栃木県栃木市の中心部に鎮座する「栃木神明宮」に参拝してきました。
旧県社になります。
栃木市は「蔵の町」と呼ばれており、神社近くにあるファミリーマートが蔵のよいな雰囲気の建物になっていました。
最寄り駅は、JR両毛線「栃木駅」になります。
徒歩では、15〜20分位はかかりそうです。
神社専用駐車場は、境内の社務所の隣に停められます。
境内の北側にある道路から入れます(神明宮出入口という看板有)。
自動車は、10台位は停められそうです。
周辺にも駐車場がありそうです。
こちらの神社の由緒は以下の通りです(由緒書より)。
「下野国栃木の鎮護の神として斉き奉らる。
当社は勧請の因記詳ならずも中興改築の棟札に、応永十壬寅年(第百代後小松天皇の御字)九月十六日正遷宮、天照皇大神、祇園牛頭天皇とあり。
応永の頃は皆川紀伊守の所領にして、同家は藤原氏の系統なるにより其の最も尊崇する素盞鳴雄命を相殿に祭祀せるものなるべし。
爾来近郷榎本城の支配を受けしが、天正年間豊臣秀吉小田原城征伐の挙あるや、時の城主榎本藤四郎は北条氏に属せしめた宗家小山氏(現在の小山市)の居城小山城落城と共に榎本城も没落せりと旧記に見ゆ、又大字栃木城内に皆川広照公の支城ありて神明宿なる小字あり、是当社の旧地なりしを天正十七巳午年正月十六日現地に奉遷宮されたるものなり。
徳川氏天下に覇たるに及び、或いは代官領となり、或いは知行所となり幾多星霜を経て、御祭事は町奉行之を掌りて、社家之を執行し来たれり、当社は明治五年に県社に列せられ、奉告は時の栃木県令鍋島幹之を行う。
同六年境内に於ける禁制の高札を下賜せらる。
これ実に県下初めてのことである。」
町の中に神社はありました。
しかも少々細い道を進んだ所にです。
近くには、宇都宮地方裁判所もありました。
また、「下野國総鎮守」になるそうですが、同市内に鎮座する「大神神社」との兼ね合いはどうなんでしょう?
拝殿の右側には、境内社がありました。
こちらが鳥居です。
大きい鳥居ですが、鉄造なんですかね?
社標です。
こちらが由緒を記した板になると思われます。
読めません。
こちらが参道です。
進んでいくと左側にお社がありました。
福寿稲荷神社と魁稲荷神社の合祀社だそうです。
さらに進むと右側に手水舎がありました。
その先には、奏楽殿がありました。
いわゆる神楽殿でしょうか。
なかなか立派な建物です。続きを読む
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