群馬県太田市にある「脇屋山正法寺」に参拝してきました。
高野山真言宗のお寺になります。
最寄り駅は、東武桐生線「治良門橋駅」になります。
徒歩では、30分以上はかかるかもしれません。
駐車場は、お寺入り口の右側にありました。
自動車は、5〜6台位は停められそうです。
こちらのお寺は、太田市の市街地からかなり外れていますので、周辺は田園地帯になり、長閑でした。
寺伝によると、奈良県の醍醐寺を開山した「聖宝」が「源経基」の請願を受けて延喜年間(901〜923年)に開山し、古くは聖宝寺と呼んだと伝えられています。
元暦年間(1184〜1185年)に新田氏の祖「新田義重」が堂塔を修理し、元弘年間(1331〜1334年)には新田義貞の弟「脇屋義助」が脇屋郷及び大般若経600巻を寄進したと伝えられており、「脇屋義助」の菩提所になります。
駐車場に自動車を置き、参拝になります。
参道を進むと、仁王門がありました。
いわゆる山門になります。
こちらの門は、貞享二年(1685年)の建立の門になり、太田市指定重要文化財になっています。
とても立派でした。
門の左右にある仁王尊は、門と同様に太田市指定重要文化財になります。
山門内には、大きな鰐口がかけられていました。
紐がつけてあり、鳴らすことも出来ました。
こちらが由緒です。
なかなか古そうです。
山門を入ると、正面には本堂がありました。
「聖観音」が祀られています。
聖観音像は、鎌倉時代初期に作られたと考えられており、群馬県指定重要文化財になっています。
12年に一度午年に開帳されるそうです。
参拝したときは、残念ながら拝むことは出来ませんでした。
また、江戸時代に旧本堂は火災にあってしまい、現在は観音堂を本堂にしています。
こちらが本堂に掲げられていた扁額です。
どなたが書かれたのでしょうか?
「東上州三十三観音霊場 十九番札所」と「上州新四国八十八ヶ所 五十七番札所」になっており、古くからの霊場として、参拝者がいらっしゃるようです。
本堂の左側には、脇屋義助像がありました。
建立されて、それほど時間は経っていないようです。
兄弟そろって悲劇の武将になってしましました。
本堂の裏手には、脇屋義助の遺髪塚がありました。
ひっそりとありました。続きを読む
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