神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

県社

宝登山神社 再拝(埼玉県秩父郡長瀞町)5

KIMG2604

 埼玉県長瀞町に鎮座する神社になります。

 最寄り駅は、秩父鉄道「長瀞駅」になります。神社まで徒歩で行けます。

 駐車場は、社務所前にありました。自動車は、数十台位は停められそうです。
 国道140号線沿いには、大きな鳥居がありました。目印になります。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県秩父郡長瀞町長瀞の旧県社。神社本庁別表神社。宝登山とも。祭神は神日本磐余彦尊・大山祗神・火産霊神。例祭は4月3日。神楽・獅子舞・人形浄瑠璃・煙火を奉納する。
 日本武尊が東国平定にあたり当国で大山火事に遭ったが、巨犬が現れて火を鎮め姿を消した。その霊犬が大山祇神のお使いであることを知り、当山鎮護の大山祇神と火防の神である火産霊神を奉斎したという。火止山はこの故事から付された。
 周辺から採集された銅が慶運五年(708)に朝廷に献上されてから火所山となり、のちに宝登山と表記された。」

 また、國學院大学日本文化研究所編「神道辞典」によると次の通りです。
「〈祭神〉神日本磐余彦尊、(配祀)大山祗神・火産霊神、(摂社)日本武尊
 〈旧称〉宝登山大権現
 〈例祭日〉4月3日 〈神事〉奥社大祭、丹玉祭
 〈由緒〉日本武尊が東征の帰路、宝登山山頂で大和の神武天皇陵を遥拝して戦勝報告をした。このとき突如として猛火が尊を襲ったが、多くの巨犬が現れて救った。日本武尊はこの霊犬を大山祇神の眷属とし、神々を鎮祭したといい、火伏せの霊験で知られる。尊が禊(みそぎ)したという泉、玉泉があり、明治以前までは宝登山大権現と称し、鳥羽天皇の時代に建立された真言宗玉泉寺が別当寺であった。
 〈旧社格〉県社(明治三十一年)」


 ロープウェイで宝登山の山頂まで行け、奥の宮も参拝できるようです。

 秩父神社と三峯神社と並ぶ「秩父三社」の一社になります。

 鳥居になります。
KIMG2558
 渋沢栄一書の社号標です。
KIMG2559
 手水舎です。
KIMG2560
 登っていきます。
KIMG2561
 社殿になります。
KIMG2562
 参拝していたらちょうど秩父三社を巡る観光バス3台が到着、御朱印を頂く人の長蛇の列が授与所に並びました。境内もその観光客?だらけでした。

 神楽殿になります。
KIMG2563
 大黒さまです。
KIMG2565
 御朱印は、境内の右側にある授与所にて頂きました。御朱印代は300円です。
KIMG2566
 御守りや御札といった授与品はありました。私は縁起物のうちわ(初穂料300円)と日本武尊の火伏せの図が描かれた絵馬(初穂料700円)を頂きました。




神社名:宝登山神社
鎮座地:埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828番地
祭 神:神日本磐余彦尊(神武天皇)
配 祀:大山祗神 火産霊神
社格等:旧県社 別表神社

宝登山神社 縁起うちわ&日本武尊の火伏せの図絵馬(埼玉県秩父郡長瀞町)5

KIMG2571
KIMG2603
 埼玉県秩父郡長瀞町に鎮座する宝登山神社の「縁起うちわ」と「日本武尊の火伏せの図絵馬」になります。
 「縁起うちわ」は、火伏せや金運招来にご利益があるそうです。授与所には並んでいないので、神職や巫女さんに頂きたい旨を告げてください。初穂料300円。
 「日本武尊の火伏せの図絵馬」は、こちらの神社の由緒にあるように宝登山で火事に襲われた日本武尊に犬が火に立ち向かいい、無事に逃れた時の絵になります。初穂料700円。






神社名:宝登山神社
鎮座地:埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828番地
祭 神:神日本磐余彦尊(神武天皇)
配 祀:大山祗神 火産霊神
社格等:旧県社 別表神社
URL:http://www.hodosan-jinja.or.jp/

下野国一社八幡宮(八幡八幡宮、栃木県足利市八幡町)5

KIMG2541

 栃木県足利市の西部、八幡町に鎮座していました。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「野州山辺駅」になります。

 駐車場は、社務所の前にありました。自動車は、十台位は停められそうです。他にも駐車場はあるかもしれません。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「足利市八幡町の旧県社。祭神は誉田別命ほか五柱。例祭は10月14日。
 天喜五年(1057)に創建された。源義家が当地に滞陣し戦勝祈願のため創建されたと伝える。康平年間(1058〜1065)に源義家が凱旋のおりに参詣した。三男義国は甲冑・田園を寄進した。
 足利・織田・豊臣の各氏が深く信仰し、徳川家は二十石の朱印領を寄せた。」

 また、由緒書きによると以下の通りです。
「社伝によると、天喜四年(1056)八幡太郎の名で有名な源義家が、陸奥の豪族、阿部頼時父子との戦い(前九年の役)にあたり当社付近の大将陣に宿営し、戦勝を祈願して現在地に小祠を創建し、山城の国(現京都府)の男山八幡宮を勧請したという。
 康平年間に凱旋した義家は神の恵みに感謝し、公自ら兵器を奉納した。文明八年(1476)8月、長尾景長は境内社木伐採の禁制を出し保護を加え、その後の元和七年(1621)11月、江戸幕府より二十石の朱印社領を許されているが、この時の設計図や費用明細書などが現存している。
 当社は、八幡太郎義家・義国の父子の手厚い信仰により源姓足利氏の代々の氏神として保護されてきた。明治四年に社格が制定され、同五年郷社、同三十五年には県社に列せられた。
 当社は古くは足利荘八幡宮と呼ばれ、下野国内第一の八幡宮として、下野国一社八幡宮、一国一社八幡宮とも称した。」


 1月14日に参拝いたしました。初詣の時期も過ぎたのか、境内は静かでした。

 鳥居になります。
KIMG2525
 源姓足利氏発祥の地の碑になります。
KIMG2524
KIMG2523
 二の鳥居になります。
KIMG2522
 社殿になります。
KIMG2521
 神楽殿になります。
KIMG2526

 境内には門田稲荷神社が鎮座しています。縁切り稲荷だそうです。

 御朱印は、授与所で頂きました。御朱印代は300円です。
 御守りや御札、絵馬等の授与品はありました。門田稲荷神社の絵馬(初穂料1,000円)がありました。






神社名:下野国一社八幡宮
鎮座地:栃木県足利市八幡町387番地
祭 神:誉田別命 大帯姫命 姫大神
別 称:八幡八幡宮
社格等:旧県社

前橋東照宮 御手杵の槍絵馬(群馬県前橋市大手町)5

KIMG2495

 群馬県前橋市の中心部、群馬県庁から少し北の「大手町」の交差点の所に神社は鎮座していました。中央大橋のたもとといった感じです。

 最寄り駅は、JR両毛線「前橋駅」or「新前橋駅」になります。両駅から徒歩では少々かかりそうです。

 駐車場は、境内の北側の道路沿いにありました。自動車は、数十台位は停められそうです。

 
 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「前橋市大手町の旧県社。徳川家康・菅原道真・木之花咲耶比売神ほか二柱を祀る。例祭は4月17日。
 寛永元年(1624)に前橋藩祖である松平直基が越前の勝山城主当時に奉斎され、その後の移封ごとに遷された。
 慶応二年(1866)に前橋に帰還し、明治四年(1871)に遷座した。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「群馬県前橋市大手町。旧県社。
 寛永元年(1624)前橋藩の祖、松平直基が越前勝山城主時代に同地に創建、以来二百三十年余り十三回にわたる各地移封の都度遷祀、慶応元年(1865)川越より転領後、明治四年(1871)現在地に遷座した。
 宝物に家康公木像(元和年間作)などがある。
 例祭4月17日。」


 鳥居になります。
KIMG2487
 手水舎になります。
KIMG2486
 交通安全の祈祷所
KIMG2484
 社殿になります。
KIMG2483
 1月7日に参拝してきました。まだ初詣の参拝者がいらっしゃいました。授与所には、御守りや御札をいただく方、祈祷祈願を受ける方も多かったです。

 本殿後方には「営築稲荷神社」が鎮座していました。
KIMG2488
 由緒
「文久三年(1863年)、前橋城再築にあたり工事の安全を祈願するため松平家11代藩主・松平直克が勧請した神社。
 御祭神は宇迦之御魂神で、主な御神徳は商売繁盛、工事安全となっており信仰を集めています。」

 そばにありました。
KIMG2489
 厩橋護国神社になります。
KIMG2492
 
 私は、授与所で御手杵の槍が描かれた絵馬を一体頂きました。初穂料は800円でした。





神社名:前橋東照宮
鎮座地:群馬県前橋市大手町三丁目13‐19
祭 神:徳川家康公 菅原道真公 木之花咲耶姫神 長壁様
社格等:旧県社
札所等:全国東照宮めぐり

健田須賀神社(茨城県結城市結城)5

[画像:18f706a4-s.jpg]

 茨城県結城市の中心部に神社は鎮座していました。

 最寄り駅はJR水戸線「結城駅」になります。徒歩で神社まで10分位かと思われます。

 神社専用の駐車場はありました。北側に鳥居があり、その右側にあります。自動車は10台以上は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【健田須賀神社】
 茨城県結城市結城浦町の旧県社。延喜式内社(合祀社)。祭神は健田大神・須賀大神。
 例祭は11月15日。7月15日から22日に神輿渡御祭があり、15日に子供の無病安全祈願のおけさ幣を授与する。4月15日に太々神楽を奉納する。7月31日の夏越祭では新茅の茅の輪と疫神を麦藁で作る。
 結城朝光が尾張国の津島神社から勧請し須賀神社と称した。付近にあって衰微した延喜式内社の健田神社を合祀して現社号になる。」

 また、由緒書きによると次の通りです。
「【祭神】
 武渟川別命 須佐之男命
 【由緒】
 健田須賀神社は明治3年に健田神社と須賀神社が現在の地に合祀され、健田須賀神社となりました。
 健田神社は現在の地より2キロ東南の古代より霊峰筑波山を拝する素晴らしい地にありました。そこで祭りを行った事より日の出から暦を察した場所と考えられます(古代祭祀)。やがて神社の形をあらわし、結城の国造竹田臣の祖神武渟川別命を祀りました。日本最古の公式記録集『延喜式』(927)には下総国11社の一つに記されています。以後宝暦14年(1764)小塙乗国寺と習合し、明治3年神仏分離により須賀神社と合祀しました。
 須賀神社は結城家初代朝光公が仁治3年(1242)尾張国の津島神社より御神霊を勧請し、結城家第一の氏神として手厚く祀り、結城家はもとより広く民衆に信仰され、結城の産土神として崇敬されました。特に康永2年(1343)7代直朝公が結城7社を定め、結城108郷の総社として盛観を極めました。18代秀康公(徳川家康次男)は福井移封後も家臣を遣わし変わらずに崇敬しました。
 合祀以降、明治5年に郷社、昭和5年に県社昇格。」


 北側に鳥居があります。
[画像:685b7739-s.jpg]
 案内板。
[画像:72ff9955-s.jpg]
 神楽殿。
[画像:773bd40f-s.jpg]
 社殿左側にある境内社。
[画像:c53b42dd-s.jpg]
 社殿になります。
[画像:cfdf1a36-s.jpg]

 参拝指していたら、新車を購入したのか交通安全祈願のご祈祷をしている方々がいらっしゃいました。

 御朱印は授与所にて頂きました。御朱印代は300円です。
 御神札や御守りといった授与品はありました。





神社名:健田須賀神社(たけだすがじんじゃ)
鎮座地:茨城県結城市結城195番地
祭 神:武渟川別命 須佐之男命
社格等:延喜式内社(健田神社) 旧県社 結城総鎮守
記事検索
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
Amazonライブリンク
livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード
カテゴリ別アーカイブ
Twitter プロフィール
日本のまほろばを探して社寺を参詣しており、社寺参詣道代表師範です。 管理部に所属する会社員。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士(ファイナンシャルプランナー)、日商簿記検定2級、秘書検定2級、全経電卓検定3級、神社検定参級、安全衛生推進者
メッセージ

ご質問がありましたらメッセージをお願いいたします。 全てのご質問にはお答えできません。

名前
メール
本文
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログトピックス
J-CASTニュース
livedoor 天気
  • ライブドアブログ