栃木県足利市の東部に寺院はありました。
寺院専用の駐車場はありました。自動車は、数十台は停められそうです。
最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。
こちらのお寺の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。
「天台宗 龍泉寺縁起
当寺は、元久二年(紀元1205年3月)の開創であり、2005年には開山800年を迎えた。権現堂と称し比叡山の直末寺である。開山は叡海地蔵上人様であり、紀州那智(現在の和歌山県)の人である。ある夜の夢に異形の人が現れ、告げて曰く『吾と汝と共に日本六十余州を巡礼し、六十六部の経典を各霊場に納め、汝の終焉の地に吾を奉ぜよ。吾は是、熊野権現、吾は汝なり、汝は是れ我なり』と言うなり霞の如く消失したという。上人は夢より覚めると、諸国の霊場巡礼の旅をし、下野国足利郡に来たり、此の地に霊感を感得する。即ち霊夢に見る所の地と思い、一堂を建立し、熊野権現を勧請し安置す。此が権現堂の由来であり、時に上人御年六十六歳、翌年元久三年上人は当地に於いて入寂する。
室町幕府時代の末までは足利氏の帰依が厚く、特に第十四代将軍足利義栄は当寺に、福聚山心性教院龍泉寺の号を定め、命により永禄十一年 天台座主二品応胤親王より比叡山戒心谷の永代末寺に定められた。
桃山時代に入り、足利城主長尾但馬守顕長は当寺の霊仏を厚く帰依信仰し、館林に楞嚴寺、及び薬師十二神将等を寄進した。しかし長尾家滅びし後、当山も衰退し、江戸時代正徳の頃、当山の元三大師(厄除大師)を再興し、厄除けの守護仏として、其の名を近郷近在に知られ、正月には大祭を執行する。
元三大師(912〜985)は、名を良源、大師号を慈恵大師と言う。『厄年』『おみくじ』等はお大師様が創始者であり、俗に元三大師と言われるのは正月3日に亡くなられたからです。
当山に安置されている元三大師様は、『足利厄除大師様』として古くから近郷近在の多くの人々の信仰を集めております。正月元旦から節分にかけて大祭が開催され、『縁起ガラマキ式』『ダルマ市』等で大変賑わっております。」
「足利厄除大師」として知られるお寺になります。
山門になります。
藤棚。
4月下旬〜5月上旬は、藤が見頃かと思います。
本堂になります。
御朱印は、本堂に向かう参道右側にある授与所にて頂きました。500円になります。オリジナル御朱印帳はあります。
待っている間に本堂に併設されている「龍泉寺美術館」が拝観できました。
御札や御守り、念珠といった授与品はありました。私は、身代り御守を頂きました。
寺院名:福聚山 心性教院 龍泉寺
所在地:栃木県足利市助戸一丁目652番地
宗 派:天台宗
本 尊:釈迦如来
通 称:足利厄除大師
札所等:ぼけ封じ関東三十三観音霊場 二十四番札所
関東百八地蔵尊霊場 四十番札所
御詠歌:よ川なる 流れを汲みて 龍泉寺 大慈大悲の 誓いたのもし
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