まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

祈祷祈願

前橋八幡宮 誕生守(群馬県前橋市本町)5

 群馬県前橋市に鎮座する前橋八幡宮に平成31年1月6日に参拝いたしました。
 その際に「誕生守」を頂きました。
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 私は四月生まれなので「藤」が描かれています。
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 初穂料400円です。前橋八幡宮オリジナルかどうかはわかりません。

 境内左側の授与所が開いていたので、神職の方は詰めていらっしゃいました。
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 御神札や御守りといった授与品も多くありました。
 こちらは破魔矢です。
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 各種御守りです。300円〜600円前後になります。
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 伊勢神宮と前橋八幡宮の御神札もあります。

 いつまで社殿前の授与所が開いているかわかりません。閉まっている場合は「社務所(群馬県前橋市本町二丁目7‐2)」で祈祷祈願の受付や授与品は扱っていると思われます。

 鳥居横には「参集殿建設募金のお願い」という案内板がありました。
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 一口5,000円だそうです。良かったら寄付をお願いいたします。





神社名:前橋八幡宮
鎮座地:群馬県前橋市本町二丁目9‐21
祭 神:誉田別命 比売大神 息長帯比売命
社格等:旧県社 前橋総鎮守

反町薬師尊照明寺 再拝(群馬県太田市新田反町町)5

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 群馬県太田市にある「反町薬師照明寺」に参拝してきました。高野山真言宗に属する寺院になります。

 お寺専用の駐車場はありました。境内にも停められるスペースはあります。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊「ぐんまのお寺 真言宗機廚茲螳貮抜粋)。
「(前略)
 反町城の本丸跡にある照明寺は最初、元徳年間に新田郡市野井村字杉に建てられた薬師堂を、永禄年間(1558〜1570)に刑部大輔由良成繁の命で慈光坊が反町城西方の元屋敷に移築し、照明寺と名付けて祈願所とした。しかし、正徳四年(1714)11月に、失火のため堂宇のすべてが焼失したため、中興開山の祐泉が成繁の奥方より地料と堂宇造営料として百十五両の寄付を受けて寺を反町城の本丸跡(現在地)に移築造営した。そして義貞の母の法号である『妙光院殿蓮法大禅定尼』から、院号を妙光院とした。
 明治八年(1875)6月の太政官達(たっし)によって編さんされた『上野国郡村誌』では、照明寺は東西二十二間南北三十三間、面積七百三十歩、真言宗村田村宝蔵寺末とあり、明治十二年(1879)6月調査の『上野国新田郡寺院明細帳』では、本堂方四間、鐘楼方一間半、檀徒百五人とある。また、明治三十ニ年(1899)の追記では、庫裏は間口十間奥行き六間一尺、参籠堂は間口四間奥行き二間半としている。
 現在の照明寺は、南の土塁の間に明治四十年(1907)建立の石柱門があり、その周辺に明治二十七年(1894)に建てられた『新田義貞公古城跡』碑、馬頭観音線刻碑、天明八年(1788)4月および昭和三年(1928)12月の建立で、御大典記念の石灯籠がある。石柱門を入ると左手に水屋、その西に大師堂、その北に大きな参籠堂と弁天堂がある。正面の本堂は、明治十一年(1878)に完成したもので、本尊の薬師如来石仏(秘仏)のほか日光月光菩薩、十二神将、不動明王、地蔵菩薩、阿弥陀如来、愛染明王、大黒天が安置されている。本尊は新田家の守り本尊で、行基上人が東北巡化の際、この地方に悪病が流行していたのでそれを除こうとして自ら刻んだと伝えられている。また、明治以降、本尊は『反町薬師』『厄除薬師』『六算除薬師』として人々の崇敬を受け、正月四日の大縁日には四歳児の厄除けをはじめ、交通安全や入学祈願など、多方面の信仰を集めている。
(後略)」


 入り口になります。KIMG3729
 新田義貞公の館跡とされるお寺になります。右の石碑がそうです。
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 左側は「馬頭観音」の碑です。

 大師堂になります。
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 本堂になります。
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 まだお正月ということもあり、本堂では祈祷祈願が行われていました。参籠堂が祈祷受付になっていました。普段は本堂右側が受付になると思われます。

 弁天堂になります。 
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 御朱印は、参籠堂の祈祷受付にて頂きました。御朱印代は300円です。





寺院名:瑠璃山 妙光院 照明寺
所在地:群馬県太田市新田反町町896番地
宗 派:高野山真言宗
本 尊:薬師如来
通 称:反町薬師
札所等:上州新四国八十八ヶ所 六十二番札所
御詠歌:来光の弥陀の光の円明寺 照り沿う影は夜な夜なの月

榛名神社(群馬県高崎市榛名町)5

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 群馬県高崎市の北部、旧榛名町に神社は鎮座していました。

 ホームページによると近くまでバスが来ております。ご確認ください。

 神社専用の駐車場は見当たりませんでした。少し離れたところに市営無料駐車場があります。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(案内板による)。
「社伝によれば、綏靖天皇の御字饒速日命の子可美真手命父子が榛名山中に神籬を立て、天神地祇を祭ったのを始めとし、用明天皇(585)丙午の年に祭祀の場が創建されたといわれています。
 延長五年(927)完成の延喜式神名帳に上野国十二社のひとつとして位置づけられていた由緒ある神社で、古くから神仏習合が定着し、境内地の山中には九世紀頃の僧坊と思われる厳山遺跡があります。建久元年(1190)上野国司留守所にあてた下文によれば鎮護国家恒化修良の霊地として榛名寺領内に健児・検非両使の立ち入りが停止されるなど保護の手がさしのべられていました。
 中世には上野国六の宮と位置づけられ、南北朝時代は山内でもそれぞれの勢力と結びついて主導権争いが展開されました。結果として、北朝に組していた頼印は榛名山の支配者になり、さらには鎌倉に移り主要な寺院の要職に任命され、頼印と室町幕府の関わりから榛名山は室町幕府の手厚い庇護を受けることになります。戦国時代には、この地方を支配した武将が俗別当として配下の者を任命し、榛名山を尊崇しました。近世は東叡山輪王寺宮兼帯所となり、榛名山厳殿寺・満行宮と称していました。関東甲信越、奥州と信仰圏を拡大し、それら各地の村々で講組織が結ばれ、榛名詣でが盛んになりました。それら村々の講組織は榛名講とよばれ、その組織は現在も続いております。
 明治の神仏離令により、榛名神社という社号に復しました。『天下太平、国家安穏、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、鎮火、開運、縁結び、安産守護』の神として崇敬を受けているのに加え、近年は主祭神が火と土の神様であることから、土木、電力、電気、通信機器、陶磁器などの関係者の守護神としての信仰も盛んになって参りました。」


 鳥居から社殿まではかなり歩きます。

 一の鳥居
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 神門
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 参道
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 杉
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 手水舎です。
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 まだまだ行きます。
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 三重搭がありました。
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 ようやく社殿に近くなってきました。
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 神楽殿になります。
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 社殿になります。
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 本殿と御姿岩です。
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 上の方に幣束がありました。

 社殿の左側にある「国祖殿」は修理中になり、参拝することはできません。
 明治以前は「本地堂」とよばれ、勝軍地蔵が祀られていたそうです。現在の祭神は「豊城入彦命、彦狭島命、御諸別命」の三柱になります。摂社としての位置付けになり、社殿は「国指定重要文化財」になっています。

 境内社です。秋葉社かな?
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 御朱印は、授与所で頂きました。御朱印代は500円です。

 「榛名神社御守(初穂料500円)」を一体頂きました。その際に由緒書きはを頂きましたが、通常100円ですが無料でした。御朱印を頂くときにお願いしてもそうだと思います。






神社名:榛名神社
鎮座地:群馬県高崎市榛名山町甲849番地
祭 神:火産霊神 埴山毘賽神
合 祀:大山祇神 御沼龗神 大物主神 木花咲耶姫神
社格等:延喜式内社 旧県社 上野国六宮

忍東照宮・諏訪神社 徳川家康公着用「歯朶具足の兜」が描かれた「勝守」(埼玉県行田市忍本丸)5

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 今年の1月5日に埼玉県行田市に鎮座する忍東照宮・諏訪神社に参拝いたしました。

 埼玉県行田市の中心部にある「忍城址」の道路を挟んで反対側に鎮座しています。

 駐車場の場所がわからなかったので「忍城趾」の駐車場に停めさせて頂きました。無料で停められました。


 こちらの神社の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。
「【諏訪神社】
 祭神 建御名方命・八坂刀売命
 例祭 9月27日
 当社の鎮座したのは、八十二代後鳥羽天皇の建久(1190年頃)の昔、忍三郎・忍五郎家時等の一族が、館・塁等を築き居住した頃、と言い伝えられている。又『持田村誌』には、成田親泰が延徳三年(1491)に忍城を構築し、この時、持田村鎮守諏訪社(持田諏訪神社)を城鎮守としたのが、当社であると伝えている。その後、成田氏代々の崇敬があり、寛永十六年(1639)城主となった阿部忠秋は城郭を修築し、併せて正保二年(1645)、当社の本殿を造営、寛文十二年(1672)拝殿を新たに建立した。現在の社殿は昭和三十六年の造営である。
 文政六年(1823)、松平忠義は伊勢桑名から移封するに当たり、城内字下荒井の地へ東照宮を、史に城内へ多度杜と一目蓮杜を勧請した。これらは明治六年、城郭取り壊しの際、当社境内に移される。又、城内各所にあった小両、科斗杜(風の神)・八幡杜・久伊豆社・荒神社・春遺稲荷大明神・神明杜・二の丸稲荷大神・天神社・両棟稲荷大明神の九社も同時に当社へ配祀された。

【東照宮】
 祭神 徳川家康公・松平忠明公・八幡大神
 例祭 5月17日
 当社は、家康公の娘、亀姫が父の肖像を頂き、後に子の松平忠明公に伝え、忠明公が寛永二年(1625)、大和国郡山城内に社殿を造営して、肖像を安置したことに始まる。以来、藩主・藩士崇敬の社となった。その後、移封の都度遷座され、慶応四年(1868)鳥羽・伏見の戦の折、大坂蔵屋敷内の東照宮を、当社に合祀した。
 社領は、郡山当時より百石を受け継ぎ、明治維新まで続く。その地は、埼玉古墳群の辺りであったと・伝えられている。
 明治四年(1871)、藩主東京移住のために祭祀断絶の危機を迎えるが、旧藩士ら相計り、同七年に下荒井の地より、本丸の一部である諏訪郭内の忍東照宮境内一隅に本殿を移し、同三十三年に藩祖、松平忠明公を配祀した。
 現在の拝殿は昭和五年の造営である。」


 元々は忍諏訪神社の境内に東照宮が鎮座しました。
 
 鳥居になります。
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 参道を進むと二の鳥居がありました。
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 案内板がありました。
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「諏訪神社・東照宮
ご神徳
◎厄除 当宮所蔵の家康公肖像画は、長女・亀姫様がお輿入れ(結婚)の際、父親の肖像画を希望したので描かせ『我が意、ここにとどまる』と言って与えたものであり、四十二歳のときのものである。これにより厄除に御神意ありと伝えられている。
◎身体健康 ◎無病息災 ◎子孫繁栄 ◎家内安全 ◎縁結び ◎交通安全 ◎学業成就 ◎病気平癒 ◎八方除 ◎開運 ◎商売繁盛

神事
歳旦祭(1月1日)・節分祭(2月3日)
祈念祭(3月27日)・例祭(5月17日・9月27日)
大祓式(6月30日・12月30日)・除夜祭(12月30日)
月次祭(毎月1日・15日)」
※ご祈祷に関しては神社にお問い合わせください。恐らくは土日の対応になるかと思われます。

 社殿になります。
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 社殿は日光東照宮みたいに派手さはないです。

 こちらの神社は兼務社のようです。基本的に土日のみ誰かしら常駐するようです。なので祈祷祈願は休日のみかもしれません。

 御守り(一体500円〜)や御神札(一体800円〜)、絵馬(一体400円)がありました。私は徳川家康公着用の歯朶具足の兜が描かれた「勝守」を一体頂きました。初穂料は500円です。
 参拝したのは1月5日だったので、破魔矢(絵馬あり1,000円、絵馬なし800円)がありました。頂きたい方は、早めの参拝をお勧めします。

 由緒書きは、頂きたい旨を授与所で告げれば頂けます。無料になります。

 御朱印あり(初穂料300円)。




神社名:忍東照宮・諏訪神社
鎮座地:埼玉県行田市忍本丸12‐5
祭 神:徳川家康公 松平忠明公 八幡大神(東照宮)
    建御名方命 八坂刀売命(諏訪神社)
社格等:旧村社

少林山達磨寺 正月参拝&御朱印&御守(群馬県高崎市鼻高町)5

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 群馬県高崎市にあるお寺の中で「高崎白衣観音」に次いで有名なお寺かもしれません。

 最寄り駅は、JR信越本線「群馬八幡駅」になります。
徒歩で十数分位になります。

 国道18号線の「少林山入口」という交差点の南にある橋を渡り、東に行くと、お寺はありました。

 駐車場は、山門前にあり、自動車は十数台は停められそうです。
 また、本堂の後方にも駐車場があり、かなりの台数が停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県高崎市鼻高町にある黄檗宗の寺院。本尊は十一面観音。山号は少林山。
 開山は東皐心越(とうこうしんえつ、1640〜1696)、開基は徳川光圀と伝えられる。開創年は不明。
 正月6・7日の達磨市は有名。
 戦前、当寺にはナチスに追われたブルーノ・タウトが寄寓した。資料の展示館がある。」

 また、吉川弘文館刊「日本仏教史辞典」によると次の通りです。
「群馬県高崎市鼻高町にある寺。黄檗宗。山号は少林山で知られる。もと曹洞宗(寿昌派)。幕末の一時期無住を経て明治維新後に黄檗宗となる。
 寺伝によると、元禄十年(1697)前橋藩主酒井忠挙(ただたか)が明の渡来僧東皐心越(とうこうしんえつ、水戸藩主徳川光圀帰依)を招いて開山したとある。事実は心越の法嗣天湫法澧(くんしゅんほうれい)を水戸祇園寺から招いて開創したもの(『寿昌正統録』)であり、心越は勧請開山である。法澧は達磨寺(当初は少林山達磨精舎)を開創して三十年間、曹洞禅の強化に努めた。
 達磨寺の本尊は北辰鎮宅霊符尊。心越が中国から将来し、もとは水戸侯が護持し、享保七年(1722)本寺に勧請し、鎮護国家の祈願所として伝える。本堂は霊符尊と達磨大師、心越禅師を祀る。
 星祭祈祷の寺として知られ、1月6日、7日の七草大祭、達磨市(招福の達磨の張子を売る)は有名。霊符尊に対する信仰として開運講が組織されている。
 境内東端にドイツの建築家ブルーノ=タウトが昭和八年(1933)8月から十年10月まで居住して、日本文化を紹介した洗心亭がある。」


 3〜6月頃の境内は木々の緑が映え、しばらくは散策できます。
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 境内のカンロウバイが咲いていました。香りは無かったです。

 本堂裏側の駐車場の脇には売店があり、お茶やコーヒー、ドリンクがあります。「緑茶とどら焼きセット」があり、300円です。

 境内には霊符堂、達磨堂、観音堂があります。
 本堂へ続く参道。
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 本堂
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 観音堂は、十一面観音(厄除観音)が祀られていました。
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 茅葺きの屋根でとても趣がよいです。

 御朱印は、瑞雲閣(授与所が併設)にある「祈祷・納経・集印受付」で頂けます。御朱印を頂くには、「納経」が必要になりますので気を付けてください。御朱印受付の右側にある達磨大師の分身の前で、お経を唱えてくれます。御朱印代は志納です。

 授与所では、各種御守り(400円〜600円位)や各種御札(500円or1,000円)や達磨といった授与品はありました。
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 私は、開運にご利益がある「御守護」という御守りを頂きました。
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 400円になります。

 オリジナル御朱印帳もありました。




寺院名:少林山 鳳台院 達磨寺
所在地:群馬県高崎市鼻高町294番地
宗 派:黄檗宗
本 尊:北辰鎮宅霊符尊 十一面観音
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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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