神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

釈迦如来

青龍山 茂林寺(群馬県館林市堀工町)5

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 群馬県館林市にある曹洞宗の名刹「青龍山茂林寺」に参拝してきました。
 館林市の南部、「野鳥の森ガーデン」の南に寺院はありました。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「茂林寺前駅」になります。駅から寺院まで徒歩で10分位はかかりそうです。

 駐車場は通り沿いにありました。自動車は、かなりの台数は停められるかもしれません。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(東京堂出版刊『神社辞典』による)。
「群馬県館林市堀工町1570。青竜山と号す。分福茶釜の寺として知られる。曹洞宗。
 応仁二年(1468)青柳城主赤井正光の創建で、相模国(神奈川県)最乗寺大林正通を請して開山とする。
 山門、総門、本堂、庫裡、開山堂があり、寺宝に分福茶釜、花鳥墨画(一花千金の牡丹と称し、明舜挙筆)等を蔵している。
 この分福茶釜は古来から有名で、種々の伝説を生じているが、『甲子夜話』第三五によると、開創のとき、守鶴という老僧が正通に従って来て、十世岑月に至るまで給じしたけれども、七世月舟の時には衆僧は千人に達したので、守鶴はどこからともなく大木な釜を出して来た。その茶釜は昼夜汲んでも尽きず、かつ八功徳を有し、福を分けるというので分福茶釜といわれた。ところが岑月がその正体を狢(一説には狐)を見破ってしまった。開山の徳を慕って僧に化身していたのである。岑月は鎮守として祭祀したという。
 またお伽噺には文福和尚の時、狸の変化である茶釜があり、古物商がこれを得て、見世物とし、のち当寺に納めたものともいう。
 境内には、この伝説童話とした厳谷小波の碑がある。」

 また、雄山閣出版刊「日本名刹大事典」によると次の通りです。
「曹洞宗。青竜山。本尊は釈迦如来。
 開創は応仁二年(1468)。開山は大林正通。開基は赤井照光。
 赤井氏は当時、東上州における新興勢力であった。当主照光はかねてから禅に心を寄せていたが、たまたま大林の声望を聞き、大林が小田原最乗寺の輪番住職を終えるのを待って館林に招いた。
 館林の地が下野・常陸・武蔵に近接した所であるため、当寺は上野のほか下野・武蔵・信濃など各地へ勢力を伸ばした。その結果、第三世密天正茂が住持する大永に朝廷の勅願寺となった。
 当寺には分福茶釜の伝説があるが、門前両脇には陶製の大きな狸がたくさん並んでいる。この伝説の原型は、開山大林正通に近侍し布教を助けた守鶴が持参した茶釜にあり、この茶釜は汲めど尽きず人に福を分け与えたというが、ある時守鶴は狸であることがわかってしまい、いずこへかさってしまったという。
 曹洞宗は在来の信仰を取り込みながら勢力を伸長したが、この伝説の背後にはそれがあるように思われる。
 寛永の寺院本末帳によると、門前屋敷二十石・山林二十町が榊原氏から与えられたことと、および末寺六十八ヶ寺が書き上げられている。
 朱印は二十三石六斗で本寺は美濃竜泰寺である。」


 以前、ゴールデンウィーク中に参拝しました。
 その時は、やはりかなりのは人手ででした。観光バスも来ており、駐車場は満車状態でした。それ以外は、さほど観光客はいないと思われますが、なにぶんにも分福茶釜で有名なので、多少の観光客は仕方ないでしょう。

 通り沿いに寺号標がありました。
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 参道沿いには狸の置物やお菓子を売るお土産屋さんがありました。

 こちらが総門になります。
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 総門を入り、本堂へ向かう参道の脇には大き狸立像があります。
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 いわゆる「信楽焼」なんでしょうか?

 参道を進むと山門がありました。
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 山門をくぐり、進むと左側には「守鶴堂」になります。
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 分福茶釜のモデルとなった守鶴和尚が祀られています。

 こちらが本堂になります。
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 こちらの寺院では、基本的に御朱印は「印刷」になります。まれに御朱印帳への揮毫があるようですが、常時墨書きをしていただければ良いのですが。

 宝物館には、守鶴和尚が使ったという茶釜がありました。いわゆり「分福茶釜」になります。
 拝観料は300円でした。




寺院名:青龍山 茂林寺
所在地:群馬県館林市堀工町1570番地
宗 派:曹洞宗
本 尊:釈迦牟尼仏
通 称:分福茶釜の寺
札所等:つつじの館林七福神 大黒天

大光山 宝徳寺(群馬県桐生市川内町)5

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 群馬県桐生市の北西部に寺院はありました。

 最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」、上毛電気鉄道「西桐生駅」になります。
 徒歩で行くのは無理ですので、バスをご利用ください。

 駐車場はありました。


 こちらの寺院の由緒は次の通りです(桐生仏教会刊『積善 桐生のお寺』による)。
「宝徳寺は臨済宗大本山建長寺第七十三世仏印大光禅師を開山として、桐生城主桐生正綱公の開基により室町時代の宝徳年間(1450年頃)に創建された禅寺です。
 当山の場所は桐生城(柄杓山城)の裏側に位置し、名久木の砦の入口を見渡す所にあります。これは正綱公が城主を継ぐ以前に此の地に邸宅を構え桐生城の背面の守備の任務を果すと共に、仁田山八郷の守備も受け持っていたと考えられています。
 天明年間の記録によると宝徳寺はニヶ寺の末寺(玄光寺、長徳寺)を有していたとあります。おそらく此の末寺を建て始めたころには、宝徳寺には何人もの雲水(修行僧)も常時いたものと考えられ、寺観も相当威容を示していたものと考えられています。
 江戸中期には当山十七世の天渓和尚が大本山建長寺百八十六代管長を務めました。
 方丈前は枯山水庭園になっています。枯山水とは、室町時代の禅院の『作庭様式』の一つで、水を用いずに、石・砂などにより自然の生命を表現する庭のことです。当山の枯山水庭園は、正面に野趣に富んだ山肌を借景とし、朝には太陽、夜は月さえも庭園の一部に取り入れてしまい、宇宙の森羅万象を写してみることができます。
 方丈脇には枯山水とは異なり、滝と池からなる山水庭園があります。静寂な禅の庭は壮大な宇宙観と融け合い、時代を超えて我々の心と対話し続けています。また5月初旬には境内を数百株のぼたんが彩り私たちの心を和ませてくれます。」


 入り口になります。
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 本堂へ向かいます。
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 鐘楼堂です。
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 本堂を望む。
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 境内は、今日とのお寺を思わせます。キリッとした感じでした。
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 御朱印は、庫裡にて頂けました。
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 複数あり、御朱印代は、各500円です。

 授与品はありました。
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 ご希望の方はどうぞ。



寺院名:大光山 宝徳寺
所在地:群馬県桐生市川内町五丁目1608番地
宗 派:臨済宗建長寺派
本 尊:釈迦牟尼如来

真光山長安寺 みかえり不動尊御開帳(群馬県伊勢崎市西小保方町)5

 群馬県伊勢崎市にある「真光山長安寺」の12月31日の大晦日に開かれる「除夜祭」と「みかえり不動尊の御開帳」、「護摩祈祷」に参加をしてきました。
 時間は、大晦日の午後11時40分から1月1日の午前1時30分頃までになります。

以前の参拝日記は→こちら

 除夜祭には「威音王堂(不動堂)」で秘仏になる「みかえり不動尊」が御開帳され、拝むことができました。
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室町時代より長安寺に伝わる不動明王だそうです。鮮やかな色彩の不動明王でした。
 通常は前立本尊を拝めますが、秘仏の不動明王の方が強いパワーを感じました。
 こちらのお不動様は、北関東三十六不動尊霊場の札所本尊になります。

 除夜祭の御開帳の際、威音王堂では護摩を修していましすので、檀家以外でも希望する方は祈祷祈願が受けられます。
 願意は、厄除・方位除・八方塞・商売繁昌・社運隆昌・家内安全・交通安全・病気平癒・無病息災・開運招福・除災招福・心願成就等々をできると思われます。時期が時期だけに、合格祈願もできます。
 御祈祷料は、3,000円と5,000円になります。祈祷札の大きさが違います。
 御開帳の時以外にも常時祈祷祈願は行われており、また檀家以外でも受け付けているそうです。もし受けられる方は、事前にお寺にお問い合わせください。

 除夜祭では108名まで粗品が頂け、またけんちん汁が200食位振る舞われました。私も美味しく頂きました。

 除夜の鐘については、108名以上でも参拝した方は皆さん撞くことができるそうで、私も撞かせて頂きました。
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 御開帳は、大晦日から元旦の除夜祭以外にも「節分会(御開帳時間:12時〜13時)」に行われるそうです。
 つまり、年に2回御開帳がされます。秘仏の「みかえり不動尊」を拝みたい方は、その2回の御開帳に訪れてください。今年の2月3日は平日の水曜日になってしまいますが、ご都合がつく方は参加してみてください。

 本堂には本尊である「釈迦如来」、みかえり堂には「阿弥陀如来」、稲荷堂には「荼枳尼天」が祀られています。
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 本堂後方(境内の北側)の庭園は、残念ながら紅葉が終わっておりました。
 蓮池は、時期が来ると蓮の花が咲きます。

 御朱印あり。



寺院名:真光山 永照院 長安寺
所在地:群馬県伊勢崎市西小保方町304‐1
宗 派:天台宗
本 尊:釈迦如来
札所等:北関東三十六不動尊霊場 七番札所
札所本尊:みかえり不動尊
御詠歌:かえりみて つみとがはらう 威音王 佐波路にたかき みすくいの寺

東叡山寛永寺 上野大仏パゴダ(東京都台東区上野公園)5

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 東京都台東区の上野恩賜公園内にありました。

 最寄り駅、JR山手線・東京メトロ銀座線「上野駅」になります。

 駐車場はありませんので、公共交通機関で行かれた方が良いです。


 こちらの寺院の由緒は次の通りです。
「寛永八年(1631)に初建された上野の大仏様は度々罹災しましたが、その都度復興されています。
 しかし関東大震災によりお首が落ち、第二次大戦時には軍の供出令により胴体を徴用されて、お顔のみが残されました。
大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立され、本尊として旧薬師堂本尊の薬師三尊像が祀られています。
”大仏を 埋めて白し 花の雲”   
子規」

 東叡山寛永寺管轄のお堂になります。

 上野公園の少し高いところにありました。
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 この案内板が目印になります。石段を上がっていきます。

 「パゴダ」は、仏塔を意味します。
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 薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)を本尊としています。
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 「パゴダ薬師堂」と言うのですね。

 そのそばには、上野大仏がおわしました。
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(´人`)

 境内に授与所があり、御守りや御札等が頂けます。

 御朱印は、清水観音堂で頂けます。御朱印代は、300円です。



寺院名:東叡山寛永寺 上野大仏パゴダ
所在地:東京都台東区上野公園
本 尊:薬師如来 釈迦如来

新比叡山 本実成院 天龍護国寺(群馬県高崎市並榎町)5

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群馬県高崎市の中心部から北西、高崎経済大学の近くにお寺はありました。

最寄り駅は、JR「北高崎駅」になります。

駐車場は、道路沿いにありました。
自動車は、10台以上は停められます。


こちらのお寺の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 天台宗供戮茲蝓法
「(前略)
 山号を新比叡山としているのは近江国比叡山延暦寺の直末として寺格は高く、開基は貞観六甲申年(864)、比叡山座主第三世円仁こと慈覚大師の創立と伝え、延暦寺に擬して建造されたので新比叡山と称したという。
(中略)
 当寺は高崎藩主安藤対馬守から松平右京大夫に至るまで歴代藩主の祈願所であった。
 当寺には『小野道風直筆寺号勅額』一面がある。醍醐天皇が延長六年(928)名筆家小野道風に書かせたといわれ、文字は寺号の『天龍護国寺』とあり額として下賜されたものと伝えている。
(中略)
 寺の縁日は正月三日で元山大師厄除け祈願の信者で毎年にぎわう。かつつは神仏習合であったので、西に隣接している日枝神社は護国寺の鎮守であった。本寺の延暦寺に倣い勧請したのであり、当寺がその別当寺として守護してきた。」


小ぢんまりしたお寺でした。
境内はさほど広くはありません。

山門です。
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山門からは観音山が見え、高崎白衣観音が見えました。
春先は、観音山が桜で一杯になるのが見ることができそうです。

本堂になります。
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こちらのお寺は、群馬郡三十三観音霊場の札所ですが、残念ながら廃れてしまった霊場になります。
ご住職に霊場について聞いたところ知らないとのことでした。
調べてみたところ、みやま文庫刊「上州の観音札所」に次の記載がありました。
「天明五年(1785)に焼失し、享和三年(1803)に再建されている。観音さまのいないのは、天明の火災で札所の伝えも灰になった為だろう。」
とのことでしたので、ご住職も知らなかったのでしょう。

小野道風筆の勅額があるそうですが、拝観ができるかどうかわかりません。
高崎市指定文化財だそうです。

黒松がありました。
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高崎市指定保存樹だそうです。

御朱印は、本堂右側の庫裡で頂けます。
御朱印代は受け取って頂けませんでした。





寺院名:新比叡山 本実成院 天龍護国寺
所在地:群馬県高崎市上並榎町922番地
宗 派:天台宗
本 尊:釈迦如来
札所等:群馬郡三十三観音霊場 ニ十九番札所
御詠歌:あめのたつ 国を守ると 夕立の 雲の流れに そそぐ五月雨
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