埼玉県久喜市の北西部、加須市に近いところに神社は鎮座していました。
最寄り駅は・・・
神社専用の駐車場は東側にありました。自動車は4〜5台位は停められそうです。
こちらの神社の由緒は以下通りです(由緒書きによる)。
「当社は、袋田明神社と号していた。
『風土記稿』菖蒲町の項には『袋田明神社 祭神は稲田姫命と云う。神体銅鏡にて本地薬師の像を彫れり、裏に寛文九年(1699)と見ゆ、合殿に鷲宮・久伊豆の両社を置り、吉祥院持、末社稲荷天神合社 雷電大黒天金比羅秋葉聖徳太子合社』と記されている。
当社の鎮座地は、菖蒲城主佐々木氏の陣屋跡と伝えられる地のすぐ南西に位置しており、佐々木氏により中世末期に再建されたものと推測される。
当社の大元となった袋田明神社の社名は、近在の鷲宮神社(武夷鳥命)、玉敷神社(大己貴命)のお袋(母親)が稲田姫であることに由来すると伝えられている。また、見沼代用水の開削以前に旧河川のこの辺りを袋状に流れ、一面に田が広がっている所に坐す神に由来するとも考えられている。」
「菖蒲宮本」という交差点のすくそばに鎮座しています。境内の東には公園がありました。
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