赤心に有難き御神徳が益々発揚されている証であろう。」
参拝したのは12月30日で空っ風が吹き荒れ、境内はとても寒かったです。
鳥居になります。
鳥居を入ると石段を下る神社として一之宮貫前神社があるが、その神社と同じ「下り宮」と考えて良いのだろうか?
参道を進みます。
現在三代目だそうです。
その奥には厳島神社(弁天社)がありました。
神社の境内は「間々田八幡公園」として整備されています。
こちらが社殿になります。
社殿周辺は、お正月の準備のためテントがいくつか張ってありました。
御朱印代は300円でした。年末年始は書き置き対応になるそうです。
由緒書きは、社殿の賽銭箱横にありました。
御神札や御守りといった授与品はありました。私はジャガマイタの絵馬を一体頂きました。
2018年07月16日11:37
こちらの神社の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。
「平安時代末期第八十一代安徳天皇の御宇治の治承四年(1180)九月、治承・寿永の乱の最中、右府源頼朝の命により下総・武蔵国の豪族等が参集(下河辺の挙兵)せられ、富士川の合戦に向かう。その際、川の畔の小高い山を目指し参集、頂上に鎮座されていた御稲荷様に、戦いの勝利を祈願。戦で勝利し神徳を感じた頼朝は養和元年(1181)8月相模国に鎮座されている、鶴岡八幡宮より御神霊を勧請し鶴ヶ峰八幡宮と称す。又、鶴岡八幡宮の守護神の丸山稲荷も勧請す。初代神職には鶴岡八幡宮初代祠官高橋摂津守の次男で源頼朝侍従でもあった高橋鴨次郎吉元(鴨次良吉廣)定められた。奥羽逆徒討伐の際も、頼朝は兵を率いて勝利を祈願、奥州藤原を討伐した。
天福二年(1234)9月、下総國一之宮より香取宮を此に勧請し合殿となり又、元弘年中、新田義貞(源義貞)が平高時(北条高時)を討伐の際に当宮に参籠、累年の戦いでの疲労を休め、又清め、戦いに挑み勝利した。後、旧古河城であった栗橋城の、守護宮として崇敬され古河に公方が遷る際も足利成氏らが祈願した。
近世、徳川将軍日光社参に際では立ち寄り安全な旅を祈願した。残された詞に〈白鳩御旗の上に飜り終に朝敵を亡くし武運を開きしにより弥増に神徳他に越たり掛巻も畏き鶴峯八幡宮の神徳本朝鎮護の宗廟文武興隆の祖神にして神光四方にたなび神威宇宙に輝けり永き弓矢の守りとなりて国家を鎮め給うにより、東照君主に至り永禄十一年11月御宮改に付伊奈備前守殿より黒印地盡淦个魎麌蹐擦蕕譴襦2辰佞襪棒酳媾住哀村岡郷四十ヶ村を以てせられる故に神徳愈々顕赫諸人益尊仰し〉とあり、所領三千石、社地五百石を寄与された等日光街道の鎮守として、旅の安全を祈る五柱の神が祀られており旅の者が足踏みをして安全な旅を祈願した。現在も御社の前で足踏みをして、旅の安全や足腰、健康の祈願参りをされている。
江戸末期から洪水対策、河川改修工事の為の移転、明治の上地、社寺
政策により、破壊、放火、宝物盗難などに合い、一度は存続する事も
危かったとされる。が、縮小されつつも近郊の氏子崇敬者等の尽力にて
再建され存続する事が出来ている。」
一の鳥居になります。
二の鳥居になります。
御朱印は、境内右側にある授与所で頂けました。三種類(鶴峯八幡宮、香取宮、丸山稲荷)ありました。御朱印代は各300円になります。
御守りや御札といった授与品はありました。またオリジナル御朱印帳もありました。
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取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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