まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

寺岡山元三大師薬師寺 再拝 元三大師の御朱印(栃木県足利市寺岡町)5

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 栃木県足利市にある天台宗の「寺岡山元三大師薬師寺」に参拝する。
 以前とは違った御朱印だ。御朱印代は300円になる。

 山門
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 参道を進む。
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 大師堂
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 見開きの御朱印が多くある。見開きは500円になる。
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 色々もめている寺院だ。大丈夫なんだろうか?
 参拝時に御守りを頂こうとしたら、新年のために御守りを全部下げてしまったそうでなかった(´・ω・`)




寺院名:寺岡山 施薬院 薬師寺
所在地:栃木県足利市寺岡町871番地
宗 派:天台宗
本 尊:元三大師 薬師如来
通 称:寺岡山元三大師

足利厄除大師龍泉寺 身代り御守(栃木県足利市助戸町)5

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 栃木県足利市助戸町にある天台宗の名刹「足利厄除大師龍泉寺」の「身代わり御守り」になります。500円です。
 他にも御守り(300円〜)や腕輪念珠(1,000円〜)がありました。

 本堂
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 龍泉寺美術館が併設されている。




寺院名:福聚山 心性教院 龍泉寺
所在地:栃木県足利市助戸一丁目652番地
宗 派:天台宗
本 尊:釈迦如来
通 称:足利厄除大師
札所等:ぼけ封じ関東三十三観音霊場 二十四番札所
    関東百八地蔵尊霊場 四十番札所
御詠歌:よ川なる 流れを汲みて 龍泉寺 大慈大悲の 誓いたのもし

国領町琴平宮(群馬県前橋市国領町)5

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 群馬県前橋市の中心部から少し北に神社は鎮座していました。

 自動車は境内に停められますが、月極め駐車場と兼ねているみたいで・・・


 こちらの神社の由緒は、次の通りです。
「国領町琴平宮の歴史
 祭神 大物主神 大山祇神
 創建年月は不明である古くは金刀比羅宮と書き金毘羅、金比羅大権現と称した。
 慶長六年(1601)に徳川家康の命令で酒井河内守重忠が川越城主から厩橋城主に代った時、当社に家臣をつかわして着城奉告祭を行ない以後酒井氏が代々崇敬してきた神社である。
 徳川家綱が征夷大将軍に任ぜられた時、厩橋城主酒井忠清(四代城主 大老下馬将軍といわれた)が家綱に代り京都の朝廷へお礼に出向いた折り、道中の安全祈願をして大任を果たした。帰城後六歌仙の額を献じて奉賽祭(お礼参り)を行なっている。慶安四年八月(1651)のことである。
 その後寛延二年(1749)に、松平大和守某が姫路から厩橋城主として移ってきた時も着城奉告祭を行ない前の酒井氏と同様に篤く崇敬した。
 また当社は庶民の信仰を集め旅立ちにあたり道中無事を祈願する人が多く、文化文政の頃(1804〜1830)は広瀬川の舟の往来が盛んで沿岸住民からの奉額等がずいぶんあったようである。
 文化八年(1811)には手水舎と鉢の寄進。文政十二年(1829)と天保三年(1832)にはそれぞれ立派な燈籠が一対ずつ奉納されている。
 天保十一年6月(1840)には、社殿お建て替えがなされた。当時の世話人は、島田専兵衛、井下清七他十名の前橋の名主たちであった。
 当社が道中安全旅の神様として人々から信仰され隆盛であったのは文化・文政・天保・弘化の頃(1804〜1847)で毎月九・十両日特に十月の大祭には参拝の人々が列を作り広瀬川にかかる厩橋を経て細ヶ沢かた当社に通ずる道筋は露天商が連なり遠くは利根・吾妻・新田・佐波・多野・甘楽にわたる広い地域からも集り境内には小屋掛け舞台を設けて諸芸を演じ、一隅の土俵では、氏子連の奉納角力があり近郷近在きっての、にぎやかなものであったという。
 規模こそ壮大ではなかったが、長い歴史と共に生きてきた大木に囲まれて、人々に親しまれ静かな憩いの場であった琴平宮は、太平洋戦争中昭和二十年八月五日前橋大空襲の折りに社殿やゆかりの品々と共に焼失し、往時をしのぶよすがとてないのは、まことに惜しまれる。
 現社殿は昭和三十三年建立。境内は区画整理の為およそ三分ノ一の広さに縮小された。境内には二社があったが、現存するのは、稲荷神社(百十年前に川越町奉行所内から移築)のみで他は定かでない(淡島神社もあった)
 昭和四十九年十月」



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 境内は狭く、社殿自体も大きくはありません。
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 社殿左側には「北野稲荷神社」が鎮座しています。
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 昭和四十九年(1974)に氏子さんにより作られた案内板によると、110年前に川越町奉行所内からの遷座だそうなので、文久四年or元治元年(1864)に松平大和守直克時代に勧請かと思われる。当然祭神は倉稲魂命でしょう。
 遷座当時は松平大和守直克はまだ川越城主、文久三年(1863)に前橋城を再築城を幕府に願いで、慶長四年(1867)に前橋城主に返り咲いている。

 御朱印は、前橋東照宮にて書き置きが頂けます。初穂料300円です。




神社名:国領町琴平宮
鎮座地:群馬県前前橋市国領町一丁目1‐18
祭 神:大物主神 大山祇神
社格等:旧村社

前橋厄除大師蓮花院 ぴんころ地蔵尊の御朱印(群馬県前橋市下増田町)5

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 群馬県前橋市の東部、伊勢崎市に近いところに寺院がありました。
 少し北には北関東自動車道、南にはJR両毛線が走っています。

 最寄り駅は、JR両毛線「駒形駅」になります。
 駅から徒歩で寺院まで30分位はかかりそうです。

 駐車場は、門前と寺院裏にありました。
 自動車は、合わせて100台以上は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗1』より一部抜粋)。
「(前略)
 『寺院明細帳』によれば、栃木県の出流山千手院満願寺の末とある。真言宗であり、新義真言宗智山派と追記されている。
 由緒沿革記によれば、天分二年(1533)勢多郡荒砥村大室の住人玉泉坊の開基という。その後、十世の間は各宗の僧侶が相続し、宮城村鼻毛石の赤城寺(せきじょうじ)を本寺としたという。享保四年(1719)下野出身の第十一世宥尊上人が、下野出流山千手院住職宥盛に従って求法を継ぎ、今宮山蓮花院増田寺と称した。
(中略)
 元禄三年(1690)十二世舜賀上人の代に堂を改築したが、宝暦年間(1751〜1764)に類焼にあい、本堂を残して、土蔵、鐘楼、山門などを焼失した。本堂は今に伝わる。舜賀上人を中興開山としている。この舜賀上人は大黒天を自ら刻んでいる。
 明治二十五年(1892)5月、本堂改築の際に知事の許可を得て、武州大師河原平間密寺、川崎大師の第一分身、甲子大黒天を安置した。これについて『明細帳』には明治二十一年三月九日に厄除弘法大師 武蔵国江原村平間寺分体安置で出願、五月十四日許可とある。表門前の石碑には明治二十年(1887)十二月二十五日仮安置とも刻まれている。今本堂に本尊として安置されているのは厄除弘法大師像である。表門をくぐった楼上にも弘法大師の像が立つ。
(中略)
 本尊の聖観音菩薩は天文二年(1533)京都の仏師鈴木民部の作という。この仏像は開山の玉泉上人が依頼して作らせたものという。また、浩玄が造った観音菩薩もある。これは明応七年(1498)の作という。
 正月の厄除け祈願には大変な参詣者がある。
(後略)」


 前橋市といっても市街地からかなり外れていますので、周辺は田園地帯となりかなり長閑になります。

 こちらの寺院は「今宮山蓮花院」という寺院名になりますが、「前橋厄除大師」という通称で知られています。
 周辺の道路には、お寺の看板が出ています。自動車で行かれる方は、その看板を目印にしてください。

 境内はとても狭い位です。

 本堂
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 本尊である「聖観音菩薩」になります。この観音様は、関東八十八ヶ所・上州三十三観音霊場・ぼけ封じ関東三十三観音霊場の札所本尊になります。
 他にも川崎大師平間寺よりの勧請になる「厄除弘法大師」も祀られています。

 お正月は、祈祷祈願を行う参詣者で混みあうようです。
 今の時期以降は、毎週日曜日午前10時より護摩祈祷が行われておりますので、ご希望の方はお寺までお申し込みください。私が参拝したときも祈祷祈願の申し込みをされている方々がいらっしゃいました。

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 その中にところ狭しと仏像が祀られています。まるで仏像博覧会のような独特の雰囲気を醸し出しています(・ω・)

 ぴんころ地蔵尊です。
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(´人`)

 今回は「ぴんころ地蔵尊」の御朱印を頂きました。御朱印代は500円です。判子の書き置き御朱印になります。

 各種御守り(一体800円)や各種御札(一体1,000円)がありました。御守りの種類は多かったです。

 霊場の札所になっていますので、御朱印はあります。




寺院名:今宮山 増田寺 蓮花院
所在地:群馬県前橋市下増田町1626番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:聖観世音菩薩 弘法大師
通 称:前橋厄除大師
札所等:関東八十八ヶ所 五番札所
    上州三十三観音霊場 十三番札所
    ぼけ封じ関東三十三観音霊場 十八番札所
御詠歌:誓願も めぐみもあらたか 観世音 上州の里に 四方も照らさん
    赤城山 大師の御手に 導かれ 長寿福寿を 願うこの寺

日限地蔵観音院 御詠歌の御朱印&交通安全ステッカー(群馬県桐生市東)5

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 桐生市の東部、桐生タイムスという新聞社の少し北側にありました。
 お寺の西側には「諏訪機神社」が鎮座しています。

 最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」、上毛電気鉄道「西桐生駅」になります。徒歩ではかなりかかりそうです。近くまでバスが来ているかもしれません。

 駐車場は、道路を挟んで反対側と境内の東側にありました。自動車は、数十台位は停められそうです。


 上毛新聞社刊‘ぐんまのお寺 真言宗機任砲茲襪藩浬錣蓮以下の通りです(一部を抜粋)。
「当寺の開創は文書・記録が失われていて確実なことはわからない。しかし、江戸時代中ごろの郷土史家高橋五右衛門守行によって著された『今泉古事談』によると、正保元年(1644)養甚という道心が岩崎彦右衛門の庵に移り住んだのを始まりとする。承応元年(1652)小俣村(足利市)威徳院の弟子、秀賀という僧が来住、庵を今の観音堂の廟所に移し観音院と呼んだ。その後、寛文二年(1662)に現在地諏訪の森に移した。」


 11月24日の地蔵菩薩の縁日に参拝です。 

 山門
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 参道には露店が出ております。
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 地蔵堂になります。
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 お地蔵さまの縁日です。「日限地蔵尊」として知られている諏訪山観音院に参拝いたしました。日限地蔵尊は地蔵堂に祀られています。

 本堂
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 本堂には聖観音が祀られており、関東八十八ヶ所・上州三十三観音霊場・上州新四国八十八ヶ所の各札所本尊になります。

 水掛不動尊
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 御朱印は、縁日は本堂内の御朱印受付にて頂きました。御詠歌の御朱印を頂きました。御朱印代は300円でした。

 各種御守りはありました。交通安全のステッカーを頂きました。300円です。





寺院名:諏訪山 能満寺 観音院
所在地:群馬県桐生市東二丁目13‐18
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:聖観世音菩薩
札所等:関東八十八ヶ所 十番札所
    上州三十三観音霊場 五番札所
    上州新四国八十八ヶ所 四十八番札所
御詠歌:諸人の 願いをしかと 能満の 深き誓いに 絶えぬ香煙
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