まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

釈迦三尊

龍智山 毘廬遮那寺 常光院(埼玉県熊谷市上中条)5

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熊谷厄除大師に参拝しました。
天台宗別格本山になるお寺です。

熊谷市の北部の「上中条」という地区にお寺はありました。

最寄り駅は、JR高崎線・秩父鉄道「熊谷駅」になります。
徒歩ではお寺まで行くのは大変かと思われます。
バスの場合、熊谷駅正面口3番のりば「葛和田」行きに乗り、「竹之内」で下車、徒歩で数分でお寺に着きます。

駐車場はありました。
自動車は、十数台位は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は次の通りです(雄山閣出版刊『日本名刹大事典』より)。
「通称は熊谷厄除大師。天台宗特別寺、龍智山。本尊は釈迦如来。
 寺伝では建久三年(1192)に武蔵国司藤原常光の菩提のため、孫の中条家永が金海を迎えて武蔵国司館を寺としたのが始まりという。
 はじめ梶井宮の綸旨を受けていたが、のちに寛永寺末となり、学頭寺として格式を与えられ、地方本寺として住職には学頭が拝命されてきた。
 『寺院本末帳』には朱印30石、末寺8ヶ寺、門徒18ヶ寺とある。
 寺宝には悉曇字母表(市文化財)、絹本著色阿弥陀変相図(県文化財)、中世文書(県文化財)など多数がある。」


熊谷市の中心部からかなり外れていますので、周辺は長閑な感じがします。

山門になります。
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中条氏の館跡に建つ寺院です。
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参道を進みます。
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木々が多く、蚊が多いです。

本堂は茅葺きなのでとても趣があります。
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なかなかこのような本堂がある寺院はないのではないでしょうか。

観光地になっていないので、境内はとても静かです。
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蚊が多い…

中条常光のお墓になります。
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御朱印は、本堂の左側の授与所で頂けました。
ご本尊の御朱印の他にも各霊場の御朱印が頂けます。
御朱印代は、各300円です。

御守りや絵馬といった授与品はありました。
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必要な方はどうぞ。




寺院名:龍智山 毘廬遮那寺 常光院
所在地:埼玉県熊谷市上中条1160番地
宗 派:天台宗
寺格等:別格本山
本 尊:釈迦三尊
通 称:熊谷厄除大師
札所等:関東百八地蔵尊霊場 六番札所
    ぼけ封じ関東三十三観音霊場 二十八番札所
    武蔵国十三仏霊場 虚空蔵菩薩
    関東九十一薬師霊場 三十八番札所
御詠歌:むさし野に 縁しを結び ありがたき 国司の館 ふだらくの里

大珠山 是字寺 龍海院(群馬県前橋市紅雲町)5

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群馬県前橋市にある「大珠山 是字寺 龍海院」に参拝してきました。

前橋市ね中心部、群馬県庁の少し南にありました。

最寄り駅は、JR両毛線「前橋駅」になります。 

駐車場は入り口を入り、山門に至るまでの両サイドにありました。
自動車は、10台以上は停められそうです。

その駐車場には仁王像が一対ありました。
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こちらのお寺の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺曹洞宗』より抜粋)。
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「言い伝えでは、徳川家康の祖父で岡崎城主の松平清康が二十歳の時、『是』の字を左手に握った夢を見て、龍渓院の漠外惟俊和尚にその意味を訪ねたところ『この字は日下人に分けられ、これを握るということは、戦国の分裂の世を統一する前兆てある。あなたの代に実現しなくとも孫の代までに実現する。』といわれた。喜んだ清康は、岡崎城下に一寺を建て、漠外和尚を開山とし、満珠山是字寺龍海院と名付けた。享禄三年(1530)元日のことである。
また、『上野国郡村誌』には『岡崎城外に妙音寺村あり。村西半々山あり。山中に清淵あり、龍淵と名づく。享禄年中城主松平清康ここに清舎を建て、龍海院と号し、漠外を以って開山となす』とある。
ところが、徳川氏には大樹寺という菩提寺があったことから、家老の酒井正親に守護を銘じた。以後、龍海院は酒井氏の菩提寺となった。
(中略)
明治年間には曹洞宗堂林が置かれ、僧の修行道場として多くの僧侶を養成した。また龍海院の鐘の音は、是字寺晩鐘として前橋十景の一つに数えられた。
『寺院明細帳』によれば、三河国渥美郡大久保村長興寺末とある。
(後略)」


こちらのお寺は、大通りには面していないので分かりづらいところにありました。
一方通行が多いですので、自動車で行かれる方は気を付けてください。

こちらが入り口になります。
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山門は、とても大きいです。
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向かって右側には「毘沙門天」
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左側には「増長天」が祀られています。
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彩色をされており、立派でした。

寺号の扁額が掲げられていました。
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山門の両側には、石造聖観音像や童子像もありました。
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本堂になります。
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入母屋造となり、大名の菩提寺だけあって、とても立派でした。
さすが大名の菩提寺だけあります。

大雄殿という扁額が掲げられていました。
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本堂横には石造聖観音立像がいらっしゃいました。
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(´人`)

良寛上人様です。
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童子六地蔵がいらっしゃいました。
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境内は綺麗に整備されています。
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こちらは鐘楼堂になります。
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こちらは、江戸時代中期まで前橋城主を務めた「酒井雅楽頭家」の菩提寺になります。
境内の南側には墓地がありました。
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その中に江戸幕府大老であり、小説や時代劇でも有名な「酒井雅楽頭忠清
」のお墓があります。
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歴代の酒井家の当主のお墓です。
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御朱印は、本堂の右側にある「寺務所」で頂けました。
山号が「大珠山」なのに「大珠寺」と間違っています。
御朱印代は受け取って頂けませんでした。

由緒書きはありました。
頂きたい旨を告げれば頂けます。





寺院データ
寺院名:大珠山 是字寺 龍海院
所在地:群馬県前橋市紅雲町二丁目8‐15
宗 派:曹洞宗
本 尊:釈迦三尊

恵林寺(群馬県太田市)5

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群馬県太田市にある「笑岩山 恵林寺(えりんじ)」に参拝してきました。
曹洞宗のお寺になります。

太田市の北部、太田東高校やセブンイレブンの近くにお寺はありました。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「韮川駅」になります。
徒歩では、20分位はかかりそうです。

駐車場は、山門まで進む道の入り口に自動車が数台は停められそうなスペースがありました。
また、境内にも自動車は数台は停められそうです。

お寺の周辺は、太田市の市街地からかなり外れていますので、長閑な田園地帯になります。
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お寺の前景は、こんな感じでした。
何だか田んぼの中にあるといった感じです。

お寺までの道は細く、かなり分かりづらいので気をつけて下さい。


戦国時代、金山城の支城「矢場城」の城主「矢場国隆」の子「矢場植繁」が父母の菩提を弔うため創建されたお寺になります。
お寺の南側には「本矢場城」、栃木県足利市新宿には「矢場城」があったそうです。
現在は、長閑な田園地帯になります。


さて、自動車を置き、参拝です。

こちらが山門です。
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質素な山門です。

境内には、六地蔵がいらっいました。
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ひっそりといらっしゃいました。

山門を入ると、正面に本堂がありました。
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曹洞宗らしい本堂です。
本尊である釈迦如来と脇侍の文殊菩薩・普賢菩薩が祀られています。

境内の右側には薬師堂と観音堂がありました。
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右側の薬師堂には、「釘抜き薬師」や「おがみ薬師」と呼ばれている眼病に霊験あらたかな薬師如来が祀られています。
お堂の回りには、「目」や「拝んでいる人」が描かれた絵馬が多く奉納されていました。
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また、左側の観音堂があり、「聖観音」が祀られています。
元々は、近くにあった清水寺(せいすいじ)という相場家で管理をしていた観音堂に祀られていました。
「矢場観音」と呼ばれており、平成15年に恵林寺に合併されました。
こちらの観音様は、東上州三十三観音霊場の札所本尊になっています。続きを読む
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「社寺参詣道 代表師範」になります。

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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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