まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

大洞赤城神社 オリジナル御朱印帳&殿方御守り(群馬県前橋市富士見町)5

 群馬県前橋市にある赤城山の大沼に鎮座する大洞赤城神社に11月2日に参拝する。
 場所が場所だけにだいぶ寒い。12時頃の参拝だが気温は12℃しかない。しかし、紅葉の時期だけに参拝者は多いが大沼付近は紅葉は終わりに向かっている感じ。

 手水舎
KIMG4708
 社殿
KIMG4707
KIMG4710
 賽銭箱前には参拝者が列を作っていた。待っている間にも参拝者の列が増えていった。

 参拝をし、境内の右側にある授与所にて「オリジナル御朱印帳」と「殿方御守り」を頂く。

●オリジナル御朱印帳(初穂料1,700円、御朱印代別)
KIMG4713
 袋には、御朱印のいわれや御朱印帳の扱いについて記載がありました。
 「『印』は古来より神聖視され、大切に扱われてきました。
 御朱印は、かつて神仏に御経を奉納した証しに記帳を受けそれが現在のように変化したものとされています。そのため、神札に準ずる尊い証でもあります。普段は神棚や神聖な場所にお納めください。特に、この御朱印帳は、皆様の道中安全と足腰健康が祈願されています。」

 十二単?を着た「赤城姫」が描かれている。赤で鮮やかだ。
 参拝が多く、御朱印の対応に苦慮しているのか、現在は「印刷の御朱印」の対応をしている。以前は墨書きをしていただけたのだが、残念である。今回は御朱印は頂いていない。
 この他に季節の御朱印帳(初穂料2,000円)、社殿が描かれた御朱印帳(二種類、初穂料1,700円)があった。いずれもオリジナルである。
 大きさは「横12僉濬18僉廖∋羲舛鷲當未任△襦

 裏面には道中安全と足腰健康が祈願されており、神璽め押されています。
KIMG4774
 何だかありがたい感じがします。

●殿方御守り(初穂料1,000円)
KIMG4715
 袋には殿方御守りの説明が書かれていた。記載する。
「赤城山は、古く、神住む山として崇められ、主祭神『赤城大明神』の御神威は全国に広がり、朝廷、幕府の尊崇も深厚でした。江戸時代、前橋藩主・酒井雅樂頭は徳川家康公を相殿にお祀りし、以来、文武の神様として信仰され、多くの武道が奉納されてまいりました。この御守りは、日本の心を伝え、男性方を譲り導きくださいますように特別に御祈願されています。」

 この殿方御守りは、男性専用の授与品となる。「白・黄・黒」の三種類があった。
 「姫御守り」もあり、そちらは女性専用のとなっており、殿方御守り同様に数種類あった。


 冬時は、スタッドレスタイヤでないと上がれないと思いますので、この時期に訪れました。






神社名:大洞赤城神社
鎮座地:群馬県前橋市富士見町赤城山4‐2
祭 神:赤城大明神 大国主神 磐筒男神 磐筒女神 経津主神
相 殿:徳川家康公 大山咋神
社格等:旧郷社 延喜式内社 上野国二宮
札所等:全国東照宮めぐり
    上野国十二社巡拝

小野山祥真院得成寺 小野小町開基の寺(群馬県富岡市相野田)5

KIMG4704
 群馬県富岡市にある寺。

 山門を右にいくと墓地があり、そこに駐車するスペースがあった。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗供戮茲衄歓茵法
「この寺の縁起は小野小町の開基説と江戸時代の亮賢に関するものとに大別できる。
 まず小町開基説では、朝廷に仕えていた小町が任を終え故郷の出羽国に戻ろうと、当地にさしかかった折りに重い病気にかかった。小町は庵を設け仏道修行に専念して病の全快を祈った。この庵を小野山普済寺と称したという。彼女は祈願所に薬師像を祀り、千日願をかけて日参しては病気全快を祈った。しかし、満願日になっても全快しないために、彼女が、『南無薬師まずは諸願の叶はずば、身より仏の名こそ惜けれ』という歌を詠むと、その晩に薬師尊が夢枕に立ち、『むらさめは唯一時のもぞかし おのが身のかさここにぬぎおけ』とこたえた。翌朝には病気が全快したために彼女は薬師像に塩を贈ったことから塩薬師と呼ぶようになったという。うらびれた晩年の小町像も寺に保存されている。
 現在、塩畑堂橋近くにある塩畑道が彼女の日参した堂であるという。
(中略)
 寺伝は貞応元年(1222)に心全律師が開山となったと続く。心全は高野山から不動尊を背負って来て本尊としたという伝承に基づくと、ここから真言宗が始まると同時に開山・開基のそろう寺院としての体制が整ったことになる。なお、紀年命不詳の板碑も三基あるので、当寺の創建が中世であったのは確かであろう。
 幕末に鋳造されたと思われる上野国甘楽郡小野郷小町山得成寺鐘銘並序には、『寛永十六年(1639)、第八世の亮賢が広大で美麗な寺を再興した。このことが徳川綱吉の耳に達し、金屏風・御紋付呉服一重を拝領した。』旨の銘文が刻まれている。寛永十六年で第八世ということは真言宗としての寺歴は貞応元年まで遡ることができないと考えられよう。
(中略)
 このような関係から当寺は朱印地三十石、また七日市藩より寺領九反歩の寄進を受けている。
(中略)
 当寺は碓氷郡八幡村の大聖護国寺は末寺であったが、昭和十六年(1941)7月に奈良県の長谷寺の末寺に替わっている。本尊の不動明王は平安期の様式を整えているために昭和四十九年に市指定重文となったが、平成十一年に県指定重文となった。」


 山門。
KIMG4700
 本堂。
KIMG4698
 小高い山の中腹にある真言宗豊山派の寺。小野小町開基、心全律師が開山。ただ、寺院としての繁栄し始めたのは江戸時代に亮賢和尚が住職となってからのようだ。亮賢は、徳川綱吉に命じられ音羽護国寺となった僧侶だ。

 緑が多く、静かなお寺である。

 鐘楼堂。
KIMG4699
 境内には小野小町の化粧井戸がある。
KIMG4703
 御朱印は、境内の左側にある寺務所にて頂きました。書き置きで御朱印代は300円です。
 御朱印には「勝軍不動」と書いてあるのだろうか?どのような不動明王なのか気にはなる。拝観はできるのだろうか?





寺院名:小野山 祥真院 得成寺(とくじょうじ)
所在地:群馬県富岡市相野田245番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:不動明王
開 基:小野小町

賀茂別雷神社 再拝(栃木県佐野市多田町)5

KIMG4695
 栃木県佐野市の中でも旧田沼町に神社はありました。

 最寄り駅は、東武佐野線「多田駅」になります。徒歩では、約5分位でしょう。

 駐車場は、一の鳥居の右側、境内の左側にありました。自動車は、10台以上は停められそうです。

 こちらの神社の由緒は以下の通りです。
「当賀茂別雷神社は天智天皇八年九月(669)山城国上賀茂鎮座の加茂別雷神社の分祀として、菊沢山の中腹に社を建て雷神を奉斎した。
 雷神を祭ればこの地は富貴安静ならむ、との神宣に依りて、長雨に祈らば雨は止み、日照に祈らば慈雨があり、豊作の神として信仰高く、天慶八年四月(945)唐沢山城主俵藤太秀郷公は信仰に依って本社を再造立し、近郷の鎮守と尊信し祭資を奉納す。
 正徳五年二月(1715)御神徳に依り宗源宣旨によって正一位の神階を賜った。
 宝暦十一年(1761)現在の本殿を再建した。
明治四十三年(1910)現在地に本殿を移転し拝殿幣殿を新築し遷宮式を行った。
 その後平成元年十一月(1989)田沼町誇れるもの百選に認定される。
この度平成天皇御即位平成二年十一月の御大典を奉祝して拝殿前の傾斜した鳥居の修復及び同付近の崩壊した石垣の積み替えの外、石階段の手摺りを新設し、掲示板を設け、その他拝殿内と会館内の模様替えを、神社役員、区役員の協力により実施、滞りなく完了した。」


 こちらの神社から少し南に行き、多田駅を通り過ぎると右側に「加茂別雷神社」という読み方は同じ神社が鎮座しています。両社とも京都の上賀茂神社からの勧請になります。山越町に鎮座する加茂別雷神社は「大同二年(807年)」、こちらの神社は「天智八年(669年)」の勧請になり、138年早く勧請されています。

 小高い山(丘?)の上に鎮座していました。
KIMG4689
 ここのところ御朱印には力を入れているみたいで、色んな御朱印があった。
KIMG4693
 見開きの書き置き?は1,000円。少し高い気はするが、最近の御朱印代の傾向はそうだ。御朱印帳へ片面の墨書きは500円。
 以前御朱印を頂いたときは印を逆に押されてしまったので、再訪するのが嫌だった。

 




神社名:賀茂別雷神社
鎮座地:栃木県佐野市多田町1506番地
主祭神:賀茂別雷神
御配神:邇邇杵尊 賀茂建角身命 玉依姫命
通 称:雷電様
社格等:旧村社
札所等:佐野市神社御朱印めぐり

網戸神社(栃木県小山市網戸)5

KIMG4683
 栃木県小山市に神社は鎮座していました。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(案内板による)。
「網戸神社由緒
 当社の主祭神、田心姫命(水運の神)をいつ頃勧請したか未だ明らかではないが社殿の再建は、平城天皇の御代、大同元年(806)10月28日である。
 醍醐天皇の御代に、延喜式内に列したともいわれたが詳らかではない。
 天慶二年(939)、藤原秀郷卿は、平将門追討に際し当社に祈願し、戦勝の砌、金百貫文を奉納した。
 源頼朝も、文治三年(1187)、小山政光の妻、寒河尼を当地方の地頭職に任じ、当社に領地を寄進した。以来、尼公をはじめ、歴代の網戸城主の崇敬も篤く、小山家の定紋『左二ツ巴』を、当社の神紋としている。
 この頃、藤原一族の祖神、天児屋根命(人神の間をとりもつ神)を併せて祀った。
 江戸時代、後光明天皇の頃より、寛政、文政にかけて社格問題その他で揺動し、かつ曲折した。
 かくてその後、古河藩の治下にあっては、在郷の篤志家等が、神官を輔翼して、当社を護持し、維新を迎えた。
 明治新政府は、国家神道の観点から、神社の再編成をなしたが、当地方は大幅に遅れた。
 大正三年(1914)5月20日、渡良瀬川改修工事の一環として堤防拡幅がなされ、当社は、本宿二四四八番地千古の社より、旧城内に遷宮した。
 この年の8月19日、沼ノ台の浅間神社、庚申塚の皇宮神社、高場の熊野神社、折本の奥瀬神社、本宿の八坂神社、大境の神明宮を合祀し、既存の水神宮、天満宮、千形神社、権兵衛稲荷神社、三峯神社等を共に境内神社とした。
 神事は、陰暦2月15日(湯立)、6月15日(八坂神社の祇園祭)、9月13日(十三夜)及び陽暦11月27日(八郷廻りの御出)、12月23日(稲荷神社の冬至祭)である。
 神職は、天正以降、小山家譜代久楽持家の世襲である。
  天地のつきることなく緑なす
   このふるさとの神をしそおもう」


 思川の網戸大橋と乙女大橋の間、川の堤防沿いに鎮座していました。

 鳥居。
KIMG4682
 社殿になります。
KIMG4675
 10月22日の即位礼正殿の儀の日、雨が降っているなか参拝でした。
 雨の日でしたが、ひっきりなしに参拝者が訪れていました。

 社号額です。
KIMG4679
 社殿には御朱印のメニュー?がありました。
KIMG4680
 御祭神札も一緒に授与されておりました。御朱印+御祭神札でも初穂料300円です。





寺院名:網戸神社
鎮座地:栃木県小山市網戸2025番地
祭 神:田心姫命
配 祀:大山祇神 天兒屋根命
社格等:延喜式内社 旧無格社

冠稲荷神社 「即位礼正殿の儀」限定御朱印(群馬県太田市細谷町)5

KIMG4674
 群馬県太田市に鎮座する冠稲荷神社に参拝。
 大鳥居になります。
KIMG4666
 社殿へ向かいます。
KIMG4667
 社殿になります。
KIMG4668
 境内は金木犀の良い香りが漂っており、心が落ち着きます。

 御朱印は、社殿右側の「御朱印筆耕処」で頂きました。「即位礼正殿の儀」限定の印刷の御朱印を頂きました。御朱印代は500円です。




神社名:冠稲荷神社
鎮座地:群馬県太田市細谷町1番地
祭 神:宇迦之御魂大神 外
社格等:旧村社
読者登録
LINE読者登録QRコード
記事検索
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
livedoor プロフィール

まほろば

まほろばと申します。

「社寺参詣道 代表師範」になります。

社寺巡りや散歩を趣味にしています!
リンクやトラックバックはご自由に。ただしアダルト系は困ります。
コメントもしていただくと嬉しいです。

いろんな情報もコメントしてください。

QRコード
QRコード
LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード
カテゴリ別アーカイブ
Twitter プロフィール
日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
メッセージ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ