東京都千代田区の皇居の田安門の所に神社は鎮座していました。
最寄り駅は、東京メトロ半蔵門線・東西線、都営新宿線「九段下駅」になります。「1番出口」出て、徒歩で数分位かと思われます。
神社専用の駐車場はありました。いくらかは分かりませんが、有料のようです。
こちらの神社の由緒は、次の通りです(國學院大学日本文化研究所編『神道辞典』による)。
「〈祭神〉幕末以来大東亜戦争までの国事殉難の英霊二百四十六万余柱
〈例祭日〉4月21日〜23日(春季例大祭)、10月17日〜19日(秋季例大祭) 〈神事〉新年祭(1月1日)、みたま祭り(7月13日〜16日)
〈由緒〉明治元年(1868)5月10日、太政官は幕末以来の国事殉難者ならびに戊辰の役の殉難者の霊を京都東山に祭祀するよう布告し、6月2日には、江戸城西丸広間において東征大総督有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が東京・奥州の各地で戦没した官軍将兵の招魂祭を執行した。
以後、戊辰の役の戦没者を祀る招魂社の創立の気運が各地で高まったが、東京においては、翌明治二年6月12日、明治維新達成の犠牲となって国事に殉じた三千五百八十八柱の御霊を、現在の九段坂上の地に招魂社を創建して鎮祭することが決定した。同年6月29日、勅使五辻安仲が差遣わされ、小松宮嘉彰親王が祭主となり鎮座祭が斎行された。これが靖国神社の起源で、はじめ東京招魂社と称したが、明治十二年6月、靖国神社と改称し、別格官幣社に列せられた。
この間、京都ならびに各藩の招魂社に祀られていた嘉永六年(1853)以降に斃(たお)れた維新の志士、陣没者をはじめ、佐賀、神風連(しんぷうれん)、秋月、萩の各乱と、西南の役の犠牲者を逐次合祀し、殉国者を祀る国家の神社としての基礎が確立された。
その管轄には当初、内務省、海軍省が当たったが、実質的に陸軍省が主として管轄した。以来、日清・日露・第一次世界大戦をはじめ、事変、戦没、ことに第二次世界大戦に殉じた御霊を生前の身分、階級に区別なく合祀奉斎して、その数二百四十万余にも及ぶ。そのうちには女性祭神の約六万柱も含まれている。
7月のみたま祭りには英霊の御霊を慰める多数の提灯が境内に灯される。
また、遊就館には英霊の遺品、軍事品が展示されている。
現在は神社本庁に属さない単立の神社である。
〈旧社格〉別格官幣社(明治十二年)」
護国の英霊を祀る神社になります。
参道途中には大村益次郎の銅像がありました。
参道途中には売店があり、お土産を買ったり食事ができたりします。
(´人`)
遊就館があり、内部は拝観できます。売店があり、そこは無料ゾーンです。
御朱印は、社務所の御朱印受付で頂けます。御朱印代は300円です。