まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

佐野市

賀茂別雷神社 再拝(栃木県佐野市多田町)5

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 栃木県佐野市の中でも旧田沼町に神社はありました。

 最寄り駅は、東武佐野線「多田駅」になります。徒歩では、約5分位でしょう。

 駐車場は、一の鳥居の右側、境内の左側にありました。自動車は、10台以上は停められそうです。

 こちらの神社の由緒は以下の通りです。
「当賀茂別雷神社は天智天皇八年九月(669)山城国上賀茂鎮座の加茂別雷神社の分祀として、菊沢山の中腹に社を建て雷神を奉斎した。
 雷神を祭ればこの地は富貴安静ならむ、との神宣に依りて、長雨に祈らば雨は止み、日照に祈らば慈雨があり、豊作の神として信仰高く、天慶八年四月(945)唐沢山城主俵藤太秀郷公は信仰に依って本社を再造立し、近郷の鎮守と尊信し祭資を奉納す。
 正徳五年二月(1715)御神徳に依り宗源宣旨によって正一位の神階を賜った。
 宝暦十一年(1761)現在の本殿を再建した。
明治四十三年(1910)現在地に本殿を移転し拝殿幣殿を新築し遷宮式を行った。
 その後平成元年十一月(1989)田沼町誇れるもの百選に認定される。
この度平成天皇御即位平成二年十一月の御大典を奉祝して拝殿前の傾斜した鳥居の修復及び同付近の崩壊した石垣の積み替えの外、石階段の手摺りを新設し、掲示板を設け、その他拝殿内と会館内の模様替えを、神社役員、区役員の協力により実施、滞りなく完了した。」


 こちらの神社から少し南に行き、多田駅を通り過ぎると右側に「加茂別雷神社」という読み方は同じ神社が鎮座しています。両社とも京都の上賀茂神社からの勧請になります。山越町に鎮座する加茂別雷神社は「大同二年(807年)」、こちらの神社は「天智八年(669年)」の勧請になり、138年早く勧請されています。

 小高い山(丘?)の上に鎮座していました。
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 ここのところ御朱印には力を入れているみたいで、色んな御朱印があった。
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 見開きの書き置き?は1,000円。少し高い気はするが、最近の御朱印代の傾向はそうだ。御朱印帳へ片面の墨書きは500円。
 以前御朱印を頂いたときは印を逆に押されてしまったので、再訪するのが嫌だった。

 




神社名:賀茂別雷神社
鎮座地:栃木県佐野市多田町1506番地
主祭神:賀茂別雷神
御配神:邇邇杵尊 賀茂建角身命 玉依姫命
通 称:雷電様
社格等:旧村社
札所等:佐野市神社御朱印めぐり

植下赤城神社 鈴の御朱印(栃木県佐野市植下町)5

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 栃木県佐野市の南部に神社は鎮座していました。
 国道50号線の「植下町」を少し北上した所に神社は鎮座していました。国道50号線沿いにはオービスがありますので、自動車で行かれるかたは気をつけてください。

 駐車場は鳥居の近くにあるスペースに停めることができます。2台は停められそうですが他にあるかどうかはわかりません。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「佐野市植下町に鎮座。祭神は彦狭島王命・日本武命。例祭は10月17日。春祭りが4月17日である。
 景行天皇五十五年に彦狭島王命の遺骸をひそかに奉葬したと伝える。藤原秀郷がその祠を再建し、天慶七年(944)に社領を寄進。翌年の遷座祭にあたり延喜式内社の赤城神社から日本武命を勧請して合祀し、赤城明神と称した。」

 また、由緒書きによると次の通りです。
「景行天皇五十五年、豊城入彦命の孫彦狭島王命が、勅を奉じ沙本毘古の乱を平らげ賞を賜り、任国毛野国に帰途の途中、春日穴作邑に至り病にて薨った。その時、任国の民が悲しんで王の屍を密かに掘り出し、毛野国伊保野の郷に奉葬し塚を造り祠を立て、狭島大明神と称して崇敬した。
その後、田原藤太秀郷公が、平将門公の討伐を祈願して見事成就した。これをもって家臣大門・小野寺式部両人に祠再建普請奉行を命じた。
 天慶七(944)年12月25日に免田畑十五町歩を寄進し、翌天慶八年(945)年3月15日に竣工した。同25日に上毛野の延喜式内社である赤城神社より日本武命を勧請合祀し、狭島を改め赤城大明神と号し、上毛野の宮を上の宮、当社を下の宮と称した。(現在も周辺の地名を下の宮と称す)以降、武門武将の尊信が厚く、田畑金穀朱印を賜る事が多かった。宝永三(1706)年2月の宗源宣旨に正一位を賜った。
 江戸中期、稲荷信仰で庶民の崇敬を集めた時期があり、社前鳥居の柱下部に稲荷の文様がある。明治六年に郷社となり、明治九年に村社となった。
 現在の御社殿は江戸時代末期の文化文政時代に十二年かけて建てられたものである。
 御祭神彦狭島王命は、家内安全、地域鎮護、日本武命は、火防、盗難除け、宇賀之御魂神は、商売繁盛、家内安全の御神徳を有す。
 明神造の青銅鳥居、神鈴は天明鋳物で出来ており佐野市指定文化財である。」


 境内は、鬱蒼とした森の中にあるといった感じでした。

 鳥居は青銅製になり、佐野市指定文化財です。
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 案内板による由緒は、次の通りです。
「明和六年(1769)天明の鋳工丸山善太郎毎昭(つねあき)と同甚太郎易親(やすちか)によって造られた稲荷鳥居である。市内では、一瓶塚稲荷神社の鳥居(国認定重要美術品)が同じ丸山一族の手による同形態のものである。
 右柱には講中神主及び願主、左柱には鋳物大工の名前がそれぞれ刻銘されている。」

 手水舎になります。
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 社殿になります。
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 彦狭島王命が祀られています。一緒に上野国の赤城神社より勧請した日本武命も祀られています。

 社殿内部です。
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 社殿横には「神鈴」がありました。
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 案内板による由緒は次の通りです。
「この神鈴は、鈴のなかに小さい鈴が入った二重構造で、鈴の揺動により小さい鈴が動き、その音がこもって特有の音を発する仕組みになっているものである。明和八年(一七七一年)に製作されたもので、現存する天明鋳物師製作の神鈴としては、最も古い。天明鋳物師崎山五左右衛門藤原峯高円熟期の作品である。」


 授与所には、御守りや絵馬といった授与品はありました。
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 御朱印は鳥居の向かいにある社務所で頂けました。御朱印は5種類(うち書き置き2種類)ありました。御朱印代は300円でした。
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 マーブリング御朱印というのがありました。宮司手染めの和紙に墨書き+御朱印押印のもので1日五体限定の書き置きの御朱印だそうです。初穂料500円です。




神社名:植下赤城神社
鎮座地:栃木県佐野市植下町430番地
祭 神:彦狭島王命 日本武命
配 祀:宇賀之御魂命
社格等:旧村社
札所等:佐野市神社御朱印めぐり(令和二年3月31日迄)

佐野厄除大師惣宗寺 広告&御朱印(栃木県佐野市)5

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 栃木県佐野市にある天台宗の名刹「佐野厄除大師」の広告が入る季節になりました。
 厄除・方位除・家内安全等の祈願が受けられます。
 お正月に参拝したことがありますが、かなりの人手でした。信仰の篤さがわかります。法力があるのかな。

 こちらの寺院の印刷の御朱印はどうかならないかな?
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 僧侶が複数人勤めているのだから、土日位は御朱印専従で一人おけばいいのに。

 山門&本堂
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寺院名:春日岡山 転法輪院 惣宗官寺
所在地:栃木県佐野市金井上町2233番地
宗 派:天台宗
本 尊:元三大師
開 基:藤原秀郷
通 称:佐野厄除大師

佐野厄除大師 惣宗官寺(栃木県佐野市金井上町)3

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 栃木県佐野市にある天台宗に属するお寺で、「佐野厄除け大師」として有名なお寺です。佐野市の中心部にお寺はありました。

 最寄り駅は、JR両毛線・東武佐野線「佐野駅」になります。徒歩では、10分位かかりそうです。

 お寺専用の無料駐車場が周辺にありました。お寺の前には有料駐車場もありますので、気をつけて下さい。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』より)。
「栃木県佐野市金井上町にある天台宗の寺院。春日岡山。通称佐野厄除け大師。本尊は釈迦如来。
 天慶七年(944)に藤原秀郷が開基となって寺院建立と伝える。慶長七年(1602)現在地に移転。徳川家康の日光への遷葬での霊柩宿所。朱印寺領五十石、境内には田中正造の墓がある。」


 山門になります。
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 鐘楼堂になります。
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 本堂になります。
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 ご祈祷のため参詣する方々が多かったです。余程ご利益があるのでしょう。

 田中正造のお墓がありました。
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 葬儀一切を仕切ったため分骨をされこちらのお寺にあります。

 春日岡山東照宮になります。
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 徳川家康が薨去後、久能山に葬られました。その後日光に改葬されたさいに霊柩が一時滞在したため東照宮が勧請されています。

 稲荷堂になります。
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 御朱印は、祈祷受付で頂きました。印刷の御朱印となります。御朱印代は200円です。

 各種御守りや破魔矢といった授与品はありました。




寺院名:春日岡山 転法輪院 惣宗官寺
所在地:栃木県佐野市金井上町2233番地
宗 派:天台宗
本 尊:元三大師
開 基:藤原秀郷
通 称:佐野厄除大師

道の駅どまんなかたぬま(栃木県佐野市)4

栃木県佐野市にある「道の駅どまんなかたぬま」に寄ってみました。
住所は、「栃木県佐野市吉水町366-2」になります。
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入口にはさのまるが!
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足湯がありました。
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無料で入れます。

足湯の前にはガーデンがありました。
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建物内には、いろんなお店がありました。
いもフライを売るお店は列を作ってました。

そのなかに「富次郎」というお店がありました。
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たこ焼きが中心のお店です。
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そのなかに「さのまる焼き」がありました。
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味は、普通です。たい焼きのさのまるバージョンです。

近くには人丸神社や沼鉾神社が鎮座しています。
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まほろばと申します。

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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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