まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

鑁阿寺

金剛山仁王院鑁阿寺 足利七福神の大黒天の御朱印(栃木県足利市家富町)5

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 栃木県足利市の中心部、足利学校の近くにお寺はありました。

 最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。徒歩では、約10分位でしょうか。

 駐車場は境内の北側にあります。自動車は数十台位は停められそうです。
 駐車場迄の道は一方通行の細い道を行きますので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の寺院。金剛山仁王院。本尊は大日如来。
 足利義兼が邸内に設けた持仏堂に始まり、子息義氏が大御堂を建立して寺院化。開山は義兼の護持僧理真(りしん)。以来、足利氏由緒の寺として栄えた。戦後、大日派を設立。
 境内は足利氏宅跡として国史跡に指定。」

 また、吉川弘文館刊「日本仏教史辞典」によると次の通りです。
「栃木県足利市家富町にある寺院。真言宗大日派総本山。金剛山仁王院法華坊鑁阿寺と号す。本尊は大日如来。
 『鑁阿寺縁起』(『鑁阿寺文書』)によれば、建久七年(1196)、足利義康の子上総介義兼が伊豆走湯山の理真を開基として『城堀之内』に持仏堂を建てたのに始まるという。寺院としての形態が整えられたのは、子の義氏の時で『堀内御堂』と称された。天福二年(1234)の鑁阿寺棟札写によれば、『奉做起方五間大日如来大殿一宇』とあり、義氏が大壇那となって方五間の大日如来大殿を建立している。また彼は、堀内の外側に十二坊を建て、月谷・飯塚両郷を寄進し、『供僧十二院制度』を設けたといわれるが(『縁起』)、これは鎌倉末期〜南北朝時代を通じて整備されてきたとされる。この制度は、東光院・普賢院・不動院・六字院・浄土院・宝珠院・威徳院・延命院・千手院・金剛乗院・竜福院・安養院の十二院の塔頭が東西両院に分かれ、供僧として法会などを執行したもの。一山を代表する学頭は千手院が務めた。室町時代には、十二院が輪番で『年行事』として寺務を行なった。
 鑁阿寺という寺号がはじめて史料に現れるのは、建長三年(1251)3月8日の足利泰氏置文で、充所は『鑁阿寺供僧中』となっている。
 家時の時、大御堂の一廓には廊下で接続された中御堂も創設されていたが、弘安十年(1287)の落雷で、堂宇はことごとく炎上してしまったので、子の貞氏は七年の歳月をかけて再建に努力をしている。こうして完成したのがほぼ現在の鑁阿寺である。寺領は足利将軍家や鎌倉公方によって寄進され、創建期から室町時代中期にかけて寺運もっとも興隆し、門前には市が立つほどであった。戦国時代、戦勝祈願を依頼した古河公方家の礼状など多数残されている。天正十三年(1585)鑁阿寺十二支院のいずれかに属する橋本郷の百姓らは、小田原北条氏の進攻に際して作毛を荒らされ年貢の減免を要求して百姓申状を長尾氏の奉行所に提出した。江戸時代六十石の朱印地を賜ったが、維新後上地となり、一時衰退した。
 なお、境内は中世土豪の居館の面影をよく残しており、足利氏宅跡として国史跡に、また同寺所蔵の『鑁阿寺文書』615通は重要文化財に指定。」


 「真言宗大日派」という宗派に属していますが、元々鑁阿寺は奈良にある「豊山神楽院長谷寺」の直末であったため「真言宗豊山派」に属していましたが、戦後に真言宗大日派を創設して独立したようです。

 山門になります。
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 御神木なんでしょうか?
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 大きな銀杏木になります。

 多宝塔になります。
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 本堂になり、本尊である大日如来が祀られています。
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 参拝したときは祈祷祈願を受ける方々はいらっしゃりませんでした。しかし、昨今の御朱印ビームで受ける方々は結構いらっしゃいました。
 大日如来が祀られているため栃木では「大日様」と呼ばれています。

 中御堂になります。
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 成田山新勝寺からの勧請の不動明王が祀られています。

 境内の後ろにあるお堂になります。
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 その中に大黒堂がありました。

 御朱印は、本堂併設の授与所で頂きました。「大黒天」の御朱印を頂きました。御朱印代は400円です。






寺院名:金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺
所在地:栃木県足利市家富町2220番地
宗 派:真言宗大日派
寺格等:本山
本 尊:大日如来
通 称:大日様、足利大日尊
札所等:関東八十八ヶ所 十六番札所
    下野三十三観音霊場 二十八番札所
    足利七福神 大黒天
御詠歌:大日のみ光うけて咲く花も 仏の加護にあらざるはなし

金剛山鑁阿寺 関東八十八ヶ所(栃木県足利市家富町)5

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 栃木県足利市の中心部、足利学校の近くにお寺はありました。

 最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。徒歩では、約10分位でしょうか。

 駐車場は、境内の北側にあります。自動車は、数十台位は停められそうです。
 駐車場迄の道は、一方通行の細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけて下さい。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の寺院。金剛山仁王院。本尊は大日如来。
 足利義兼が邸内に設けた持仏堂に始まり、子息義氏が大御堂を建立して寺院化。開山は義兼の護持僧理真(りしん)。以来、足利氏由緒の寺として栄えた。戦後、大日派を設立。
 境内は足利氏宅跡として国史跡に指定。」

 また、吉川弘文館刊「日本仏教史辞典」によると次の通りです。
「栃木県足利市家富町にある寺院。真言宗大日派総本山。金剛山仁王院法華坊鑁阿寺と号す。本尊は大日如来。
 『鑁阿寺縁起』(『鑁阿寺文書』)によれば、建久七年(1196)、足利義康の子上総介義兼が伊豆走湯山の理真を開基として『城堀之内』に持仏堂を建てたのに始まるという。寺院としての形態が整えられたのは、子の義氏の時で『堀内御堂』と称された。天福二年(1234)の鑁阿寺棟札写によれば、『奉做起方五間大日如来大殿一宇』とあり、義氏が大壇那となって方五間の大日如来大殿を建立している。また彼は、堀内の外側に十二坊を建て、月谷・飯塚両郷を寄進し、『供僧十二院制度』を設けたといわれるが(『縁起』)、これは鎌倉末期〜南北朝時代を通じて整備されてきたとされる。この制度は、東光院・普賢院・不動院・六字院・浄土院・宝珠院・威徳院・延命院・千手院・金剛乗院・竜福院・安養院の十二院の塔頭が東西両院に分かれ、供僧として法会などを執行したもの。一山を代表する学頭は千手院が務めた。室町時代には、十二院が輪番で『年行事』として寺務を行なった。
 鑁阿寺という寺号がはじめて史料に現れるのは、建長三年(1251)3月8日の足利泰氏置文で、充所は『鑁阿寺供僧中』となっている。
 家時の時、大御堂の一廓には廊下で接続された中御堂も創設されていたが、弘安十年(1287)の落雷で、堂宇はことごとく炎上してしまったので、子の貞氏は七年の歳月をかけて再建に努力をしている。こうして完成したのがほぼ現在の鑁阿寺である。寺領は足利将軍家や鎌倉公方によって寄進され、創建期から室町時代中期にかけて寺運もっとも興隆し、門前には市が立つほどであった。戦国時代、戦勝祈願を依頼した古河公方家の礼状など多数残されている。天正十三年(1585)鑁阿寺十二支院のいずれかに属する橋本郷の百姓らは、小田原北条氏の進攻に際して作毛を荒らされ年貢の減免を要求して百姓申状を長尾氏の奉行所に提出した。江戸時代六十石の朱印地を賜ったが、維新後上地となり、一時衰退した。
 なお、境内は中世土豪の居館の面影をよく残しており、足利氏宅跡として国史跡に、また同寺所蔵の『鑁阿寺文書』615通は重要文化財に指定。」


 「真言宗大日派」という宗派に属していますが、元々鑁阿寺は奈良にある「豊山神楽院長谷寺」の直末であったため「真言宗豊山派」に属していましたが、戦後に真言宗大日派を創設して独立したようです。

 入り口になります。
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 手水舎になります。
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 1月29日に参拝しましたが、境内には七福神巡りをする方々で多かったです。

 本堂になります。
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 本尊である大日如来が祀られています。こちらで祈祷祈願が行われるようです。

 境内の売店では、焼きそばの良い香りが漂っていました。

 不動堂になります。
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 銀杏と多宝塔になります。
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 銀杏の木は、御神木的な感じの木なんでしょうか?

 経蔵になります。
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 御朱印は、本堂左側にある授与所で頂きました。関東八十八ヶ所の御朱印代は300円でした。御御影が一体付きます。



寺院名:金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(ばんなじ)
所在地:栃木県足利市家富町2220番地
宗 派:真言宗大日派
寺格等:本山
本 尊:大日如来
通 称:大日様
札所等:関東八十八ヶ所 十六番札所
    下野三十三観音霊場 二十八番札所
    足利七福神 大黒天
御詠歌:大日の み光うけて 咲く花も 仏の加護に あらざるはなし

金剛山 仁王院 鑁阿寺(栃木県足利市家富町)5

栃木県足利市にある「金剛山 仁王院 鑁阿寺(ばんなじ)」に参拝してきました。
真言宗大日派に属するお寺になります。

足利市の中心部、「足利学校」の北側にお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。
徒歩では、約10分位でしょうか。

駐車場は、境内の北側にあります。
自動車は、数十台位は停められそうです。
駐車場迄の道は、一方通行の細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけて下さい。


こちらのお寺の由緒は以下の通り(足利市のホームページより)。
「鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼が、建久七年(1196年)に、邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。
その後、三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。
境内には重要文化財の本堂など貴重な建物が多く、このことから大正十一年に国の史跡に指定されています。
春は桜、秋はいちょうの黄葉が素晴らしく、市民には『大日様』と呼ばれ親しまれています。」


「真言宗大日派」なんて聞いたことがない宗派ですが・・・
元々鑁阿寺は、「豊山長谷寺」の直末であったため真言宗豊山派に属していましたが、戦後に真言宗大日派を創設して独立したようです。
何だか天台宗から聖観音宗を創り、独立した浅草寺見たいですが。

こちらが山門になります。
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お寺の回りには、濠がありました。
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やはり、足利氏の館跡に建つだけあります。
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山門を入ります。
足利市の中心部にありながら、境内はとても広いです。

右側には、遍路大師がいらっしゃいました。
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やはり真言宗のお寺だけあります。

境内の右側に、鐘楼がありました。
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国指定需要文化財です。

さらに進むと、左側には大銀杏がありました。
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いわゆる神社で言うところの「御神木」という位置付けでしょうか。
開基の足利義兼のお手植えの木と伝わりますが、実際はもっと後に植えられたようです。

参道を進むと、正面には「大御堂」がありました。
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大日如来を祀っているので「大日堂」になり、「本堂」になります。
年始は、ご祈祷・祈願に忙しそうです。
祈願に忙しそうです。
こちらには、祈祷受付・納経所・授与所が併設されています。

本堂の左側には、「中御堂」がありました。
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不動明王が祀られており、不動堂と呼んでも良いかもしれません。
成田山新勝寺より勧請したそうです。
不動信仰というのはあるんですね。

中御堂(不動堂)の前には、「多宝塔」がありました。
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大日如来と勢至菩薩が祀られています。
開基の足利義兼の創建だそうですが、江戸幕府五代将軍徳川綱吉の生母が徳川氏の祖先の新田氏と所縁のある足利氏ということで祖先の供養のため寄進したそうです。
足利氏の大位牌と江戸幕府の歴代将軍の位牌も祀られています。

また、「経堂」がありました。
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開基の足利義兼が妻の供養のため、一切経会を修するため創建されたそうです続きを読む

鑁阿寺(栃木県足利市)5

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栃木県足利市にある「金剛山鑁阿寺」は、足利市を代表する寺院です。

こちらのお寺には、何度か参拝させて頂いています。
以前の参拝日記は⇒こちら

御朱印は、「大日如来」だけではありませんでした。
下野三十三観音霊場の札所でもありますので、「聖観世音菩薩」の御朱印をいただきました。
御朱印代は、300円でした。

大日如来は、400円の御朱印代でしたが、この差は如何に?
御朱印に差があるとは・・・

足利七福神の「大黒天」も祀られているので、御朱印はあるのかな?
果たして、御朱印代は如何に?

鑁阿寺(栃木県足利市)5

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栃木県足利市にある「金剛山鑁阿寺」に参拝してきました。
真言宗大日派の大本山になるお寺になります。

真言宗大日派は、聞かない宗派ですね・・・

足利市の象徴的なお寺です。

清和源氏の流れをくむ「足利氏」の館跡に建つお寺になり、足利氏の「氏寺」になります。

最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。

小野篁が関わった「足利学校」の隣にありました。

自動車は、お寺の北側にある一方通行の道を入り、北門をくぐると、駐車スペースがありました。
数十台は停められそうです。

境内の周辺には、足利氏の館跡らしく、濠がめぐらされており、鯉が泳いでいました。

境内には、意外と広く、「不動堂」・「経堂」がありました。
不動堂には、成田山新勝寺からの勧請の「不動明王」が祀ってあります。

御神木?といってもよい「大銀杏」がありました。
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後ろは、多宝塔になります。
多宝塔には、「大日如来」と「勢至菩薩」を祀ってあります。

本堂です。
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大日如来が祀られているので「大日堂」と呼ばれています。また、「大御堂」とも呼ばれています。

本堂では、土日になると、厄除け・安全祈願等の祈祷で参拝者は多くなります。
授与所兼祈祷受付には、檀家さんが詰めており、参拝者の対応をされていました。

御朱印は、本堂の左側にある「授与所(納経所)」で頂けます。
「大日如来」or「聖観音」の二種類がありました。
御朱印代は、「大日如来は400円」、「聖観音は300円」でした。何故か御本尊様の御朱印代だけは、相場より高い・・・
平日は本堂では祈祷は行われていないようなので、授与所は無人かもしれません。

由緒書きは、有料(200円)でした。

御守りや御札といった授与品は、多くありました。
その中には、御朱印帳は1,500円でありました。

やはり、足利市を代表する寺院だけに、とても立派でした。




寺院データ
寺院名:金剛山 仁王院 鑁阿寺(ばんなじ)
所在地:栃木県足利市家富町2220番地
宗 派:真言宗大日派
寺格等:大本山
本 尊:大日如来
開 基:足利義兼
通 称:大日様
札所等:関東八十八ヶ所 十六番札所
    下野三十三観音霊場 二十八番札所
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