前橋厄除大師蓮花院に参拝してきました。真言宗智山派に属するお寺になります。
以前の参拝日記→こちら
群馬県前橋市の東部、伊勢崎市に近いところに寺院がありました。
少し北には北関東自動車道、南にはJR両毛線が走っています。
最寄り駅は、JR両毛線「駒形駅」になります。
駅から徒歩で寺院まで30分位はかかりそうです。
駐車場は、門前と寺院裏にありました。
自動車は、合わせて100台以上は停められそうです。
こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗機戮茲螳貮抜粋)。
「(前略)
『寺院明細帳』によれば、栃木県の出流山千手院満願寺の末とある。真言宗であり、新義真言宗智山派と追記されている。
由緒沿革記によれば、天分二年(1533)勢多郡荒砥村大室の住人玉泉坊の開基という。その後、十世の間は各宗の僧侶が相続し、宮城村鼻毛石の赤城寺を本寺としたという。享保四年(1719)下野出身の第十一世宥尊上人が、下野出流山千手院住職宥盛に従って求法を継ぎ、今宮山蓮花院増田寺と称した。
(中略)
元禄三年(1690)十二世舜賀上人の代に堂を改築したが、宝暦年間(1751〜1764)に類焼にあい、本堂を残して、土蔵、鐘楼、山門などを焼失した。ほんどうは今に伝わる。舜賀上人を中興開山としている。この舜賀上人は大黒天を自ら刻んでいる。
明治二十五年(1892)5月、本堂改築の際に知事の許可を得て、武州大師河原平間密寺、川崎大師の第一分身、甲子大黒天を安置した。これについて『明細帳』には明治二十一年三月九日に厄除弘法大師 武蔵国江原村平間寺分体安置で出願、五月十四日許可とある。表門前の石碑には明治二十年(1887)十二月二十五日仮安置とも刻まれている。今本堂に本尊として安置されているのは厄除弘法大師像である。表門をくぐった楼上にも弘法大師の像が立つ。
(中略)
本尊の聖観音菩薩は天文二年(1533)京都の仏師鈴木民部の作という。この仏像は開山の玉泉上人が依頼して作らせたものという。また、浩玄が造った観音菩薩もある。これは明応七年(1498)の作という。
正月の厄除け祈願には大変な参詣者がある。
(後略)」
前橋市といっても市街地からかなり外れていますので、周辺は田園地帯となり長閑です。
こちらの寺院は「蓮花院」という寺院名ですが、「前橋厄除大師」の通称で知られています。
周辺の道路には、お寺の看板が出ています。自動車で行かれる方は、目印にしてください。
こちらが山門になります。
直接は入ることはできません。参拝者用入り口より入ります。
境内はとても狭い位です。
その中にところ狭しと仏像が祀られています。
地蔵菩薩立像
平和観音
ぴんころ地蔵
薬師如来
仏堂
境内の印象はなんとも独特な雰囲気で、まるで仏像博覧会のなんとも不思議な感じを醸し出しています(・ω・)
1月23日に参拝しましたが、雪が完全に解けていないので、滑るのが怖かったです。
本堂になります。
本尊である「聖観音菩薩」が祀られています。この観音様は、関東八十八ヶ所・新上州三十三観音霊場・ぼけ封じ関東三十三観音霊場の札所本尊になります。
他にも川崎大師平間寺よりの勧請である「厄除弘法大師」も祀られています。
境内中央には鐘楼堂がありました。
お正月は、祈祷祈願を行う方々で混みあうようです。今の時期以降は、毎週日曜日午前10時より護摩祈祷が行われておりますので、ご希望の方はお寺までお申し込みください。
私が参拝したときも祈祷祈願の申し込みをされている方々がいらっしゃいました。
こちらの寺院の副住職さんは、テレビ朝日「ぶっちゃけ寺」に出演されている尼さんです。
その方のブログは→こちら
授与所に入るといらっしゃるかなぁと思い、入ってみると女性職員の方一人だけでした(._.) 残念です。
授与所で祈祷済みの諸願成就の御札を一体頂きました。1,000円でした。
他にも各種御守り(800円)や各種御札(1,000円)がありました。
御朱印はあります。
汎用納経帳(1,500円、11cm×16cm)、ぼけ封じ関東三十三観音霊場専用納経帳(1,000円)、関東八十八ヶ所専用納経帳がありました。
ちなみに裏手にある駐車場には、石像七福神像がありました。
ずいぶんでかい七福神です。(´人`)
裏門(裏参道)になります。
ε=ε=┏(・_・)┛
寺院名:今宮山 増田寺 蓮花院
所在地:群馬県前橋市下増田町1626番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:聖観世音菩薩 弘法大師
通 称:前橋厄除大師
札所等:関東八十八ヶ所 五番札所
上州三十三観音霊場 十三番札所
ぼけ封じ関東三十三観音霊場 十八番札所
御詠歌:誓願も めぐみもあらたか 観世音 上州の里に 四方も照らさん
赤城山 大師の御手に 導かれ 長寿福寿を 願うこの寺