神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

栃木県

北関東三十六不動尊霊場(群馬県・栃木県・茨城県)5

 この不動尊霊場は、1988年(昭和63年)に開創され、北関東三県にまたがり、各県から不動明王を祀る寺院から選ばれています。
 その三県は

群馬県(身密修行の道場)
栃木県(口密修行の道場)
茨城県(意密修行の道場)

となっています。
 各県から12ヶ所の寺院が選定、真言宗と天台宗のみで構成されています。


 関東三十六不動尊霊場に比べたらマイナーお寺、檀家寺ばかりですが、荘厳な感じのするお寺ばかりかと思います。

 事務局は、十八番札所「多氣山持宝院」になります。

 この霊場のホームページがあったのですが、閉鎖されています。
 いつ復活するか、永遠に閉鎖なのかは分かりません。


〈巡拝用品〉
専用納経帳(1,500円)
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差し替え可能です。
柄が他にあるかわかりません。

専用納経軸(13,000円)
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中央には不動明王が描かれています。
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霊場会公式の納経軸になります。
ネットで購入できる汎用の納経軸でも可能でしょう。

専用御朱印色紙(1,500円)
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縦約48cm×横38cmになります。
この霊場特有の巡拝用品です。

ガイドブック(1,000円)
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この他に「満願証」があります。
これは、結願した場合頂くもので、各寺院のあるそうなので、結願した寺院で頂いた方が良いかもしれません。

御御影帳は無いそうです。


〈御朱印代〉
納経帳・色紙 300円
納経軸 500円


 基本的には「御御影」が一体付くみたいですが、有料の札所もあるようです。


 三番札所「大福寺」に関しては、昼間は不在になるようです。
 不在の場合の納経所は二番札所か四番札所になります。そちらで御朱印を頂いてください。

 各札所には、巡拝用品(納経帳、納経軸、納経色紙、ガイドブック)はあるそうです。
 私は、七番札所「真光山長安寺」で一式頂きました。続きを読む

野木神社(栃木県野木町)5

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栃木県野木町に鎮座する「野木神社」に参拝してきました。
旧「郷社」になります。

野木町の南部、古河市のすぐ近くに神社は鎮座していました。

最寄り駅は、JR宇都宮線「古河駅」になります。
徒歩では、かなりかかりそうです。

駐車場は、見当たりませんでした。
自動車は、参道を進み、二の鳥居の手前の右側に数台位は停められそうです。


こちらの神社の由緒は以下の通り(由緒書きより)。
「当社は仁徳天皇の御代に下野国奈良別命が当国に赴任する折、応神天皇の皇太子、莵道稚郎子命の遺骨を奉じ下野国笠懸野台手函の地に斎奉ると伝えられる。
その後、延暦年間に坂上野田村麿が北国平定し凱旋途中当社に鎮撫の功を奏しその宝賽として現在の地に社殿を造り遷座した。
鎌倉時代には、時の幕府より社領及び神馬等の寄進を賜り又、元寇の際北条時宗公より攘夷祈願の命を受け左右相殿に息長足姫命、他四神を新たに御祭神として斎奉る。
その後、幾たび盛衰しつつ江戸時代に至り、代々の古河城主は当社を領内の祈願所として崇敬し、太刀、剣、玉などの寄進が有った。
文化三年には社殿悉く焼失したが当時の城主、土井利厚公は之を嘆き領民の協力を得て現在の社殿を再興した。
明治に至り、乃木大将は当社を厚く敬い、度々参拝におとずれ愛用の軍刀を始め累代の家宝を奉納した。」


一の鳥居は、道路沿いに有り、なおかつ国道4号線と交わるところに近くにあるので、渋滞しており、写真を撮ることができませんでした。

参道も結構長いです。

こちらが二の鳥居です。
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二の鳥居手前の左側には、手水舎がありました。
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鳥居脇には「由緒沿革」を記した説明板がありました。
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ふむふむ。

社殿です。
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なかなか立派な社殿です。

こちらは神楽殿です。
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社殿は南東の方角に向いて建っていますが、境内の左側にある神楽殿は北西に向いていました。
何でだろう・・・続きを読む

称名山 常念寺(栃木県足利市)5

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栃木県足利市にある「称名山 常念寺」に参拝してきました。
時宗に属するお寺になります。

足利の中心部から少し西へ行った所にお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。
駅から徒歩で2〜30分位かかりそうです。

駐車場は見当たりませんでした。
少し離れたところに「足利公園」がありますので、そちらに停められそうです。


こちらのお寺の由緒は、次の通りです(足利観光協会HPから)。
「時宗の開祖一遍上人は、熊野本宮に参籠して神勅を感得し、立教開宗したと伝えられています。
本寺は平安末期(1143年)創建といわれています。
一遍上人の法孫が遊行中荒廃した寺の再建に尽くされたと伝えられ、仏舎利泰安の寺です。」


県道桐生岩船線沿いにお寺はありました。

こちらがお寺の看板になります。
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お寺の隣は保育園になります。

こちらが入口になります。
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坂の左には、諸仏が祀られています。
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坂の右には、足利七福神の幟が立っていました。
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信仰がうかがえます。

境内は狭いくらいですが、一遍上人像がありました。
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(´人`)

こちらは寺号標です。
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案内板になります。
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高いところにあるので、見づらいです。

コンクリート製の本堂になります。
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(´人`)

足利七福神の毘沙門天を祀っています。

こちらが本堂に掲げられていた扁額です。
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とても立派な字です。

御朱印を頂こうと保育園の奥にある寺務所?に声をかけたら、本堂に上がらせていただき、お参りできました。
お線香もあげさせて頂きました。

足利七福神の毘沙門天は、とても立派でした。

御朱印は、本堂内で頂けました。
御朱印代は、300円でした。





寺院データ
寺院名:称名山 常念寺
所在地:栃木県足利市通七丁目3094
宗 派:時宗
本 尊:阿弥陀如来
札所等:足利七福神 毘沙門天

加茂別雷神社(栃木県佐野市)5

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栃木県佐野市に鎮座する「加茂別雷神社」に参拝してきました。
旧村社になります。

佐野市の中でも旧田沼町神社はありました。

最寄り駅は、東武佐野線「多田駅」になります。
徒歩では、十数分位でしょう。
田沼駅からも歩いて行けそうです。

駐車場は見当たりませんでしたので、自動車は境内に置いてしまいました。
他にも駐車場があるかどうかわかりません。


こちらの神社の由緒は以下の通りです(社殿掲示の由緒板より)。
「当神社は人皇五十一代平城天皇の御宇大同二年五月五日山城国加茂皇大神の分霊を菊水山に勧請し、爾来雷大権と称せり。
降而朱雀天皇天慶三年唐沢山城主田原藤太秀郷公平将門追討するに際し、本社に戦勝祈誓せしに速に将門誅に伏したり。
因に公の子息藤原千常公に至り、秀郷公崇敬篤かりし菅公像神体を当社の相殿に斎き奉り、社領を奉納し近郷十八箇村の総鎮守としたり。
境内に八重の紅色菊花群生し美観を呈する中に霊泉湧出し集りて霊池を成す。
これ菊水川の源にして大旱と雖も涸れし事なく、流路は山腹を迂曲して水田に灌漑し五穀豊穣の守護神と称し、嘉永四年(1851)五月社号を菊水神社雷大権現と称せしが明治維新の際現今の如く改称せり。
明治中葉神霊に報賽し永世太々講を起し講員分布二県二郡に亘るを知る後霊験灼なるを感得し分霊を斎り長く報賽の請願に合い、それに分霊して今日尚年々報賽し来るあり。
祭典は五月五日六日の両日にして、当夜には菊水川の下流に当り無数の灯火波紋に映し更闌くるに漸く社頭に接するの趣あり。
古諺之を竜灯と称し世人の尊敬厚く実に稀有の祭典なり」


こちらの神社から少し北に行き、多田駅を通り過ぎると左側に「賀茂別雷神社」という読み方は同じ神社が鎮座しています。
両社とも京都の上賀茂神社からの勧請になります。
多田町に鎮座する賀茂別雷神社は「天智八年(669年)」、こちらの神社は「大同二年(807年)」の勧請になり、138年遅く勧請されています。

こちらは、鳥居になります。
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道路沿いにありました。

境内に入ると右側には手水舎がありました。
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境内はさほど広くはありません。

こちらが社務所になります。
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参拝したのは5月3日でして、その翌々日の5月5日が例大祭になりますので、氏子さん達が御札等の準備をしていました。

こちらが神楽殿になります。

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どのような神楽が舞われるのでしょうか?

こちらが社殿になります。
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小ぢんまりしていますがなかなか立派です。続きを読む

下野國一社八幡宮(栃木県足利市)5

栃木県足利市の西部、八幡町に鎮座する「下野國一社八幡宮」に参拝してきました。
旧県社になる神社になります。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「野州山辺駅」になります。

駐車場は、社務所の前にありました。
自動車は、十台位は停められそうです。
他にも駐車場はあるかもしれません。

「八幡八幡宮」とも呼ばれている神社になります。


こちらの神社の由緒は以下の通りです。
「八幡宮の社伝によると、天喜四年(1056)八幡太郎の名で有名な源義家が、陸奥の豪族、阿部頼時父子との戦い(前九年の役)にあたり当社付近の大将陣に宿営し、戦勝を祈願して現在地に小祠を創建し、山城の国(現京都)の男山八幡宮を勧請したといわれております。
文明八年(1476)8月、長尾景長は境内社木伐採の禁制を出し保護を加え、その後の元和七年(1621)11月、江戸幕府より20石の朱印社領を許されました。
この時の設計図や費用明細書等が残されております。
八幡宮は、八幡太郎義家・義国の父子の手厚い信仰により源姓足利氏の代々の氏神として保護され、古くは足利荘八幡宮と呼ばれ、下野国内第一の八幡宮として、下野国一社八幡宮、一国一社八幡宮とも称されておりました。
幣殿・拝殿については、平成八年、九年度に保存修理を行い、創建当時の姿をみせております。」


鳥居はになります。
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銅製になり、足利市指定重要文化財になっています。

社標になります。
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鳥居を入り、右側にある「黒松」は足利市指定天然記念物になっています。
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御神木という位置付けでしょうか。

左側には、手水舎がありました。
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手水舎の隣には、「源姓足利市発祥の地」との石碑がありました。
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裏には、説明がされていました。
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ふむふむ・・・

このような碑もありました。
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参道を進みます。
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神楽殿です。
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妙に新しいような感じもしますが、新築をしたのでしょうか?

こちらが社殿です。
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なかなか立派な社殿です。

社殿の内部です。
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荘厳な感じが。

社殿裏手には、和歌のような碑がありましたが・・・
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なんて書いてあるのだろうか。
調べていなかった・・・続きを読む
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