まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

藤棚

菖蒲神社 オリジナル御朱印帳(埼玉県久喜市菖蒲町)5

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 先日、埼玉県久喜市に鎮座する「菖蒲神社」に参拝した折りにオリジナル御朱印帳をみつけた。藤の柄の御朱印帳は1,500円、木の板に織姫様と思われる十二単を着た女性が描かれた御朱印帳が2,000円。私は頂いていないので紙質はわからず。

 社殿
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 左端にあるのが通常の御朱印。あとの四種類は印刷の御朱印。
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 事前にTwitterなどで菖蒲神社の御朱印を検索したら、神道無念流の印刷の御朱印があったので頂こうかなと思いきや、下の即位礼の印刷の限定御朱印があったので頂きました。
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 10月22日までの授与だと思います。頂きたい方は早めの参拝をしてみてください。





神社名:菖蒲神社
鎮座地:埼玉県久喜市菖蒲町菖蒲552番地
祭 神:稲田姫命 武夷鳥命 大己貴命
相殿神:誉田別命 素戔嗚命 倉稲魂命 金山彦命 速玉男命 菊理姫命 軻遇突智命 伊弉諾命 伊弉冉命 天津児屋根命 水波女之命 菅原道真公
社格等:旧村社

玉敷神社 2度目の参拝 藤の御朱印(埼玉県加須市騎西)5

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 埼玉県加須市の122号線から少し東に行ったところに神社はありました。

 境内の東には玉敷公園があり、そこに駐車場がありました。自動車は10台以上は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【玉敷神社】
 埼玉県北埼玉郡騎西町騎西の旧県社。延喜式内社。祭神は大己貴命・天照大御神・豊受大神・伊弉諾尊・伊弉冉尊ほか一柱。例祭は12月1日・2日。
 武蔵七党の私(きさい)党のゆかりあり久伊豆明神で騎西領四八か町村の総鎮守として崇敬を集める。騎西城主となった大久保加賀守が復興し名祠となった。
 騎西の御獅子様(おしっさま)は有名で、早朝借りに来て祭祀を行ってから返しに来る信仰行事が古くから続く。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「【玉敷神社】
 埼玉県北埼玉郡騎西町。旧県社。
 近世まで久伊豆とも称し、俗に騎西の明神様と称し、旧騎西領(現、埼玉地方)四八ヵ村の総氏神。式内社。
 境内に地主神としてもう一つの式内社と目される宮目(みやめ)神社(祭神、大宮売命)がある。
 12月1、2日の例祭には専属神楽の奉奏があるがことに古来『御獅子様』と称する神宝が祭神の御分霊として春期に農村各地に迎えられて祓祭をする習俗があり、その範囲は南北埼玉・大里・北足立の諸郡から遠く群馬・茨城両県の一部にも及んでいる。」


 玉敷公園は玉敷神社神苑になっており、藤棚がありました。季節になると綺麗だと思われます。

 鳥居です。
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 社殿です。
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 社殿の裏には「宮目神社」が鎮座していました。延喜式内社だそうです。
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「【摂社 宮目神社】
1. 御祭神 大宮能売神
1. 由 緒 社伝によると、玉敷神社がこの地に遷座される(1620年頃)迄はこの社地の地主神として鎮座していたとされ同名の『式内社』にも比定されている歴史のある古社である。
1. 御神徳 元来、家屋を守り、その安全平和を保つ神であるが地主神という由緒から山王信仰の影響を受けて『山王様』と称され、この地の守り神として尊ばれた。また、女神であることから『子守神』=安産の神としても信仰されている。」

 残念ながら宮目神社の御朱印はないそうです。せっかくの式内社だからあったら良いなぁとは思いました。

 神楽殿です。
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 茅葺きの屋根が良いです。

 御朱印は、参道の右側にある授与所で頂きました。土日は書き置きのみの対応になります。御朱印代は300円です。
 御守りや御札といった授与品はありました。





神社名:玉敷神社
鎮座地:埼玉県加須市騎西552‐1
祭 神:大己貴命
配 祀:天照大御神 豊受大神 伊邪那岐命 伊邪那美命 軻遇突智命
社格等:延喜式内社 旧県社

菖蒲神社 即位礼限定御朱印(埼玉県久喜市菖蒲町)5

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 埼玉県久喜市の北西部、加須市に近いところに神社は鎮座していました。

 最寄り駅は・・・

 神社専用の駐車場は東側にありました。自動車は4〜5台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(由緒書きによる)。
「当社は、袋田明神社と号していた。
 『風土記稿』菖蒲町の項には『袋田明神社 祭神は稲田姫命と云う。神体銅鏡にて本地薬師の像を彫れり、裏に寛文九年(1699)と見ゆ、合殿に鷲宮・久伊豆の両社を置り、吉祥院持、末社稲荷天神合社 雷電大黒天金比羅秋葉聖徳太子合社』と記されている。
 当社の鎮座地は、菖蒲城主佐々木氏の陣屋跡と伝えられる地のすぐ南西に位置しており、佐々木氏により中世末期に再建されたものと推測される。
 当社の大元となった袋田明神社の社名は、近在の鷲宮神社(武夷鳥命)、玉敷神社(大己貴命)のお袋(母親)が稲田姫であることに由来すると伝えられている。また、見沼代用水の開削以前に旧河川のこの辺りを袋状に流れ、一面に田が広がっている所に坐す神に由来するとも考えられている。」


 「菖蒲宮本」という交差点のすくそばに鎮座しています。境内の東には公園がありました。

 鳥居です。
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 社殿になります。
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 境内には藤棚がありました。見頃は4月下旬からゴールデンウィークかと思われます。

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 埼玉県指定天然記念物だそうです。

 御朱印は、鳥居を入り左側にある授与所にて頂きました。即位礼限定御朱印(印刷の御朱印)を頂きました。御朱印代は500円です
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 オリジナル御朱印帳がありました。
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神社名:菖蒲神社
鎮座地:埼玉県久喜市菖蒲町菖蒲552番地
祭 神:稲田姫命 武夷鳥命 大己貴命
相殿神:誉田別命 素戔嗚命 倉稲魂命 金山彦命 速玉男命 菊理姫命 軻遇突智命 伊弉諾命 伊弉冉命 天津児屋根命 水波女之命 菅原道真公
社格等:旧村社

反町薬師尊照明寺 再拝(群馬県太田市新田反町町)5

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 群馬県太田市にある「反町薬師照明寺」に参拝してきました。高野山真言宗に属する寺院になります。

 お寺専用の駐車場はありました。境内にも停められるスペースはあります。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊「ぐんまのお寺 真言宗機廚茲螳貮抜粋)。
「(前略)
 反町城の本丸跡にある照明寺は最初、元徳年間に新田郡市野井村字杉に建てられた薬師堂を、永禄年間(1558〜1570)に刑部大輔由良成繁の命で慈光坊が反町城西方の元屋敷に移築し、照明寺と名付けて祈願所とした。しかし、正徳四年(1714)11月に、失火のため堂宇のすべてが焼失したため、中興開山の祐泉が成繁の奥方より地料と堂宇造営料として百十五両の寄付を受けて寺を反町城の本丸跡(現在地)に移築造営した。そして義貞の母の法号である『妙光院殿蓮法大禅定尼』から、院号を妙光院とした。
 明治八年(1875)6月の太政官達(たっし)によって編さんされた『上野国郡村誌』では、照明寺は東西二十二間南北三十三間、面積七百三十歩、真言宗村田村宝蔵寺末とあり、明治十二年(1879)6月調査の『上野国新田郡寺院明細帳』では、本堂方四間、鐘楼方一間半、檀徒百五人とある。また、明治三十ニ年(1899)の追記では、庫裏は間口十間奥行き六間一尺、参籠堂は間口四間奥行き二間半としている。
 現在の照明寺は、南の土塁の間に明治四十年(1907)建立の石柱門があり、その周辺に明治二十七年(1894)に建てられた『新田義貞公古城跡』碑、馬頭観音線刻碑、天明八年(1788)4月および昭和三年(1928)12月の建立で、御大典記念の石灯籠がある。石柱門を入ると左手に水屋、その西に大師堂、その北に大きな参籠堂と弁天堂がある。正面の本堂は、明治十一年(1878)に完成したもので、本尊の薬師如来石仏(秘仏)のほか日光月光菩薩、十二神将、不動明王、地蔵菩薩、阿弥陀如来、愛染明王、大黒天が安置されている。本尊は新田家の守り本尊で、行基上人が東北巡化の際、この地方に悪病が流行していたのでそれを除こうとして自ら刻んだと伝えられている。また、明治以降、本尊は『反町薬師』『厄除薬師』『六算除薬師』として人々の崇敬を受け、正月四日の大縁日には四歳児の厄除けをはじめ、交通安全や入学祈願など、多方面の信仰を集めている。
(後略)」


 入り口になります。KIMG3729
 新田義貞公の館跡とされるお寺になります。右の石碑がそうです。
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 左側は「馬頭観音」の碑です。

 大師堂になります。
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 本堂になります。
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 まだお正月ということもあり、本堂では祈祷祈願が行われていました。参籠堂が祈祷受付になっていました。普段は本堂右側が受付になると思われます。

 弁天堂になります。 
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 御朱印は、参籠堂の祈祷受付にて頂きました。御朱印代は300円です。





寺院名:瑠璃山 妙光院 照明寺
所在地:群馬県太田市新田反町町896番地
宗 派:高野山真言宗
本 尊:薬師如来
通 称:反町薬師
札所等:上州新四国八十八ヶ所 六十二番札所
御詠歌:来光の弥陀の光の円明寺 照り沿う影は夜な夜なの月

華林山最上院慈恩寺 坂東札所(埼玉県さいたま市岩槻区)5

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 埼玉県さいたま市の旧岩槻市に寺院はありました。

 寺院専用の駐車場はありました。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県岩槻市大字慈恩寺にある天台宗の寺院。華林山最上院。本尊は十一面観音。
 天長年間(824〜834)円仁の開山。近世には東照宮の位牌を安置し、藩主阿部正春が仏供料二十九石四斗九升余を寄進。朱印寺領百石。
 昭和十七年(1942)西安大慈恩寺に因み玄奘霊骨奉安。
 坂東三十三か所十二番。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「埼玉県岩槻市慈恩寺139。華林山と号す。天台宗。坂東三十三ヶ所第十二番札所であり。
 天長元年(824)慈覚大師の開創になる。慈覚大師が仏法の東国弘通を祈念しつつ日光山から一個の李(すもも)を空中に投げると、李はこの地に至って一夜のうちに大木に育ったという。
 寺名は慈覚大師が留学した唐の都長安にあった慈恩寺の名に由来する。
 本尊千手観音像は慈覚大師自刻の霊像であったが惜しくも焼失、現本尊は江戸時代初期に天海僧正が比叡山より将来安置したものである。このころには坂東諸霊場中、屈指の規模を誇った。
 近くの丘には玄奘三蔵の霊骨塔がある。御影石の十三重塔には三蔵法師の真骨が奉安されている。これは第二次大戦中に日本軍が南京から持ち返ったものである。
 寺宝の十二天画像は江戸城本丸の地鎮祭に使用された。
 御詠歌は、
  慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや
   うかぶ夏島を 見るにつけても」


 飛び地の境内には西遊記の三蔵法師で知られている玄奘の遺骨が分骨をされ、十三重塔が建立されています。

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 境内の藤棚は、もう見頃は過ぎていました。
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 手水舎です。
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 鐘楼堂です。
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 香炉。
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 本堂になります。
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 御朱印は、境内の右側にある納経所で頂きました。御朱印代は300円です。




寺院名:華林山 最上院 慈恩寺
所在地:埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139番地
宗 派:天台宗
本 尊:千手観世音菩薩
通 称:慈恩寺観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十二番札所
御詠歌:慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや うかぶ夏島を 見るにつけても
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