群馬県館林市にある「高鑰山 釈迦院 遍照寺」に参拝してきました。
真言宗豊山派に属すお寺になります。
館林市の中心部にお寺はありました。
最寄り駅は、東武伊勢崎線「館林駅」になります。
徒歩では、15分位はかかりそうです。
駐車場は、山門前にありました。
自動車は、十数台位は停められそうです。
お寺までの道は少々狭いので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。
こちらのお寺は、新田氏の祖「新田義重」が建久九年(1198)に矢島郷(現明和町)に創建したと伝わっています。
江戸時代に入ると、榊原康政が館林城主となり、こちらのお寺を榊原家の祈願所としました。
寛永十九年(1642)に松平忠次が、榊原康政の守護仏だった十一面観世音菩薩を寄進をしました。
寛文二年(1662)には、姫路城主榊原正房が仮堂を建てて、寛文十年(1670)には越後村上城主榊原正邦が再建しました。
こちらは、山門になります。
それほどは大きくはありません。
山門に掲げられた山号額になります。
山門前には、大きな松がありました。
なかなか立派ですが、古い松なんですかね?
境内は、綺麗に整備されていました。
境内の右側には、鐘楼がありました。
なかなか立派です。
こちらが本堂になります。
本尊である「不動明王」の他、「十一面観音」が祀られています。
こちらのお寺は、北関東三十六不動尊霊場の札所になっていまが、東上州三十三観音霊場の札所にもなっています。
遍照寺の末寺に「観音院」があり、そのお寺が東上州三十三観音霊場の札所でした。
明治時代の廃仏毀釈で観音院は廃寺となり、遍照寺が札所を引き継いだそうです。
しかし、何の観音様を引き継いだのか分からなくなってしまったそうです。
現在の観音霊場の札所本尊は、榊原康政公の守護仏になる「十一面観世音菩薩」になります。
本堂は、比較的大きかったです。
参拝したときは、本堂では法事だったようで、読経の声が微かに聞こえました。
本堂に掲げられた寺号額です。
邑楽大師霊場の札所にもなっているようで、御詠歌の扁額が掲げられていました。
「尊さは南無や大師の遍照寺 大ばんしゃくに信をおきつつ」になります。
小さい額なのでわかりづらいです。
境内の左側には遍路大師像があり、周辺には四国八十八ヶ所のお砂があるそうです。
いわゆる「四国八十八ヶ所お砂踏み場」になっています。続きを読む
- ブログネタ:
- 神社・仏閣・パワースポット巡り に参加中!