東京都台東区にある「東叡山 円頓止観院 寛永寺に参拝してきました。
天台宗のお寺になります。
ウィキペディアには、「東叡山 円頓院 寛永寺」とありましたが、天台宗のホームページには「東叡山 円頓止観院 寛永寺」となっており、正式な院号は「円頓止観院 」とします。
こちらのお寺は、言わずと知れた「徳川家」所縁のお寺になります。
最寄り駅は、JR山手線「鶯谷駅」になります。
徒歩では、5分位かもしれません。
参拝者用の駐車場は、ありました。
寛永寺の由緒は以下の通りです(ホームページより)。
「寛永寺は、寛永二年(1625)慈眼大師 天海大僧正(じげんだいし てんかいだいそうじょう)によって創建されました。
徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受けた天海大僧正は、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立しました。
これは平安の昔(九世紀)、桓武天皇の帰依を受けた天台宗の宗祖伝教大師最澄上人(でんぎょうだいしさいちょうしょうにん)が開いた比叡山延暦寺が、京都御所の鬼門に位置し、朝廷の安穏を祈る鎮護国家の道場であったことにならったものです。
そこで山号は東の比叡山という意味で東叡山とされました。
さらに寺号も延暦寺同様、創建時の元号を使用することを勅許され、寛永寺と命名されました。やがて第三代の寛永寺の山主には、後水尾天皇の第三皇子守澄(しゅちょう)法親王を戴き、以来歴代山主を皇室から迎えることになりました。
そして朝廷より山主に対して輪王寺宮(りんのうじのみや)の称号が下賜(かし)され、輪王寺宮は東叡山寛永寺のみならず、比叡山延暦寺、日光山万願寺(現 輪王寺)の山主を兼任、三山管領宮(さんざんかんりょうのみや)といわれ東叡山に在住し、文字通り仏教界に君臨して江戸市民の誇りともなりました。」
根本中堂(本堂)は、上野恩賜公園の北側にありました。
根本中堂の開堂は不定期で行われており、4月7日に参拝した時はちょうど拝観ができ、本堂にあがり、参拝できました。
開堂している日は、寛永寺事務所まで問い合わせてください。
根本中堂になります。
「薬師如来」が祀られています。
内部は、写真撮影不可だと思いますので、撮ってきませんでした。
こちらが説明板です。
「寛永寺本堂
台東区上野桜木一丁目十四番十一号
旧本堂(根本中堂)は現在の東京国立博物館前の噴水池あたりにあったが、慶応四年(一八六八)彰義隊の兵火で焼失した。
そのため明治九年(一八七六)から十二年にかけて、埼玉県川越市の喜多院の本地堂(ほんじどう)が移築され、寛永寺の本堂となったのである。寛永十五年(一六三八)の建造といわれる。
間口・奥行ともに七間(十七・四メートル)。前面に三間の向拝(こうはい)と五段の木階、背面には一間の向拝がある。
周囲には勾欄付廻縁(こうらんつきまわりえん)をめぐらしており、背面の廻縁には木階を設けて、基壇面に降りるようになっている。
桟唐戸(さんからど)(正面中央など)、蔀戸(しとみど)(正面左右など)、板壁など、すべて素木のままである。屋根は入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺、二重
内部は、内陣が土間で、外陣(げじん)と同じ高さの須弥壇(しゅみだん)が設けられている。
須弥壇の上に本尊その他の仏像を安置する。
内陣を土間とする構造は中堂造(ちゅうどうづくり)と呼ばれ、天台宗独特のものである。現在は仮の床が張られ、内外陣ともにすべて畳敷になっている。
平成十六年三月
台東区教育委員会 」
参拝した日には、境内の桜はほぼ満開でした。
やはり、桜は良いです。
桜は、年の数しか見ることはできないとも言います。
ひっきりなしに参拝者がいらっしゃいました。
やはりカメラを片手に桜の写真を撮っている方もいらっしゃいました。
僕もですが
やはり鐘楼がありました。
「時の鐘」は、もう少し南にあります。続きを読む