栃木県佐野市に鎮座する「加茂別雷神社」に参拝してきました。旧村社になります。佐野市の中でも旧田沼町に神社はありました。
最寄り駅は、東武佐野線「多田駅」になります。徒歩では、十数分位でしょう。田沼駅からも歩いて行けそうです。
駐車場は見当たりませんでしたので、自動車は境内に置いてしまいました。他にも駐車場があるかどうかわかりません。
こちらの神社の由緒は以下の通りです(社殿掲示の由緒板より)。
「当神社は人皇五十一代平城天皇の御宇大同二年五月五日山城国加茂皇大神の分霊を菊水山に勧請し、爾来雷大権と称せり。
降而朱雀天皇天慶三年唐沢山城主田原藤太秀郷公平将門追討するに際し、本社に戦勝祈誓せしに速に将門誅に伏したり。
因に公の子息藤原千常公に至り、秀郷公崇敬篤かりし菅公像神体を当社の相殿に斎き奉り、社領を奉納し近郷十八箇村の総鎮守としたり。
境内に八重の紅色菊花群生し美観を呈する中に霊泉湧出し集りて霊池を成す。
これ菊水川の源にして大旱と雖も涸れし事なく、流路は山腹を迂曲して水田に灌漑し五穀豊穣の守護神と称し、嘉永四年(1851)五月社号を菊水神社雷大権現と称せしが明治維新の際現今の如く改称せり。
明治中葉神霊に報賽し永世太々講を起し講員分布二県二郡に亘るを知る後霊験灼なるを感得し分霊を斎り長く報賽の請願に合い、それに分霊して今日尚年々報賽し来るあり。
祭典は五月五日六日の両日にして、当夜には菊水川の下流に当り無数の灯火波紋に映し更闌くるに漸く社頭に接するの趣あり。
古諺之を竜灯と称し世人の尊敬厚く実に稀有の祭典なり」
こちらの神社から少し北に行き、多田駅を通り過ぎると左側に「賀茂別雷神社」という読み方は同じ神社が鎮座しています。両社とも京都の上賀茂神社からの勧請になります。多田町に鎮座する賀茂別雷神社は「天智八年(669年)」、こちらの神社は「大同二年(807年)」の勧請になり、138年遅く勧請されています。
こちらは、鳥居になります。
道路沿いにありました。
境内に入ると右側には手水舎がありました。
境内はさほど広くはありません。
こちらが社務所になります。
参拝したのは5月3日でして、その翌々日の5月5日が例大祭になりますので、氏子さん達が御札等の準備をしていました。
こちらが神楽殿になります。
どのような神楽が舞われるのでしょうか?
こちらが社殿になります。
小ぢんまりしていますがなかなか立派です。
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