群馬県桐生市に鎮座する「諏訪機神社」に参拝してきました。
「すわはたじんじゃ」と読みます。
桐生市の東部、真言宗豊山派「諏訪山 観音院」の西隣に鎮座していました。
最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」になります。
駐車場は、見当たりませんでした。
観音院の駐車場を利用させていただきました。
周東隆一著「桐生市史神社編」によると、こちらの神社の由緒は以下の通りです(要約します。)。
「こちらの神社の創建は不詳です。
機神が主祭神で、諏訪社が後年配祀されたようである。
機神社は、明治五年3月3日に無格社に列格。
明治十年宮本町の無格社薬神社を合祀。
明治24年9月に建御名方神を合祀、10月には諏訪機神社と社名を変更したそうです。
諏訪神社は、古く信州の諏訪明神から勧請したそうです。
元禄年間には竹本土佐守より『諏訪山』という額を奉納、石鳥居・石灯籠も建立されたそうです。
諏訪山の額は、お隣の観音院に現存するそうです。
元は、諏訪神社が主体であり、現在のように機神社が主体となったのは、明治40年に旧諏訪神社が常祇稲荷神社に合祀されていたそうで、昭和24年に再度祀り直し、現在は諏訪神社が主体となり古い姿に戻っています。」
こちらの神社は、由緒を考えれば「桐生諏訪神社」と呼んだ方が良いかもしれません。
こちらが鳥居になります。
鳥居に掲げられていた扁額には、諏訪神社とありました。
境内の左側には、「薬神社」が鎮座していました。
祭神は、大己貴命になります。
医薬の神様として信仰されていて、参拝者は多かったようです。
「昭和15年に合祀した」と案内板にはありましたが、周東隆一著「桐生市史神社編」には「明治十年に合祀」とあります。
どうなんでしょうか?
境内の左側には、神楽殿と思われる建物がありました。
そのお隣には、「能書稲荷神社」が鎮座していました。
元は、お隣の「観音院」の別当だったそうです。
祭神は、宇迦御魂命になります。続きを読む
「すわはたじんじゃ」と読みます。
桐生市の東部、真言宗豊山派「諏訪山 観音院」の西隣に鎮座していました。
最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」になります。
駐車場は、見当たりませんでした。
観音院の駐車場を利用させていただきました。
周東隆一著「桐生市史神社編」によると、こちらの神社の由緒は以下の通りです(要約します。)。
「こちらの神社の創建は不詳です。
機神が主祭神で、諏訪社が後年配祀されたようである。
機神社は、明治五年3月3日に無格社に列格。
明治十年宮本町の無格社薬神社を合祀。
明治24年9月に建御名方神を合祀、10月には諏訪機神社と社名を変更したそうです。
諏訪神社は、古く信州の諏訪明神から勧請したそうです。
元禄年間には竹本土佐守より『諏訪山』という額を奉納、石鳥居・石灯籠も建立されたそうです。
諏訪山の額は、お隣の観音院に現存するそうです。
元は、諏訪神社が主体であり、現在のように機神社が主体となったのは、明治40年に旧諏訪神社が常祇稲荷神社に合祀されていたそうで、昭和24年に再度祀り直し、現在は諏訪神社が主体となり古い姿に戻っています。」
こちらの神社は、由緒を考えれば「桐生諏訪神社」と呼んだ方が良いかもしれません。
こちらが鳥居になります。
鳥居に掲げられていた扁額には、諏訪神社とありました。
境内の左側には、「薬神社」が鎮座していました。
祭神は、大己貴命になります。
医薬の神様として信仰されていて、参拝者は多かったようです。
「昭和15年に合祀した」と案内板にはありましたが、周東隆一著「桐生市史神社編」には「明治十年に合祀」とあります。
どうなんでしょうか?
境内の左側には、神楽殿と思われる建物がありました。
そのお隣には、「能書稲荷神社」が鎮座していました。
元は、お隣の「観音院」の別当だったそうです。
祭神は、宇迦御魂命になります。続きを読む
- ブログネタ:
- 神社・仏閣・パワースポット巡り に参加中!