まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

不動明王

龍本山松井田院不動寺 関東八十八ヶ所の御朱印&不動明王の念珠(群馬県安中市松井田町)5

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 群馬県安中市の西部、国道18号線の崖下にお寺はありました。

 最寄り駅は、JR信越本線「松井田駅」になります。

 お寺専用の駐車場はありました。自動車は十台位は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は次の通りです(雄山閣出版刊『日本名刹大事典』による)。
「真言宗豊山派。竜本山、松井田院。本尊は千手観音。
 開創は寛元元年(1243)。開山は慈猛。開基は不明。鎌倉仏教の成立に刺激され、真言宗では関東への進出が見られた。その中心寺院が醍醐三宝院の頼賢の開いた鎌倉の常楽院である。頼賢の主な弟子の中に、下野の徳星寺を開いた慈猛がいる。この慈猛が当寺を開いたことななっている。開山以降の寺伝には不明な点が多いが、元亀・天正期(1570〜1591)には武田信玄から寺領が寄せられ、十五世秀算は徳川家康の帰依を受け、その指示で本山に進み、第四世能化となったと伝えられる。安永二年(1773)松井田の大火で類焼し、文政八年(1825)三十二世通音が本堂を再建している。
 『江戸幕府寺院本末帳集成』によると、本寺は山城国醍醐報恩院、朱印地は八十九石六斗余、末寺三か寺、門徒五か寺、脇坊九か寺があげられている。朱印地の広さからも当寺の寺勢、寺格の高さが想像できる。
 寺宝には、木彫不動明王像(県文)があり鎌倉時代の作と推定されている。仁王門(県文)が単層切妻造で蟇股・欄間彫刻には桃山期の遺構が残るとされている。また安山岩製の石塔婆三基(県文)は中世の形式を有し、その中の一つは観応三年(1352)の銘を有する。中世文書では武田家定書二通・垪知康忠状・北条家朱印状・大道寺政繁判物の五通を所蔵する。」


 妙義山や碓氷峠の近くに寺院はありました。
 山門
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 参道
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 不動堂は「不動明王」が祀られています。
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 北関東三十六不動尊霊場四番札所の札所本尊になります。
 戦国時代の武将「武田信玄」も戦勝祈願に詣でた不動明王とされます。

 本堂は千手観音が祀られています。
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 関東八十八ヶ所二番札所、新上州三十三観音霊場二十一番札所の札所本尊になります。
 境内からは妙義山が見えました。

 鐘楼堂
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 御朱印は、不動堂右側にある庫裡にて頂きました。千手観音(上州三十三観音霊場・関東八十八ヶ所)、不動明王(北関東三十六不動尊霊場)があります。御朱印代は各300円です。
 なお、北関東三十六不動尊霊場三番札所「室田滝不動尊」のご住職が不在の場合、四番札所のこちらの寺院で納経受付をしています。

 御朱印を頂いた際に武田信玄が詣でたとされる不動明王のお姿が入った腕輪念珠を頂きました。500円になります。
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 腕輪念珠(三種類、各500円)、交通安全御守(500円)の授与品はありました。またオリジナルではない御朱印帳(一冊1,100円)があります。
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寺院名:龍本山 松井田院 不動寺
所在地:群馬県安中市松井田町松井田甲987番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:千手観音
札所等:北関東三十六不動尊霊場 四番札所
    上州三十三観音霊場 二十一番札所
    関東八十八ヶ所 二番札所
御詠歌:その上は 幾夜経ぬらん たよりにも 千歳はここに 松井田の里

小野山祥真院得成寺 小野小町開基の寺(群馬県富岡市相野田)5

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 群馬県富岡市にある寺。

 山門を右にいくと墓地があり、そこに駐車するスペースがあった。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗供戮茲衄歓茵法
「この寺の縁起は小野小町の開基説と江戸時代の亮賢に関するものとに大別できる。
 まず小町開基説では、朝廷に仕えていた小町が任を終え故郷の出羽国に戻ろうと、当地にさしかかった折りに重い病気にかかった。小町は庵を設け仏道修行に専念して病の全快を祈った。この庵を小野山普済寺と称したという。彼女は祈願所に薬師像を祀り、千日願をかけて日参しては病気全快を祈った。しかし、満願日になっても全快しないために、彼女が、『南無薬師まずは諸願の叶はずば、身より仏の名こそ惜けれ』という歌を詠むと、その晩に薬師尊が夢枕に立ち、『むらさめは唯一時のもぞかし おのが身のかさここにぬぎおけ』とこたえた。翌朝には病気が全快したために彼女は薬師像に塩を贈ったことから塩薬師と呼ぶようになったという。うらびれた晩年の小町像も寺に保存されている。
 現在、塩畑堂橋近くにある塩畑道が彼女の日参した堂であるという。
(中略)
 寺伝は貞応元年(1222)に心全律師が開山となったと続く。心全は高野山から不動尊を背負って来て本尊としたという伝承に基づくと、ここから真言宗が始まると同時に開山・開基のそろう寺院としての体制が整ったことになる。なお、紀年命不詳の板碑も三基あるので、当寺の創建が中世であったのは確かであろう。
 幕末に鋳造されたと思われる上野国甘楽郡小野郷小町山得成寺鐘銘並序には、『寛永十六年(1639)、第八世の亮賢が広大で美麗な寺を再興した。このことが徳川綱吉の耳に達し、金屏風・御紋付呉服一重を拝領した。』旨の銘文が刻まれている。寛永十六年で第八世ということは真言宗としての寺歴は貞応元年まで遡ることができないと考えられよう。
(中略)
 このような関係から当寺は朱印地三十石、また七日市藩より寺領九反歩の寄進を受けている。
(中略)
 当寺は碓氷郡八幡村の大聖護国寺は末寺であったが、昭和十六年(1941)7月に奈良県の長谷寺の末寺に替わっている。本尊の不動明王は平安期の様式を整えているために昭和四十九年に市指定重文となったが、平成十一年に県指定重文となった。」


 山門。
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 本堂。
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 小高い山の中腹にある真言宗豊山派の寺。小野小町開基、心全律師が開山。ただ、寺院としての繁栄し始めたのは江戸時代に亮賢和尚が住職となってからのようだ。亮賢は、徳川綱吉に命じられ音羽護国寺となった僧侶だ。

 緑が多く、静かなお寺である。

 鐘楼堂。
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 境内には小野小町の化粧井戸がある。
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 御朱印は、境内の左側にある寺務所にて頂きました。書き置きで御朱印代は300円です。
 御朱印には「勝軍不動」と書いてあるのだろうか?どのような不動明王なのか気にはなる。拝観はできるのだろうか?





寺院名:小野山 祥真院 得成寺(とくじょうじ)
所在地:群馬県富岡市相野田245番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:不動明王
開 基:小野小町

御瀧山明王院泉龍寺 北関東三十六不動尊霊場(栃木県小山市乙女)5

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 栃木県小山市にあり真言宗豊山派に属するお寺になります。

 最寄り駅は、JR宇都宮線「間々田駅」になります。西口を出て、徒歩では十数分位かと思われます。

 駐車場は、入り口前にありました。自動車は、5台位は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです。
「乙女不動尊再建記念碑
 正徳四年(1714)泉龍寺中興の祖、淳元大和尚により不動堂は建立され近郷近在に多くの信仰を集めておりました。
 大聖不動明王(伝説によれば、日光中善寺湖中より発見されたと伝えられ、又は正慶二年(1333)の作か、南北朝時代北朝の年号)をおまつりしておりました由緒ある不動堂は平成七年(1995)八月十日落雷による火災にあいました。
 幸いにも住職により御本尊不動明王は無事搬出され、建物の貴重な文化的遺産である彫刻及び柱等は消失を免れることができました。
 再建に当たっては建設委員会を結成し、泉龍寺総代、世話人が当たり、町内会の協力を得ました。
 建築費の財源については、火災保険金及び壇信徒の浄財を勧募して充当致しました。
 建築は檀家の山中建築が請負、宮大工の生井建設と共同で施工され近郷にない立派な不動堂を再建することが出来ました」


 入り口になります。
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 鐘楼門になります。
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 参道の両脇には花が咲いていました。
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 不動堂になります。
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 乙女不動が祀られています。北関東三十六不動尊霊場の札所本尊になります。

 本堂になります。
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 大日如来が祀られています。

 御朱印は、庫裡にて頂けました。御朱印代は300円です。



寺院名:御瀧山 明王院 泉龍寺
所在地:栃木県小山市乙女一丁目25‐8
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:大日如来
札所等:北関東三十六不動尊霊場 十三番札所
御詠歌:水掛けて祈りの水をふらしつつ 病苦の民を救う不動尊

少間山龍泉寺 大開運御守(埼玉県熊谷市三ヶ尻)5

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 埼玉県熊谷市にある真言宗豊山派の名刹「少間山龍泉寺」にて「大開運御守」を頂きました。
 何故かここ一年くらいでがらりと雰囲気が変わったお寺。
 不動明王を本尊とし、観音堂の観音様は「三ケ尻観音」として知られていたお寺でしたが何故か弘法大師・興教大師を厄除・開運大師として宣伝し始める(´・ω・`) 
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 境内全景
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 観音様
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寺院名:少間山 観音院 龍泉寺
所在地:埼玉県熊谷市三ヶ尻3712番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:不動明王
通 称:三ヶ尻の観音様、熊谷観音、埼玉厄除開運大師
札所等:関東八十八ヶ所 八十三番札所
    ぼけ封じ関東三十三観音霊場 二十九番札所
    彩の国武州十二支霊場 子年守護
    忍三十三観音霊場 二十九番札所
    幡羅郡新四国八十八ヶ所 三十八番札所
御詠歌:少間(さやま)なる 龍の泉を 訪ぬれば 降魔不動の お慈悲あふるる


埼玉開運厄除大師龍泉寺(埼玉県熊谷市三ヶ尻)5

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 埼玉県熊谷市の西部、深谷市に近いところにお寺はありました。
 国道140号線(彩甲斐街道)沿いで、「観音山」の麓にあります。

 最寄り駅は、JR高崎線「熊谷駅」or 「籠原駅」、秩父鉄道「大麻生駅」or 「明戸駅」になります。どの駅からも徒歩で行くのは大変かと思われますので、出来れば自動車で行かれた方が宜しいかと思われます

 駐車場は、門前にありました。自動車は、10台以上は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(雄山閣出版刊『日本名刹大事典』による)。
「真言宗豊山派、少間(さやま)山、観音院。本尊は不動明王。
 江戸時代初期、心海は開山、小此木紀伊守を開基として創建。これ以前、当地には少間ガ池(現川本町瀬山)から出現したと伝える千手観音を安置する観音堂があり、この別当寺として創建されたのかもしれない。
 天保三年(1832)渡辺崋山は田原藩主家譜編纂のため、藩祖がかつて領した三ヵ尻村調査にあ当り当寺を訪れ『訪瓺録(ほうへいろく)』を残した。同書のほか、寺には華山筆『双雁図』山門格天井図のうち『松図』が残り県文化財に指定。
 寛政七年(1795)『新義真言宗本末帳』によれば本寺は針ヶ谷弘光寺(現岡部町)。
 年中行事には正月15日の千手観音縁日がある。」


 山号である「少間山」は、「さやまさん」と読むそうです。私は読めませんでした(・ω・)

 国道沿いにありますが、熊谷市や深谷市の中心部からかなり外れていますので、周辺は長閑な田園地帯になります。しかし、太平洋セメントの工場もありますので、ギャップがあります。
 けれども、境内は静かですのでゆっくり参拝できます。

 山門です。
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 山門を入ると、正面が本堂になります。
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 「不動明王」が祀られており、関東八十八ヶ所の札所本尊になります。

 観音堂へ向かう山門。
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 平成平和大観音になります。
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 境内の左側にある小高い丘には観音堂があります。
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「千手観音」が祀られており、「熊谷観音」や「三ケ尻の観音様」とも呼ばれています。忍観音霊場と十二支霊場の札所本尊になります。

 渡辺崋山所縁のお寺です。
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 観音堂横の桜は満開です。
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 鐘楼堂になります。
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 一回撞きました。

 御朱印は、本堂の右側にある「庫裡」で頂けました。御朱印代は300円でした。





寺院名:少間山 観音院 龍泉寺
所在地:埼玉県熊谷市三ヶ尻3712番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:不動明王
通 称:三ヶ尻の観音様、熊谷観音、埼玉厄除開運大師
札所等:関東八十八ヶ所 八十三番札所
    ぼけ封じ関東三十三観音霊場 二十九番札所
    彩の国武州十二支霊場 子年守護
    忍三十三観音霊場 二十九番札所
    幡羅郡新四国八十八ヶ所 三十八番札所
御詠歌:少間(さやま)なる 龍の泉を 訪ぬれば 降魔不動の お慈悲あふるる
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