栃木県栃木市に鎮座する「富田八坂神社」に参拝してきました。
栃木市の南部、旧大平町に神社はありました。
最寄り駅は、JR両毛線「大平下駅」、東武日光線「新大平下駅」になります。
両駅から徒歩では5分位かもしれません。
神社専用駐車場は、見当たりませんでした。
少し離れた所に「金剛峯山 如意輪寺(下野三十三観音霊場 二十五番札所)」がありました。
こちらの神社の由緒は以下の通りです。
「八坂神社神輿新調記念碑
往昔、千種の里と呼ばれたこの地に、皆川氏の一族である富田氏の居城富田城(富田中根城)が築かれた永享年間(1429〜40)、城内に牛頭天王として祀られたのが、素盞鳴命を主祭神とあおぐ当八坂神社の始まりと伝えられている。
その後、江戸時代の寛永十七年(1640)三月二十二日に牛頭天王は現在の地に移創された。
正保年間(1644〜47)、富田の地は日光例幣使街道が整備されると、奉幣使や日光社参の諸大名、秩父火消同心やその他の諸役人、一般人の往来が頻繁となり、その宿場町として繁栄をきわめたが、享保八年(1723)十一月、宿内に恐ろしい疫病が流行した。
このため氏子たちは一致してその撲滅のため協力しあい、神輿を新調して宿内を巡行これを追散せしめたのであった。
時代は下って明治元年(1868)、牛頭天王は八坂神社と改称し、同二十六年(1893)に富田全域の総鎮守となり今日に至ったが、その間由緒ある神輿は、永い年月を経たことから、老朽化が著しい状況を呈するようになった。
そこで、このたびこれを新調するため、氏子の皆さまの浄財をご芳志いただき、ここにめでたく新しい神輿が完成と相い成ったのである。
以上の由来と、この偉業を後世に末永く伝えるとともに、これを記念してこの碑を建立するものである。
平成六年七月吉日」
こちらの神社は、日光例幣使街道富田宿の総鎮守になる神社になります。
道路沿いに鳥居がありました。
社号碑になります。
境内の左側には、手水舎がありました。
こちらは、神楽殿です。
どんな神楽が舞われるのでしょうか?
こちらが社殿になります。
小ぢんまりしてます。
本殿は覆われていて、見ることは出来ませんでした。続きを読む
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