まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

源頼朝

間々田八幡宮(栃木県小山市間々田)5

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 栃木県小山市の南部の間々田地区に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR宇都宮線「間々田駅」になります。徒歩では25分位になります。

 神社専用の駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「小山市間々田の旧村社。祭神は誉田別命。例祭は9月15日、8月21日。
 旧暦4月8日に悪魔を祓う行事があり、龍を型どった物を氏子町内に配り、『じゃがまいた、じゃがまいた』と唱えて練り歩きながら、各戸の軒先に藤つると菖蒲を挿していく。
 天平年間(729〜749)に勧請したと伝える。天慶二年(939)に藤原秀郷が勅命により平将門の乱を平定した。当社に祭田を寄進し、里人は飯田(ままだ)の里と称した。文治五年(1189)に源頼朝が陸奥に泰衡を討伐する途次、当社に祈願した。日光例幣使も参拝した。嘉永四年(1851)に現社殿を建立し、正一位の宣旨を受けた。」

 また、由緒書きよると次の通りです。
「間々田八幡宮の創建は古く、今から約千三百年前の天平年間に勧請されたものと伝えられている。
 天慶二年(939)平将門の乱が起るや、朝廷は藤原秀郷等に勅して之を討たした。秀郷は征討に臨み沿道の神社仏閣に戦勝を祈願し、乱平定の後、当八幡宮に神饌御料として供田した。これより後、里人、飯田(まんまだ)の里と呼称した。
 文治五年(1189)陸奥泰衡の乱に征討の軍を率いた源頼朝は
藤原秀郷、当八幡宮に将門調伏の祈誓ありしを聞き、戦勝を祈願して
松樹を植えた。後に人これを『頼朝手植の松』と称し近年に及ぶが惜しいかな明治三十八年(1905)枯死した。
 徳川幕府、家康の遺骨を日光山に遷し、日光街道十八駅を置く行程三十六里(141辧砲覆蝓F光・江戸の中間なるをもって間々田と改称した。また、朝廷は日光東照宮に例幣使をさしつかわし例年、幣帛を賜るが、その道中、当駅をへるに鎮座せる神社の由緒あるを聞き、当八幡宮を必ず参拝されるを例とされ、享和年間の社殿焼失
まで続いたと言い伝えられている。
 正徳二年(1712)六月、神階正一位の宣旨を受ける。
 享和年間に失火し、社殿ことごとく灰燼に帰した。よって御神霊を仮殿に安置し、嘉永四年(1851)に至り現在の社殿を再建した。建立に関係した宮大工は、折しも東照宮大修理にあたって各地から招かれた宮大工であったと伝えられ、御本殿の彫刻には、その優秀な技術をしのぶことができる。
 当八幡宮境内はこの近隣に類を見ないほど広大で、小山市に貸与してある公園の部分を含めると約二万坪の敷地を有している。数百年の樹齢を数える杉の古木が荘厳な雰囲気を醸し出し、緋鯉、真鯉の遊泳する神の池には、春の桜、秋の紅葉がその艶やかな姿を映し、氏子崇敬者や市民の憩いの場となっている。
 また、松尾芭蕉は、奥の細道紀行で江戸を出発して二日目に間々田宿に宿泊しているが、その芭蕉に因んだ句碑『古池や蛙飛び込む水の音』が立てられている。この句碑は、病気平癒を祈願した氏子が、全快のお礼に嘉永年間に建立したものであるが、御神徳による霊威は古い昔から伝えられるところであり、近年でも足を病んで歩行できなかった茨城の婦人が、夢に見た当神社を写真に撮り、朝夕拝んだところたちまち癒えたとお礼参りに来られたり、都内に本社を置く会社の社長は当神社に祈願し、社殿下の砂を拝領して会社を起こして見事に成功した例など枚挙にいとまがない。これ偏に遠く天平の昔より間々田八幡宮のご加護を信じ、崇拝し、神社護持に力を尽くした氏子崇敬者の赤心に有難き御神徳が益々発揚されている証であろう。」


 参拝したのは12月30日で空っ風が吹き荒れ、境内はとても寒かったです。

 鳥居になります。
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 くぐると下がります。
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 鳥居を入ると石段を下る神社として一之宮貫前神社があるが、その神社と同じ「下り宮」と考えて良いのだろうか?

 参道を進みます。
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 右側に源頼朝お手植えの松がありました。
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 現在三代目だそうです。

 その奥には厳島神社(弁天社)がありました。
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 弁天池がありました。
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 神社の境内は「間々田八幡公園」として整備されています。

 こちらが社殿になります。
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 社殿周辺は、お正月の準備のためテントがいくつか張ってありました。

 八龍神社が鎮座していました。
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 御朱印は、参道途中の授与所で頂けました。
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 御朱印代は300円でした。年末年始は書き置き対応になるそうです。

 由緒書きは、社殿の賽銭箱横にありました。

 御神札や御守りといった授与品はありました。私はジャガマイタの絵馬を一体頂きました。




神社名:間々田八幡宮
鎮座地:栃木県小山市間々田2330番地
祭 神:誉田別命 息長帯姫命
社格等:旧村社

石井山 三光院 珊瑚寺(群馬県前橋市)5

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群馬県前橋市にある「石井山 三光院 珊瑚寺」に参拝してきました。
天台宗のお寺になります。

前橋市の北部、旧富士見村の国道353号線沿いにお寺はありました。
お寺の看板はありますが、見過ごしてしまうかもしれません。

近くには、「道の駅ふじみ」がありました。

これといった最寄り駅はありません。
「前橋駅⇔富士見温泉前」間に日本中央バスが走っており、「珊瑚寺前」で降りると、すぐお寺はありました。
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駐車場は、境内の左側にありました。
自動車は、数十台は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は、以下の通りです。
「珊瑚寺は古名を石井山三光院三錮寺といい、およそ1200年前の大同二年(807年)、日光山を開いた勝道上人によって開創されました。
その後約400年間は無住寺となっていましたが、正治年間(鎌倉初期)に梶原景時の女といわれる女性が尼僧になってここに移り住み、梶原景時父子、源頼朝の霊を慰めるため堂を建て、その後約240年間は尼僧はが住持していたので広く尼寺として知られるようになりました。
永享年間の末に、八崎城主の長尾景仲が、当時古跡寺であった当寺に子持村雙林寺を開創した月江上人と遊化し、その門弟が三十年間禅門の風(禅宗)を唱えましたが、これらの僧はいずれも他の寺に移り再度無住寺となり荒れ果ててしまいました。
文明年代(1469〜1486)、義貫和尚(二十七世)によって天台宗に、寺名も珊瑚寺と改められ、明歴年間(1655〜1658)秀覚法印(三十世)の代には前橋市青柳町の龍蔵寺の末寺になりとなりました。
文化六年(1810)良順法印(三十六世)の代には上野寛永寺の直末となり隆盛を極めました。
堯尊法印(三十三世)の時代には七堂伽藍があったと伝わっています。」


こちらが入口になります。
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国道353号線沿いにあります。

参道には、桜や紫陽花がありました。
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6月16日に参拝しましたが、紫陽花はまだまだ咲いていません。
今月の末頃から来月上旬頃には見頃かもしれません。

心字池には、七福神の石像がありました。

池には弁天橋が架かっており、その先には弁天堂がありました。
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弁天堂です。
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弁天堂の内部です。
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こちらが山門になります。
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山門を入ると、正面には、本堂がありました。
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本堂では、法事が行われていました。
本尊である阿弥陀如来と上州七福神の恵比寿尊天が祀られています。

こちらが鐘楼があります。
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なかなか立派です。

本堂の右側には、大きな杉がありました。
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神社で言うところの御神木的な位置づけなんでしょうか?続きを読む

牛天神北野神社(東京都文京区)5

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東京都文京区にある「牛天神北野神社」に参拝してきました。

最寄り駅は、東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園駅」、都営大江戸線・三田線「春日駅」になります。

近くには、東京ドームがありました。
僕は、ナベツネが

この周辺は、江戸時代は「水戸徳川家」の屋敷があった場所と思われます。

後楽園駅から行くと、坂を登り、きつい階段の参道を登ることになります。
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かなり疲れました。

由緒が書かれています。
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なかなかの古社になります。

ホームページからの由緒を引用します。
「鎌倉時代、源頼朝公が当地にあった岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った菅原道真公が現れ『二つの喜びがある』と告げられた。
翌年その喜びがあり、頼朝公がこの岩を祀り牛天神を創立。
以来、境内にある牛の形をした岩(境内のご案内:「ねがい牛」)を撫でると願いが叶うといいます。」

こちらが社殿です。
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参拝者が絶えずいらっしゃいました。続きを読む

極楽寺(群馬県前橋市)5

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群馬県前橋市にある「極楽寺」に参拝してきました。
天台宗のお寺になります。

前橋市の南部、高崎市に近い所にお寺はありました。
最寄りのインターチェンジは、北関東自動車道「前橋南I.C.」になります。

駐車場は、お寺の前にありました。
自動車は、5台位は停められそうです。

入口です。
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源頼朝が「常磐御前」の菩提を弔うために建立されたお寺になります。
「常磐弁財天堂」があったそうですが、明治時代に取り壊されたそうです。
「常磐御前のお墓」があるそうですが、僕は場所がわかりませんでした。

境内は、木々が綺麗にされており、雰囲気は良かったです。

鐘楼がありました。
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観世音菩薩です。
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精進童子がいました。
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本堂です。
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阿弥陀如来が祀られています。続きを読む

駒込天祖神社(文京区本駒込)5

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天照大御神を祀る神社として有名なのは「伊勢神宮」になります。
他にも「神明宮」・「天祖神社」と呼ばれる神社でも祀られている

今回は、東京都文京区本駒込に鎮座する駒込天祖神社に参拝してきました。

最寄り駅は、東京メトロ南北線「本駒込駅」、もしくはJR山手線「駒込駅」になります。

本郷通りには、このような参道の入り口を示す標が建っていました。
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その標からはに大きな鳥居が見えますので、わかりやすいかもしれません。
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境内は、木々に囲まれていますので、参拝する時期が早かったようです。

神社の創建された経緯は、源頼朝が奥州の藤原泰衡を討伐の際、駒込に神明宮を祀ったことが始まりだそうです。

「駒込総鎮守」になる神社です。

さて、社殿で参拝です。
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伊勢神宮と同じ「神明造」の社殿になります。

参道には、稲荷神社と思われる境内社がありました。
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神社名は、何だろう?

御朱印は、境内の左側にある「授与所」で頂きました。
御朱印代は、300円でした。

御守りや御札といった授与品は、ありました。

由緒書きは、ありました。

近くには、江戸時代の柳沢邸であった「六義園」がありました。

近くにある「駒込富士神社」を兼務しています。




神社データ
神社名:駒込天祖神社(こまごめてんそじんじゃ)
鎮座地:東京都文京区本駒込三丁目40‐1
祭 神:天照大神
社 殿:神明造
旧 称:駒込神明宮
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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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