栃木県足利市にある「金剛山 仁王院 鑁阿寺(ばんなじ)」に参拝してきました。
真言宗大日派に属するお寺になります。
足利市の中心部、「足利学校」の北側にお寺はありました。
最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。
徒歩では、約10分位でしょうか。
駐車場は、境内の北側にあります。
自動車は、数十台位は停められそうです。
駐車場迄の道は、一方通行の細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけて下さい。
こちらのお寺の由緒は以下の通り(足利市のホームページより)。
「鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼が、建久七年(1196年)に、邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。
その後、三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。
境内には重要文化財の本堂など貴重な建物が多く、このことから大正十一年に国の史跡に指定されています。
春は桜、秋はいちょうの黄葉が素晴らしく、市民には『大日様』と呼ばれ親しまれています。」
「真言宗大日派」なんて聞いたことがない宗派ですが・・・
元々鑁阿寺は、「豊山長谷寺」の直末であったため真言宗豊山派に属していましたが、戦後に真言宗大日派を創設して独立したようです。
何だか天台宗から聖観音宗を創り、独立した浅草寺見たいですが。
こちらが山門になります。
お寺の回りには、濠がありました。
やはり、足利氏の館跡に建つだけあります。
山門を入ります。
足利市の中心部にありながら、境内はとても広いです。
右側には、遍路大師がいらっしゃいました。
やはり真言宗のお寺だけあります。
境内の右側に、鐘楼がありました。
国指定需要文化財です。
さらに進むと、左側には大銀杏がありました。
いわゆる神社で言うところの「御神木」という位置付けでしょうか。
開基の足利義兼のお手植えの木と伝わりますが、実際はもっと後に植えられたようです。
参道を進むと、正面には「大御堂」がありました。
大日如来を祀っているので「大日堂」になり、「本堂」になります。
年始は、ご祈祷・祈願に忙しそうです。
祈願に忙しそうです。
こちらには、祈祷受付・納経所・授与所が併設されています。
本堂の左側には、「中御堂」がありました。
不動明王が祀られており、不動堂と呼んでも良いかもしれません。
成田山新勝寺より勧請したそうです。
不動信仰というのはあるんですね。
中御堂(不動堂)の前には、「多宝塔」がありました。
大日如来と勢至菩薩が祀られています。
開基の足利義兼の創建だそうですが、江戸幕府五代将軍徳川綱吉の生母が徳川氏の祖先の新田氏と所縁のある足利氏ということで祖先の供養のため寄進したそうです。
足利氏の大位牌と江戸幕府の歴代将軍の位牌も祀られています。
また、「経堂」がありました。
開基の足利義兼が妻の供養のため、一切経会を修するため創建されたそうです続きを読む
真言宗大日派に属するお寺になります。
足利市の中心部、「足利学校」の北側にお寺はありました。
最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。
徒歩では、約10分位でしょうか。
駐車場は、境内の北側にあります。
自動車は、数十台位は停められそうです。
駐車場迄の道は、一方通行の細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけて下さい。
こちらのお寺の由緒は以下の通り(足利市のホームページより)。
「鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼が、建久七年(1196年)に、邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。
その後、三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。
境内には重要文化財の本堂など貴重な建物が多く、このことから大正十一年に国の史跡に指定されています。
春は桜、秋はいちょうの黄葉が素晴らしく、市民には『大日様』と呼ばれ親しまれています。」
「真言宗大日派」なんて聞いたことがない宗派ですが・・・
元々鑁阿寺は、「豊山長谷寺」の直末であったため真言宗豊山派に属していましたが、戦後に真言宗大日派を創設して独立したようです。
何だか天台宗から聖観音宗を創り、独立した浅草寺見たいですが。
こちらが山門になります。
お寺の回りには、濠がありました。
やはり、足利氏の館跡に建つだけあります。
山門を入ります。
足利市の中心部にありながら、境内はとても広いです。
右側には、遍路大師がいらっしゃいました。
やはり真言宗のお寺だけあります。
境内の右側に、鐘楼がありました。
国指定需要文化財です。
さらに進むと、左側には大銀杏がありました。
いわゆる神社で言うところの「御神木」という位置付けでしょうか。
開基の足利義兼のお手植えの木と伝わりますが、実際はもっと後に植えられたようです。
参道を進むと、正面には「大御堂」がありました。
大日如来を祀っているので「大日堂」になり、「本堂」になります。
年始は、ご祈祷・祈願に忙しそうです。
祈願に忙しそうです。
こちらには、祈祷受付・納経所・授与所が併設されています。
本堂の左側には、「中御堂」がありました。
不動明王が祀られており、不動堂と呼んでも良いかもしれません。
成田山新勝寺より勧請したそうです。
不動信仰というのはあるんですね。
中御堂(不動堂)の前には、「多宝塔」がありました。
大日如来と勢至菩薩が祀られています。
開基の足利義兼の創建だそうですが、江戸幕府五代将軍徳川綱吉の生母が徳川氏の祖先の新田氏と所縁のある足利氏ということで祖先の供養のため寄進したそうです。
足利氏の大位牌と江戸幕府の歴代将軍の位牌も祀られています。
また、「経堂」がありました。
開基の足利義兼が妻の供養のため、一切経会を修するため創建されたそうです続きを読む
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