まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

祈祷祈願

世良田東照宮 葵の御紋が入った御守り(群馬県太田市世良田町)5

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 群馬県太田市世良田町に鎮座する「世良田東照宮」で戴いた「葵の御紋の入った御守り」です。身体健全や開運招福等の諸願成就の御守りかと思います。初穂料700円です。紺色の御守りもあります。
 葵の御紋が入っていると「この紋所が目に入らぬか!」って言いたくなります(´・ω・`)

 本殿になります。
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 本殿にある「巣籠りの鷹」です。
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神社名:世良田東照宮
鎮座地:群馬県太田市世良田町3119‐1
主祭神:徳川家康公
配祀神:菅原道真公 倉稲魂命 須佐之男命 伊弉冉命 火産霊命 大穴牟遅命 誉田別命 建御名方神 豊城入彦神 外十柱
社格等:旧郷社

冠稲荷神社 お正月&戌日の参拝(群馬県太田市細谷町)5

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 群馬県太田市の西部に神社は鎮座していました。

 国道354号線の少し南にありました。周辺には神社の看板がでてきますので、わかりやすいかもしれません。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「細谷駅」になります。

 駐車場は、神社の西側にありました。自動車は、かなりの台数が停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県太田市細谷町に鎮座。祭神は宇迦之御魂命・猿田彦命・大宮能売命・大国主命・少彦名命ほか五柱。旧暦二月初午に火渡獅子舞がある。
 天治二年(1125)に源義国が国司として赴任の際に鎮祭し、承安四年(1174)に源義経が京都の伏見稲荷を勧請したと伝える。新田義貞は戦勝の奉賽として社領を寄進。領主・城主ほか豪商三井家が厚く信仰した。」

 また、案内板によると次の通りです。
「当神社は、往昔、宿窪明神(宿穴伏明神)と号し、上野国神名帳に名を留める古社で、創建は古代と伝わる。
 当地細谷は、古代は蛇川両縁の窪地なるために宿窪と称し、のちに地勢恰も山間の谷の如し、故に細谷と改称すと地誌にある。
 天治二年(1125)源義国公は、館の丑寅に当る当社を鬼門鎮護の霊場とし、源氏一門守護の氏神を鎮祭した。この時をもって当社御鎮座とした。義国公は、皇統第五十六代、清和天皇の子孫にして、清和源氏第五代源義家の嫡子である。義国公の長子は新田家の開祖、新田義重であり、次子は、足利家の開祖、足利義兼である。故に、義国公は、中世以降を司った源家一門の始祖といわれる。承安四年(1174)源義経公十五歳にして源氏再興を志し、奥州へ下向した。その折、当社に仮泊し、深更社殿の深奥に瑞光をみた。そして自身の曾祖父源義親の弟義国公ゆかりの社と知り、元服の時、冠(鳥帽子)の中に勧請してきた伏見稲荷大社のご分霊を鎮祭した。以来、伏見稲荷大社の分祀社として崇敬されるようになった。新田義貞公は若年の頃より当社への崇敬厚く、常用の四十二間筋兜(国宝)に稲荷大明神の神名を刻み、数多の神領、宝物を奉納し、年中五十三度の祭禮を当社にて執行した。元弘三年(1333)鎌倉幕府討伐の兵を挙げたとき、神前に戦勝を祈願し兜の中に神霊の来臨を請えば、種々不思議の感応があったという。以来新田家は北条氏を滅ぼす偉功をあげたのは、当神社の神威によるものと崇敬益々深厚にしたという。
 当社は稲荷大明神と称したが、村人は義経公、義貞公の故事を尊び、江戸時代中期より『冠稲荷』と呼び習わした。この由縁をもって、明治維新の折、名を冠稲荷神社と改めた。」


 大鳥居です。
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 鳥居をくぐります。
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 社殿になります。
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 本殿になります。
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 初詣ら祈祷祈願を受ける参拝者も多く、また御朱印を頂く方も列を作っていました。

 御朱印は、社殿右側の「御朱印筆耕処」で頂きました。御朱印代は300円です。書き置きの御朱印があり、御朱印代は500円です。




神社名:冠稲荷神社
鎮座地:群馬県太田市細谷町1番地
祭 神:宇迦之御魂大神 外
社格等:旧村社

前橋八幡宮 誕生守(群馬県前橋市本町)5

 群馬県前橋市に鎮座する前橋八幡宮に平成31年1月6日に参拝いたしました。
 その際に「誕生守」を頂きました。
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 私は四月生まれなので「藤」が描かれています。
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 初穂料400円です。前橋八幡宮オリジナルかどうかはわかりません。

 境内左側の授与所が開いていたので、神職の方は詰めていらっしゃいました。
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 御神札や御守りといった授与品も多くありました。
 こちらは破魔矢です。
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 各種御守りです。300円〜600円前後になります。
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 伊勢神宮と前橋八幡宮の御神札もあります。

 いつまで社殿前の授与所が開いているかわかりません。閉まっている場合は「社務所(群馬県前橋市本町二丁目7‐2)」で祈祷祈願の受付や授与品は扱っていると思われます。

 鳥居横には「参集殿建設募金のお願い」という案内板がありました。
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 一口5,000円だそうです。良かったら寄付をお願いいたします。





神社名:前橋八幡宮
鎮座地:群馬県前橋市本町二丁目9‐21
祭 神:誉田別命 比売大神 息長帯比売命
社格等:旧県社 前橋総鎮守

反町薬師尊照明寺 再拝(群馬県太田市新田反町町)5

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 群馬県太田市にある「反町薬師照明寺」に参拝してきました。高野山真言宗に属する寺院になります。

 お寺専用の駐車場はありました。境内にも停められるスペースはあります。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊「ぐんまのお寺 真言宗機廚茲螳貮抜粋)。
「(前略)
 反町城の本丸跡にある照明寺は最初、元徳年間に新田郡市野井村字杉に建てられた薬師堂を、永禄年間(1558〜1570)に刑部大輔由良成繁の命で慈光坊が反町城西方の元屋敷に移築し、照明寺と名付けて祈願所とした。しかし、正徳四年(1714)11月に、失火のため堂宇のすべてが焼失したため、中興開山の祐泉が成繁の奥方より地料と堂宇造営料として百十五両の寄付を受けて寺を反町城の本丸跡(現在地)に移築造営した。そして義貞の母の法号である『妙光院殿蓮法大禅定尼』から、院号を妙光院とした。
 明治八年(1875)6月の太政官達(たっし)によって編さんされた『上野国郡村誌』では、照明寺は東西二十二間南北三十三間、面積七百三十歩、真言宗村田村宝蔵寺末とあり、明治十二年(1879)6月調査の『上野国新田郡寺院明細帳』では、本堂方四間、鐘楼方一間半、檀徒百五人とある。また、明治三十ニ年(1899)の追記では、庫裏は間口十間奥行き六間一尺、参籠堂は間口四間奥行き二間半としている。
 現在の照明寺は、南の土塁の間に明治四十年(1907)建立の石柱門があり、その周辺に明治二十七年(1894)に建てられた『新田義貞公古城跡』碑、馬頭観音線刻碑、天明八年(1788)4月および昭和三年(1928)12月の建立で、御大典記念の石灯籠がある。石柱門を入ると左手に水屋、その西に大師堂、その北に大きな参籠堂と弁天堂がある。正面の本堂は、明治十一年(1878)に完成したもので、本尊の薬師如来石仏(秘仏)のほか日光月光菩薩、十二神将、不動明王、地蔵菩薩、阿弥陀如来、愛染明王、大黒天が安置されている。本尊は新田家の守り本尊で、行基上人が東北巡化の際、この地方に悪病が流行していたのでそれを除こうとして自ら刻んだと伝えられている。また、明治以降、本尊は『反町薬師』『厄除薬師』『六算除薬師』として人々の崇敬を受け、正月四日の大縁日には四歳児の厄除けをはじめ、交通安全や入学祈願など、多方面の信仰を集めている。
(後略)」


 入り口になります。KIMG3729
 新田義貞公の館跡とされるお寺になります。右の石碑がそうです。
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 左側は「馬頭観音」の碑です。

 大師堂になります。
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 本堂になります。
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 まだお正月ということもあり、本堂では祈祷祈願が行われていました。参籠堂が祈祷受付になっていました。普段は本堂右側が受付になると思われます。

 弁天堂になります。 
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 御朱印は、参籠堂の祈祷受付にて頂きました。御朱印代は300円です。





寺院名:瑠璃山 妙光院 照明寺
所在地:群馬県太田市新田反町町896番地
宗 派:高野山真言宗
本 尊:薬師如来
通 称:反町薬師
札所等:上州新四国八十八ヶ所 六十二番札所
御詠歌:来光の弥陀の光の円明寺 照り沿う影は夜な夜なの月

榛名神社(群馬県高崎市榛名町)5

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 群馬県高崎市の北部、旧榛名町に神社は鎮座していました。

 ホームページによると近くまでバスが来ております。ご確認ください。

 神社専用の駐車場は見当たりませんでした。少し離れたところに市営無料駐車場があります。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(案内板による)。
「社伝によれば、綏靖天皇の御字饒速日命の子可美真手命父子が榛名山中に神籬を立て、天神地祇を祭ったのを始めとし、用明天皇(585)丙午の年に祭祀の場が創建されたといわれています。
 延長五年(927)完成の延喜式神名帳に上野国十二社のひとつとして位置づけられていた由緒ある神社で、古くから神仏習合が定着し、境内地の山中には九世紀頃の僧坊と思われる厳山遺跡があります。建久元年(1190)上野国司留守所にあてた下文によれば鎮護国家恒化修良の霊地として榛名寺領内に健児・検非両使の立ち入りが停止されるなど保護の手がさしのべられていました。
 中世には上野国六の宮と位置づけられ、南北朝時代は山内でもそれぞれの勢力と結びついて主導権争いが展開されました。結果として、北朝に組していた頼印は榛名山の支配者になり、さらには鎌倉に移り主要な寺院の要職に任命され、頼印と室町幕府の関わりから榛名山は室町幕府の手厚い庇護を受けることになります。戦国時代には、この地方を支配した武将が俗別当として配下の者を任命し、榛名山を尊崇しました。近世は東叡山輪王寺宮兼帯所となり、榛名山厳殿寺・満行宮と称していました。関東甲信越、奥州と信仰圏を拡大し、それら各地の村々で講組織が結ばれ、榛名詣でが盛んになりました。それら村々の講組織は榛名講とよばれ、その組織は現在も続いております。
 明治の神仏離令により、榛名神社という社号に復しました。『天下太平、国家安穏、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、鎮火、開運、縁結び、安産守護』の神として崇敬を受けているのに加え、近年は主祭神が火と土の神様であることから、土木、電力、電気、通信機器、陶磁器などの関係者の守護神としての信仰も盛んになって参りました。」


 鳥居から社殿まではかなり歩きます。

 一の鳥居
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 神門
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 参道
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 杉
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 手水舎です。
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 まだまだ行きます。
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 三重搭がありました。
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 ようやく社殿に近くなってきました。
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 神楽殿になります。
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 社殿になります。
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 本殿と御姿岩です。
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 上の方に幣束がありました。

 社殿の左側にある「国祖殿」は修理中になり、参拝することはできません。
 明治以前は「本地堂」とよばれ、勝軍地蔵が祀られていたそうです。現在の祭神は「豊城入彦命、彦狭島命、御諸別命」の三柱になります。摂社としての位置付けになり、社殿は「国指定重要文化財」になっています。

 境内社です。秋葉社かな?
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 御朱印は、授与所で頂きました。御朱印代は500円です。

 「榛名神社御守(初穂料500円)」を一体頂きました。その際に由緒書きはを頂きましたが、通常100円ですが無料でした。御朱印を頂くときにお願いしてもそうだと思います。






神社名:榛名神社
鎮座地:群馬県高崎市榛名山町甲849番地
祭 神:火産霊神 埴山毘賽神
合 祀:大山祇神 御沼龗神 大物主神 木花咲耶姫神
社格等:延喜式内社 旧県社 上野国六宮
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