東京都港区の愛宕山(愛宕神社)の北にお寺はありました。
最寄り駅は、東京メトロ銀座線「虎ノ門駅 (1番出口)」、東京メトロ日比谷線「神谷町駅(3番出口)」、都営三田線「御成門駅(A5出口)」になります。各駅から寺院まで徒歩約10分位はかかりそうです。
駐車場は見当たりませんでした。自動車で行かれる方は、周辺の有料駐車場をご利用ください。
こちらの寺院の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京都港区愛宕にある真言宗智山派の寺院。摩尼珠山宝光院。本尊は薬師如来。
天正十九年(1591)照海(しょうかい)が江戸鉄砲洲に庵を創建したのに始まる。
新義真言宗江戸四箇寺の一つで触頭。朱印寺領は百石。」
また、雄山閣出版刊「日本名刹大事典」によると次の通りです。
「真言宗智山派、摩尼珠山、宝光院。本尊は大檀那浅野幸長寄進の等身の薬師如来。江戸時代における新義真言宗の触頭『江戸四箇寺』の一つ。同宗智山方の本山移転寺の一つ。府内八十八か所の六十七番札所。
開山は照海(元和二年二月没)。下総国匝瑳郡谷辺村の真福寺住僧照海が天正十九年(1591)に青山忠成(関東総奉行・江戸町奉行)の請待(しょうたい)で江戸鉄砲洲に草庵を構えたのが起源。照海は慶長十年(1605)徳川家康に目見をし、愛宕に寺地を拝領して鉄砲洲から引移り下総の寺名をうつし、真福寺と号した。『義演准后日記』慶長十五年4月9日条に、当時諸家を祈祷檀那にもち繁栄した旨が記され、また同月義演から山号・院号を下され三宝院の直末となった。『寺社書上』には慶長十五年に触頭役に任ぜられたとするが疑わしく、同時史料で確認できるのは元和八年までくだる。元禄五年(1692)6月に徳川綱吉から百石を拝領した。
寛永十年(1633)『関東真言宗新義本末帳』には本寺三宝院、末寺二、門徒十五。寛政七年(1795)『新義真言宗本末帳』には本寺三宝院、朱印百石、江戸・武蔵内の末寺十七、又門徒二のほか、他国にも末寺を獲得している。
智山方の移転寺であったため、本山智積院能化に昇った者も多い。
現在は総本山智積院の東京別院で、智山派の宗務出張所が設けられている。」
私の家は真言宗智山派の寺院の檀家になっており、以前に副住職さんに聞いたところ、「愛宕真福寺の末寺となっている」とのことをおっしゃっていました。
真福寺の末寺ならばと思い、12月6日に参拝させていただきました。
お寺の外観は、まるでオフィスビルになります。
寺務所に関しては、真言宗智山派宗務出張所を兼ねているので、「平日のみ」僧侶や職員の方々が詰めているようです。
僧侶がスーツを着て仕事をしているので、何だかどこかの会社の面接に来たようです。
2階が「本堂」になります。
本尊である薬師如来が祀られています。御府内八十八ヶ所の札所本尊になります。
御朱印は、1階の寺務所で頂けました。御朱印代は300円になります。
由緒書きはありました。頂きたい旨を告げると頂けました。
授与品として御守り(一種類、一体500円)、念珠ストラップ(一体1,000円)、護摩祈木(一体200円)がありました。
頂きたい方は1階の寺務所に申し出てください。
寺院名:摩尼珠山 宝光院 真福寺
所在地:東京都港区愛宕一丁目3‐8
宗 派:真言宗智山派
寺格等:総本山智積院東京別院 新義真言宗触頭・江戸四箇寺
本 尊:薬師瑠璃光如来
別 称:愛宕薬師
札所等:御府内八十八ケ所霊場 六十七番札所
御詠歌:うえおきし こまつおてらを 眺むれば 法のおしえの 風ぞ吹きぬる
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