群馬県邑楽郡千代田町にある「赤岩山 地蔵院 光恩寺」に参拝してきました。
千代田町の南部、利根川に近いところにお寺はありました。
お寺専用の駐車場はありました。
自動車は、数十台は停められそうです。
こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊「ぐんまのお寺 真言宗機廚茲螳貮抜粋)。
「寺伝によると、『人皇二十一代雄略帝、穴穂宮のために勅して、全国に九箇の伽藍を建立した、その内の一つにはじまるという。推古天皇十一年(603)秦河勝を使として佛舎利三粒を納め、同三十三年(625)高麗の僧恵灌が来住、嵯峨天皇御宇、弘仁五年(814)弘法大師に賜り、永く真言の道場としたことにより、弘法大師を開基とした。
醍醐天皇の御宇、昌泰年中(898〜901)大臣菅丞参詣金泥紺紙に佛説海龍王教一巻を書写し納める。一條天皇御宇、長保暦中(999〜1004)金岡相模法眼当院に参詣し釈迦千佛を納める。高倉天皇(1168〜1180)御宇運慶巧匠当院に参詣し地蔵を彫刻し納める。後鳥羽天皇(1185〜1198)御宇陸奥国鎮守府将軍藤原入道秀衡、阿弥陀三尊を彫刻し当院に安置、これが境内の阿弥陀堂の本尊である。
天正十八年(1590)榊原康政の為に寺領を没収される。
文政十三年(1830)閏三月、庫裏・仁王等悉く雷火に罹り、天保年間(1830〜1844)伽藍・僧舎を再営する。また、慶応二年(1866)11月、境内堂宇・境外堂山建物いっさいがっさい灰塵(かいじん)となる。明治元年、御朱印奉還する。……縁起の意を案ずるに、弘仁巳(813)ー元亨(1321〜1324)の間は、寺家内外僧別院十六末寺三千余とした。爾来(じらい)、漸々哀禿天下騒乱の為門末巨多分離した。宝永の頃は、僅かに七十六ヶ寺となる。明治維新の際は四十六ヶ寺を余すと言えども、同六年に至り無縁無檀の寺院を廃止し現在の末寺二十六寺となる。(中略)』
寺は、慶応二年十一月に廃墟となり、これまでの壮麗さは失ってしまったが、有縁の浄財により、明治二十六年(1893)、現況のように見事に復活した。
(後略)」
こちらが山門になります。
入ると左側には「地蔵菩薩画像板碑」がありました。
境内には長屋門がありました。
これは、日本で最初の医師免許を持った女性医師「荻野吟子」の家の門を移築したものです。
荻野女史の石像がありました。
境内を右に行くと阿弥陀堂がありました。
堂内には「阿弥陀三尊」が祀られています。
群馬県指定重要文化財だそうです。
なかなか立派な阿弥陀様です。
本堂に祀られているのは「不動明王」になります。
堂内では護摩を修していますので、祈祷祈願が受けられるようです。
御朱印を頂く際に堂内に入り、参拝でました。
堂内の天井には、吉田左源二画伯の竜王の絵が描かれています。とても立派でした。
御朱印は、「不動明王」・「地蔵菩薩」・「薬師如来」の三種類ありました。
御朱印代は、各300円(納経帳)・500円(北関東不動尊霊場納経軸)になります。
御御影を一体頂きました。
北関東三十六不動尊霊場の御朱印を頂くと御御影が無料で頂けます。
寺院名:赤岩山 地蔵院 光恩寺
所在地:群馬県邑楽郡千代田町赤岩1041番地
宗 派:高野山真言宗
本 尊:不動明王
通 称:赤岩不動尊
札所等:北関東三十六不動尊霊場 十一番札所
関東百八地蔵尊霊場 二十一番札所
関東九十一薬師霊場 四十番札所
御詠歌:はちす葉の 露の垂る木を 白妙の 玉かと磨く 寺づくりかな