まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

神前結婚式

足利織姫神社 御守り&御朱印(栃木県足利市西宮町)5

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 栃木県足利市の織姫山の中腹に鎮座する神社になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「足利市駅」、JR両毛線「足利駅」になります。徒歩では30分位はかかりそうです。

 駐車場は、境内の東側にありました。自動車は、数十台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「栃木県足利市西宮町に鎮座。祭神は八千千姫命・天御鉾命。例祭は5月7日で神幸祭がある。
 伊勢国の渡会井手郷の御機殿を遥拝するために勧請された。
 明治十二年(1879)に足利町の八雲神社の相殿となり、さらに現在地に遷された。」

 また、案内板によると次の通りです。
「足利は古くから織物を中心として栄えてきました。奈良時代初期の和銅6年(713)というのが足利織物が文献上に残る最古のものと言えるでしょう。その約1300年の伝統を持つ足利織物の守り神として奉られているのが足利織姫神社で、昔機織を司られた天御鉾命と八千々姫命を祭神としております。
 昔は『機神さま』と呼ばれ、明治12年8月24日に合祀されていた通四丁目の八雲神社から今の織姫山南麓に遷宮しましたが、翌年の明治13年9月10日の火災で焼失以来、仮宮のまま約50年を経過。この間、織姫神社奉賛会により織姫神社中腹に朱塗りの社殿が造営され、昭和12年5月7日仮殿から遷座して現在に至っています。
 緑に映える朱塗りのお宮は、国登録有形文化財にも指定されている足利の名勝の一つで、足利県立自然公園の最南端に位置しています。社殿の東側には関東ふれあいの道『歴史のまちを望むみち』が通っており、北に続く織姫山一帯は明治100年記念事業として造成された総合公園(織姫公園)になっています。」


 足利市を象徴するような神社です。

 駐車場から境内に入れます。
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 1月29日に参拝しましたが、神前結婚式が行われていました。
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 参道途中で新婦が写真撮影がありました。

 女性の参拝者や夫婦連れが参拝に来てました。私は男一人で行ってしまいました。

 社殿になります。
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 境内からの眺めがとても良いです。
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 しばらくこちらの御朱印は頂いていなかったので、久しぶりに頂きました。御朱印代は300円でした。私の前にも御朱印を頂く女性がいました。
 また、縁結びの御守りを頂きました。一体500円です。




神社名:足利織姫神社
鎮座地:栃木県足利市西宮町3889番地
祭 神:天御鉾命(あめのみほこのみこと) 天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)
社格等:旧無格社

芝東照宮(東京都港区芝公園)5

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 東京都港区芝公園の増上寺の南に鎮座する神社になります。

 最寄り駅は、都営三田線「芝公園駅(A4出口)」、都営三田線「御成門駅下車(A1出口)」、都営浅草線・大江戸線「大門駅下車(A6出口)」になります。
 芝公園駅からのが近いかもしれません。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「港区芝公園の旧郷社。徳川家康を祀る。例祭は4月17日。
 慶長六年(1601)に家康が等身大の像を造らせ土井大炊頭に命じて元和三年(1617)に芝増上寺の丸山に鎮祭、別当の安立院が奉仕した。
 寛永十八年(1641)造営の社殿は華麗を極め国宝に指定されたが戦災に遭う。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「東京都港区芝公園。旧郷社。
 御神像は慶長六年(1601)家康六十歳の時の彫刻という。元和二年(1616)駿府より芝増上寺へ護送せられ、翌三年同寺丸山の地に神殿が落成した。寛永十八年(1641)改めて華麗な社殿が造営され、旧国宝に指定をうけたが戦災にかかり焼失。現社殿は昭和四十四年の復興。
 例祭4月17日。」 


 元は増上寺の境内に勧請された東照宮になります。

 日比谷通り沿いに入口はありました。社号標になります。
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 参道を進んでいきます。
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 鳥居になります。
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 鳥居をくぐると、石段を上がります。
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 正面には、社殿がありました。
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 かなり小ぢんまりした神社です。

 社務所は、若干古さを感じさせられましたが、大丈夫でしょうか?
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 日光東照宮の東京出張所が置かれています。

 寒い日でしたが、参拝者はちらほらいらっしゃいました。

 神前結婚式に力を入れているのか、授与所にはパンフレットがありました。

 御朱印は、社務所で頂けました。御朱印代は、500円になり、「道中安寧御守り」と「ポストカード」付きになります。
 由緒書きは、頂きたい旨を告げると頂けました。
 御守りや御神札といった授与品はありました。




神社名:芝東照宮
鎮座地:東京都港区芝公園四丁目8‐10
祭 神:徳川家康公
社格等:旧郷社

鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)5


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神奈川県鎌倉市に鎮座する「鶴岡八幡宮」に参拝しました。
旧国幣中社になります。

最寄り駅は、JR横須賀線「鎌倉駅」になります。
徒歩では10分位になります。

神社専用駐車場は見当たりませんでした。
自動車で行かれる方は、有料駐車場を利用した方が良いかもしれません。
しかし、周辺の道は混み逢いますので公共交通機関の方が良いかもしれません。


こちらの神社の由緒は、次の通りです。
「当宮は康平六年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承四年(1180)鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、建久二年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。
また、頼朝公は流鏑馬や相撲、舞楽など、今日にも引き継がれる社頭での神事や行事を興し、 関東の総鎮守として当宮に厚い崇敬の誠を寄せたのです。
以降、当宮は武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まりました。当宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後『武士道』に代表される日本人の精神性の基調となりました。
現在では国際的史都鎌倉の中心的施設として国の内外より年間を通して数多の参拝者が訪れます。
現在の御本殿は、文政十一年(1828)、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財に指定されています。
深い杜の緑と鮮やかな御社殿の朱色が調和する境内には源頼朝公、実朝公をお祀りする白旗神社をはじめとする境内社のほか、静御前ゆかりの舞殿や段葛が八百年の長い歴史を伝えています。」


こちらが鳥居になります。
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大きな鳥居です。

鳥居をくぐります。
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「掟」が掲げられていました。
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m(__)m ははぁ!

鳥居の左側には由緒が記された案内板がありました。
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古い神社です。

参道右側には旗上弁天社が鎮座していました。
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源氏池にありました。

先に進みます。
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左側には手水舎がありました。
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手と口を漱いで参拝です。

右側には建物がありました。
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社務所です。

こちらが舞殿です。
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いわゆる神楽殿でしょうか。

先に進むと石段がありました。
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その横には銀杏がありました。
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以前、銀杏の木が折れてしまい、こんな感じになってしまいました。

この銀杏の木に隠れるように久暁いて、鎌倉幕府三代将軍源実朝を暗殺したのを思い出しました。

石段を上がる前の右側には授与所がありました。
御朱印受付、祈祷受付も併設されています。

授与所裏手には、若宮がありました。
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ちょうど結婚式をやってました。
お幸せに!

登ると神門がありました。
その神額になります。
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八の字が鳩になってます。

上がると社殿がありました。

石段を上がった所にも授与所がありました。
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御札や御守り等が多くありました。

御朱印は、石段を上がる前にある授与所で頂けました。
御朱印代は、300円です。






神社名:鶴岡八幡宮
鎮座地:神奈川県鎌倉市雪ノ下二丁目1‐31
祭 神:応神天皇 神功皇后 比売神
社格等:国幣中社 別表神社
札所等:鎌倉江の島七福神 弁財天

世良田東照宮(群馬県太田市)5

群馬県太田市に鎮座する「世良田東照宮」に参拝してきました。

以前の参拝日記は⇒こちら


こちらの神社の由緒は、次の通りです。
「元和二年(1616)徳川家康は駿府(静岡市)で七十五年の生涯を閉じた。
遺命により、遺体は一旦駿府郊外の久能山に葬られ、翌年下野国日光に改葬された。
それより二十年の後、社殿は三代家光によって全面的に改築され、今日の東照宮が完成した。
当時日光輪王寺と長楽寺の住職を兼ねていた天海は、旧社殿の一部を長楽寺元境内に移築して東照宮を勧請した。
当地が徳川氏発祥の地であり、当寺が徳川義季開基とする寺だからである。
幕府は、長楽寺をその別当寺としてその管理や祭祀に当らせ、二百石の社領を与え、その社殿の修理や祭祀の費用は幕府の財政によって賄われることになった。
桁行五間・梁間三間の拝殿は、日光奥社の拝殿を移したものである。
家康の最初の墓標として建てられた多宝塔もここに移され、本地堂(俗に塔の薬師)として、明治初年までその豪華な姿をとどめていた。
東照宮の鎮座により地元世良田の住民はもとより、近隣十数か村の住民は、東照宮の火の番を奉仕することによって道中取郷を免除されたり、幕府によって開削された神領用水の利用を許されたり、種々の恩典に浴することができた。
寛永二十一年(1644)に遷宮式が行わた。」


こちらは門になります。
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「御黒門」と呼ばれ、「蹴放し」をまたいで参拝すると良縁が成就するそうで、「縁結び門」と呼ばれているそうです。

境内は、新田荘遺跡になります。
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国指定史跡だそうです。

こちらが境内の案内板です。
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境内に入ると左には、番所がありました。
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(´・ω・`)

顔は出しません。

境内の右側になります。
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大名籠がありました。
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(´・ω・`)

顔は出しません。

こちらは手水舎になります。
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手と口を漱いで参拝です。

社殿になります。
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(´人`)

私は、一月中にご祈祷を受けました。
国指定重要文化財の社殿に入りました。
社殿の中には、三十六歌仙の絵がありました。とても立派です。続きを読む
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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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