群馬県南東部の邑楽郡明和町に鎮座しています。
最寄り駅は、東武伊勢崎線「川俣駅」になります。徒歩では20分はかかりそうです。
駐車場はありました。自動車は、5〜6台位は停められそうです。
こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【三島神社】
群馬県邑楽郡明和村梅原の旧郷社。祭神は大山祇命・豊城入彦命・大己貴命・藤原長良ほか二柱。
火難・災難除けほか勝負の神・交通安全・商売繁昌・産業の神としての信仰がある。
例祭は4月25日、7月25日、10月9日。
伊豆三嶋大社の分霊を勧請したと伝える。八か村の鎮守であった。」
また、由緒書きによると次の通りです。
「当社は『上州三嶋神社』を始め、近在からは『お宮』『三嶋さま』等と親しく呼ばれていますが、 その正式名称を『三嶋神社』と称します。江戸時代末期の弘化三年(1846)、火災により社殿および古記録の全てを焼失した為、創建年月を含む由緒については不詳です。社伝によれば、伊豆国の三嶋大社(静岡県三島市大宮町)から御神霊を勧請(お招き)した地方の古社と伝えられています。
江戸時代以降、明治初年に至るまでは、当社近在の梅原山・光明寺(高野山真言宗)の住職が、代々『別当(神社を管理した僧侶)』を務めていました。歴代住職の当社に対する信仰心は篤く、当社が所蔵する神宝類や石塔からその様子を知ることができます。現在神座近くに奉安されている御神鏡も、江戸時代中期の享保二十一年(1736)、当時の別当・光明寺弘誓と『惣氏子中』の寄進によるものです。
現在の拝殿は、焼失の翌々年、嘉永元年(1848)から翌年にかけて再建されました。再建は別当の光明寺英猛と梅原村を中心に、信仰域であった近隣の二十ヶ村の助力を得て進められ、再建を機に近隣より神主家の祖が招かれて社殿を管理するようになりました。以降、長年に及ぶ風雨や近年の大震災の影響によって、現在に至るまでに幾度かの改修工事が行われましたが、再建から170年近く経った今も、往時の姿をしっかりと留めています。
近代に入ると、明治五年(1872)十一月、近隣八ヶ村(現代の明和町中部・東部)の総鎮守である『郷社』に定められ、地域総鎮守として篤く信仰されました。
現在は群馬県を中心に、近隣の埼玉県や栃木県、茨城県からも、『勝負の神』『虎の神』、交通安全に霊験あらたかな神様として、広く崇敬されています。」
鳥居になります。
境内には「富士塚」があり、浅間神社が鎮座していました。
その他、神明宮、菅原神社、愛宕神社等の境内社が鎮座しています。
社殿になります。
こちらの神社の社格は「旧郷社」になりますが、雰囲気的には「村社」かなぁと思いました。「村の鎮守様」と言った感じを醸し出していました。
御朱印は、境内の右側にある宮司さん宅で頂きました。御朱印代は300円です。
由緒書きは頂けました。
ご祈祷はしているそうなので、希望の方は電話して予約した方がよいかましれません。
神社名:上州三嶋神社
鎮座地:群馬県邑楽郡明和町梅原261番地
祭 神:三嶋大明神(大山祇命) 赤城大明神(大己貴命・豊城入彦命) 藤原長良公(長良大明神) 誉田別命(八幡大神) 八衢比古命・八衢比売命(塞神) 天手力雄命(戸隠神) 倉稲魂命(稲荷大明神) 水波能賣命(水神)
社格等:旧郷社 明和総鎮守