群馬県前橋市に鎮座する「産泰神社(さんたいじんじゃ)」に参拝してきました。
前橋市の東部に神社はありました。
駐車場は、鳥居の右側、また参道の左側にありました。
自動車は、かなりの台数が停められそうです。
こちらが鳥居と神門になります。
なかなか立派な神門です。
神門の左右にいらっしゃいました。
神門には、「正一位産泰大神宮」との扁額が掲げられていました。
古そうな扁額です。
説明板によると
『この神社の創建は、社伝によれば履中元年とされているが定かでない。しかし、社殿背後に壘々としている巨石群から、神社信仰の初現形態の一つである巨石崇拝にその起源があるとみられ、歴史の古さがしのばれる。
安産を祈る者が、軽くヌケル(生れる)ようにと底を抜いたヒシャクを奉納するようになったのは、江戸時代以降のことで、前橋、伊勢崎などをはじめ県下一円の人々から、安産の神として篤い信仰を受けた。特に、前橋藩主酒井雅楽頭は、社殿の造営をするなどその信仰著しいものがあった。
酒井氏の造営になった社殿は、多くの彫刻で飾られ、内部格天井には、酒井抱一が描いたとされる極彩色の花鳥図もある。数ある社宝のうち八稜鏡は、平安時代のもので、前橋市の重要文化財に指定されている。
また、四月十八日例祭の際に奉納される太々神楽も前橋市の重要無形文化財に指定されている。』
こちらの神社は、「山岳信仰」や「安産子育ての信仰」の神社のようです。
社殿になります。
「入母屋造り」になり、彫刻が素晴らしいです。
幣殿と本殿です。
本殿です。
本殿の真裏です。
彫刻が素晴らしいです。
また、社殿の後方には「産泰磐座(いわくら)」がありました。
赤城山が噴火した時の火砕流が原因の巨石がありました。
巨石崇拝や山岳信仰に基づくものだと思われます。
一説には、巨石があることからこちらの神社が「赤城神社の里宮」ではないかとも言われています。
神社専用の駐車場からは「赤城山」が見えますので現実味があります。
また、こちらの神社から南下した所には「二宮赤城神社」が鎮座しています。
境内には「安産子育て戌」がありました。
何だか可愛らしいです。
やはり、「木花咲耶比売命」を主祭神とするだけあります。続きを読む
前橋市の東部に神社はありました。
駐車場は、鳥居の右側、また参道の左側にありました。
自動車は、かなりの台数が停められそうです。
こちらが鳥居と神門になります。
なかなか立派な神門です。
神門の左右にいらっしゃいました。
神門には、「正一位産泰大神宮」との扁額が掲げられていました。
古そうな扁額です。
説明板によると
『この神社の創建は、社伝によれば履中元年とされているが定かでない。しかし、社殿背後に壘々としている巨石群から、神社信仰の初現形態の一つである巨石崇拝にその起源があるとみられ、歴史の古さがしのばれる。
安産を祈る者が、軽くヌケル(生れる)ようにと底を抜いたヒシャクを奉納するようになったのは、江戸時代以降のことで、前橋、伊勢崎などをはじめ県下一円の人々から、安産の神として篤い信仰を受けた。特に、前橋藩主酒井雅楽頭は、社殿の造営をするなどその信仰著しいものがあった。
酒井氏の造営になった社殿は、多くの彫刻で飾られ、内部格天井には、酒井抱一が描いたとされる極彩色の花鳥図もある。数ある社宝のうち八稜鏡は、平安時代のもので、前橋市の重要文化財に指定されている。
また、四月十八日例祭の際に奉納される太々神楽も前橋市の重要無形文化財に指定されている。』
こちらの神社は、「山岳信仰」や「安産子育ての信仰」の神社のようです。
社殿になります。
「入母屋造り」になり、彫刻が素晴らしいです。
幣殿と本殿です。
本殿です。
本殿の真裏です。
彫刻が素晴らしいです。
また、社殿の後方には「産泰磐座(いわくら)」がありました。
赤城山が噴火した時の火砕流が原因の巨石がありました。
巨石崇拝や山岳信仰に基づくものだと思われます。
一説には、巨石があることからこちらの神社が「赤城神社の里宮」ではないかとも言われています。
神社専用の駐車場からは「赤城山」が見えますので現実味があります。
また、こちらの神社から南下した所には「二宮赤城神社」が鎮座しています。
境内には「安産子育て戌」がありました。
何だか可愛らしいです。
やはり、「木花咲耶比売命」を主祭神とするだけあります。続きを読む
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