まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

2014年03月

萩原諏訪神社(群馬県伊勢崎市)3

群馬県伊勢崎市に鎮座する「萩原諏訪神社」に参拝してきました。

同市内に鎮座する「瑳珂比神社」の兼務社にあたります。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「境町駅」になります。
徒歩では、十数分位はかもしれません。

駐車場は、見当たりませんでした。
近くにはベイシアが有りますので、長時間でなければ停められそうです。


こちらの神社の由緒は、次の通りです(境内の案内板より)。
「祭神建御名方命は古事記に依るに大国主命の第二子にして出雲国を天照大神に立奉りたる後信濃国に降り、民を慈しみ良き政を為せるに依り近隣の諸民その徳を偲び五穀豊穣、家内安全、商売繁盛、開運招福の神とし諏訪大社にその霊を祀る。
当社は天正年間(1573〜1591)諏訪大社の分霊を奉遷し剛志村下武士に鎮祭せしを天保九年(1838)萩原の有志相計り住民五十余戸の賛助を得てこれを譲り受け現在地に鎮座せられる。
明治の代になり神厳維持の為の一村一社主義に則り住民の協賛を得て金銭及び土地を拠出し定められた資格を具備し先に掲げたる御利益と共に永久の平和と文化の発展を祈念し今日まで年々独自の祭祀を怠ることなし。
近年社屋の老朽著しきため区民並に近隣の崇敬者の奉賛に依り現在の社殿の建て替え並に豊川稲荷神社及び水舎の屋根の葺き替え等完成す。」


こちらが鳥居になります。
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鳥居に掲げられていた扁額です。
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社号標になります。
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何だか「萩原」だけが後で付け加えたような・・・

境内の左側には、手水舎がありました。
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こちらが境内社になります。
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稲荷神社・秋葉神社・八坂神社・大国神社・春日神社・八幡宮になります。

(´人`)

右側には、庚申塔がありました。
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こちらが社殿になります。
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(´人`)

社殿に掲げられていた扁額です。
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何だか新しい感じがします。

社殿の左側には稲荷社鎮座していました。
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鳥居の扁額をみると「豊川社」と書かれています。

つまり豊川稲荷社です。
豊川稲荷って曹洞宗のお寺なのに・・・

こちらが豊川社の社殿です。
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(´人`)

お狐様もいらっしゃいました。続きを読む

世良田八坂神社(群馬県太田市世良田町)4

群馬県太田市に鎮座する「世良田八坂神社」に参拝してきました。

群馬県太田市の南部、伊勢崎市に近いところに神社は鎮座していました。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「世良田駅」になります。
徒歩では、約15分位はかかりそうです。

駐車場は、鳥居前にありました。


こちらの神社の由緒は、次の通りです(案内板より)。
「八坂神社の創建は明らかでないが、縁起によれば新田氏代々の崇敬社であり、織田信長も同社を崇拝し社殿を修造したという。
また尾張国(愛知県)津島天王社の分霊を移したとも伝える。
これは世良田政義の娘と南朝の王子尹良親王との間に出生した良王が、津島天王社の神主となったという故事によるものであろう。
『永禄日記』(長楽寺蔵)の永禄八年(1565)六月七日の条に、『天王祭ヲイタス』とあり、古くは『牛頭天王』を祀る天王社であった。
江戸時代は神宮寺(大正二年普門寺へ合併)が奉仕し、世良田・女塚・境・三ツ木・粕川村など五ヶ村の鎮守であったが、明治初年さらに平塚・村田村・木崎宿などが加わり、二十四ヶ村の郷社とされ、八坂神社と称した。
当社は、農業・疫病除けの神として広く信仰されている。
特に夏祭は『世良田祇園』として知られ、かって十一台の屋台が繰り出して競う祇園ばやしは、夜空にこだまして絢爛幻想の世界を現出し、関東の三大祭の一つに数えられた。
近年は交通事情により祭りの規模は縮小されているものの、村人により祭り屋台・囃子が良く保存されており、神輿の渡御などに『世良田祇園』の伝統が受け継がれている。」


国道354号線から少し北へ行ったところに神社は鎮座しています。

こちらは鳥居になります。
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木造のようです。

こちらは手水舎になります。
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手と口を漱いで参拝です。

境内は静かになります。

こちらは案内板になります。
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由緒が記されています。

境内には入ると正面には社殿が鎮座しています。
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(´人`)

社殿は、織田信長が造営を命じたとも伝えられていますが、どうなんでしょうか?

こちらが本殿になります。
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なかなか立派です。

境内の右側には、神楽殿がありました。
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どんな神楽が舞われるのでしょうか?

大きな舞台もありました。
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こちらでも神楽が舞われるのでしょうか?続きを読む

義重山 大光院(群馬県太田市)1

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群馬県太田市にある「義重山 大光院」に参拝してきました。
浄土宗に属するお寺になります。

金山の麓にあるといった感じです。
道路の反対側は、富士重工の工場になります。

太田市営無料駐車場がありますので、自動車で行かれる方はそちらに停めてください。


こちらのお寺の由緒は、次の通りです。(太田市のHPから)
「義重山大光院新田寺は、慶長十八年(1613)、徳川家康により、彼が先祖と仰ぐ八幡太郎源義家の孫新田義重(新田氏の祖)を追善するため、創建された寺院です。
寺号は義重の法名によります。
浄土宗の寺で、江戸時代は関東十八檀林の一寺に属し、幕府から御朱印300石が与えられていました。
寺域は広大で、庫裏、大方丈、小方丈、本堂内陣など創建以来と言われる古い建造物が残ります。
初代住職の呑龍上人は、芝増上寺観智国師四哲の一人で、寺領を割き貧民の子を弟子の名目で養育したことから『子育て呑龍』と呼ばれ、現在でも厚い信仰が寄せられています。」


こちらが吉祥門になります。
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いわゆる山門になります。


由来は、次の通りです(太田市のホームページから)
「吉祥門は間口3間、奥行1間の木造切妻造り、屋根は桟瓦葺です。
三間一戸八脚門と呼ばれる形式に属しています。
元和元年(1615)に仮の門として建立されたと伝えられ、大坂城落城の日に上棟したことから吉祥門と名付けられたとされています。
門には数回の改修跡があり、徳川家の家紋である三葉葵など数種類の瓦が混在していました。
しかし、平成12年に屋根の全面修復を行い、建立当時の瓦と推定される『丸に三葉葵』の家紋が入った瓦屋根が復元されました。」


石標です。
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こちらが参道です。
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先に進みます。

右側には、鐘楼堂がありました。
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どんな音色なのでしょうか?

左側には手水舎がありました。
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手と口を漱いで参拝です。

先に進むと本堂がありました。
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(´人`)

本尊である「阿弥陀如来」が祀られています。

こちらが本堂に掲げられていた扁額です。
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通称「大光院」ですが、寺号は「新田寺」になります。

本堂の前には、「臥龍松」がありました。
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神社で言うところの「御神木」といった位置付けなんですね。
なかなか立派な松です。

こちらが臥龍松の案内板です。
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境内の左側には、開山堂がありました。
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開山住職になる「呑龍上人」自作の御尊像が祀られています。
こちらで祈祷が行われています。続きを読む

東日本大震災

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今年も3月11日がやって来ました。

あの日は、職場にいました。
大変な揺れでした。
いまだに思い出します。
あの嫌な体験は二度としたくはありません。

復興は、どれだけ進んでいるのでしょうか?

日頃より防災意識は、持っていたいです。


黙祷!

緑町八雲神社(栃木県足利市)3

栃木県足利市に鎮座する「緑町八雲神社」に参拝してきました。

以前の参拝日記は⇒緑町八雲神社(栃木県足利市)


こちらの神社の由緒は、次の通りです。
「佐野唐沢山城主、下野守藤原村雄(秀郷の父)が夢のお告げにより、貞観年間(859〜876)に創建したと伝えられています。
また『栃木県神社誌』によれば、清和天皇の貞観11年(869)、右大臣藤原基経が、当緑町に上社、5丁目に下社を勅願所として創建したといわれています。
平将門の乱に平定祈願成就により、足利、梁田両郡の総鎮守となり、牛頭天王と呼ばれ広く崇敬を集め、朝廷や国府からの参拝も行われたと伝えられます。
境内に宝憧寺や本町薬師もあったようです。」


こちらが鳥居になります。
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案内板になります。
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こちらが提灯になります。
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足利総鎮守になります。

左には手水舎になります。
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手と口を漱いで参拝です。

先に進みます。
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石段があり、すぐ仮社殿がありました。
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以前の社殿は、火災で焼失してしまいました。

こちらが内部です。
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(´人`)

奉納された御供物がありました。
崇敬する人が多いようです。

お賽銭を納めさせていただきました。

社殿の左側には絵馬にも使われている渡良瀬橋の絵が描かれていました。
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一種の絵馬と言っても良いのでしょうか。
右側には普通の絵馬が奉納されていました。

境内の右側には、境内社が鎮座していました。
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(´人`)続きを読む
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まほろばと申します。

「社寺参詣道 代表師範」になります。

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