群馬県富岡市に鎮座する妙義神社に参拝する。
由緒「群馬県神社庁富岡甘楽支部編『富岡甘楽平成神社明細誌』」
「【妙義神社】
祭 神:倭建命
相殿神:菅原道真公 権大納言長親卿 丹生都姫命 建御名方命 素盞嗚命 國常立命 大国主命 八衢比古命 彌継種命 大地主命 大己貴命 八衢比売命 疱瘡神 伊邪那美命 大日孁尊 祭神不詳
〈由緒〉
当社の創建は『宣化天皇の二年に鎮祭せり』と社記にあり、その後推古天皇の朝に別当を置かれ、光仁天皇宝亀年中再興あり。元は波己曽の大神と称し後に妙義と改められた。
そもそも妙義と云う所以は、後醍醐天皇に仕へ奉りし権大納言長親卿、此の地に住み給いて明々魂々たる山の奇勝をめで、明魂と名づけしものを後世妙義と改めたと思われる。古くより朝野の崇敬殊に篤く、開運、商売繁昌の神、火防の神、学業児童の神、縁結の神、農耕桑蚕の神として広く世に知られ、関東、甲信越地区より参拝する者が多い。
江戸時代は歴代将軍を始め、加賀の前田侯外諸大名の崇敬篤く、上野東叡山の宮、御代々御兼帯御親祭の神社となる。幕府より玉串献上ののことあり。日光例幣使参向の途次、必ず参拝あらせられる。是又年々の例なりが、明治に至りて止む。
御祭神の道眞公・長親公は、中古の合祀なり。
旧幕府徳川家光公より、朱印地三十石・反別三町六反五歩、受領あり。
明治五年7月27日、郷社に列せられる。昭和九年4月7日、県社に昇格する。」
中腹には「大」の字があるのはお分かりだろうか?
神社でありながら仁王像が配されている。この門に掲げられている扁額には「高顕院(正式寺院名:白雲山高顕院石塔寺)」という別当寺であった名が刻まれています。神仏習合を感じさせる門です。
扁額には「白雲山」と刻まれている。