神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

東国花の寺百ヶ寺

石岡山不動院退魔寺 北関東不動尊 再拝(群馬県伊勢崎市美茂呂町)5

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 群馬県伊勢崎市の東部、茂呂郵便局の近くにお寺はありました。

 駐車場は山門を入るとありました。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗』から抜粋)。
「寺伝によれば、応安四年(1371)茂呂勘解由左衛門尉源義輝の開基、道照禅師の開山としている。
 永和三年(1377)銘の茂呂道照坊山出土の阿弥陀種子板碑を所蔵している。
 現在の退魔寺の位置は、天正十八年(1590)廃城となった茂呂城の跡地である。城主が滅び寺もまた衰廃していたのを光円坊宥秀が中興した、と寛政十年(1878)の『伊勢崎風土記』にはある。
 寺ではまた石田三成の妖怪退治を伝える。
 以後、寛文三年(1663)回禄の災いに罹り、同十年(1670)再建。延宝五年(1677)九月不動堂を建立。本尊大日如来座像は正徳四年(1714)に住職宥慶の発願により総檀徒の喜捨で造立した、と記された木牌がある。宝暦十年(1760)六世宥伝が庫裡を建築。寛政四年(1792)八世快尊が本堂を改築、10月27日入仏式が行われ、同日から11月1日まで不動堂が開帳されている。文化十四年(1817)水神を祀る石宮が茂呂村惣村中によって境内に建てられた。
 明治三十年(1897)ごろできた『佐波新田郡三十四ヶ所観音霊場』に退魔寺の子安観音が第二十三番に見える。
(中略)
 主な年中行事には1月28日の初不動の縁日があり、だるま市が立つ。なお、昭和37年(1962)ごろまでは節分会に火渡りの儀式が行われていた。」


 戦国時代の武将「石田治部少輔三成」がこの地を通ったとき、妖怪が出て民を苦しめていたので、石田三成が退治したので「退魔寺」という寺号になったのではないかと言われています。

 山門です。
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 4月23日に参拝いたしましたが、境内には牡丹や躑躅(つつじ)が咲いていました。ゴールデンウィーク中は見頃かもしれません。
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 桜の木がありましたが、残念ながら散ってしまっています。

 本堂
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 不動堂
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 観音堂
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 御朱印は、大日如来(東国花の寺百ヶ寺)・厄除不動明王(北関東三十六不動尊霊場)・子安観音(上州三十三観音霊場)の三種類がありました。御朱印代は各300円です。

 近くには「飯福神社」が鎮座しています。






寺院名:石岡山 不動院 退魔寺
所在地:群馬県伊勢崎市美茂呂町3612番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:胎蔵界大日如来
札所等:上州新四国八十八ヶ所 二十二番札所
    北関東三十六不動尊霊場 六番札所
    上州三十三観音霊場 十五番札所
    伊勢崎佐波三十四観音霊場 二十三番札所
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:悪魔をば みな退けて 茂呂の寺 大慈大悲の 誓いなりけり

石岡山 不動院 退魔寺(群馬県伊勢崎市美茂呂町)5

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群馬県伊勢崎市の東部にお寺はありました。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「新伊勢崎駅」になります。
徒歩では、かなりかかりそうです。

駐車場はありました。
自動車は、5〜6台位は停められそうです。


こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗』から抜粋)。
「寺伝によれば、応安四年(1371)茂呂勘解由左衛門尉源義輝の開基、道照禅師の開山としている。
 永和三年(1377)銘の茂呂道照坊山出土の阿弥陀種子板碑を所蔵している。
 現在の退魔寺の位置は、天正十八年(1590)廃城となった茂呂城の跡地である。城主が滅び寺もまた衰廃していたのを光円坊宥秀が中興した、と寛政十年(1878)の『伊勢崎風土記』にはある。
 寺ではまた石田三成の妖怪退治を伝える。
 以後、寛文三年(1663)回禄の災いに罹り、同十年(1670)再建。延宝五年(1677)九月不動堂を建立。本尊大日如来座像は正徳四年(1714)に住職宥慶の発願により総檀徒の喜捨で造立した、と記された木牌がある。宝暦十年(1760)六世宥伝が庫裡を建築。寛政四年(1792)八世快尊が本堂を改築、10月27日入仏式が行われ、同日から11月1日まで不動堂が開帳されている。文化十四年(1817)水神を祀る石宮が茂呂村惣村中によって境内に建てられた。
 明治三十年(1897)ごろできた『佐波新田郡三十四ヶ所観音霊場』に退魔寺の子安観音が第二十三番に見える。
(中略)
 主な年中行事には1月28日の初不動の縁日があり、だるま市が立つ。なお、昭和37年(1962)ごろまでは節分会に火渡りの儀式が行われていた。」

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伊勢崎佐波三十四観音霊場の案内板には、次の通り書かれていました。
「第二十三番 石岡山不動院退魔寺、子安観音
 応安四年(1371)城主茂呂勘解由左衛門尉源義輝、城内の光円坊を改め、香華院を創立。弘法大師御自作の不動明王を本尊とし、小俣鶏足寺より道照禅師を開山の師と仰ぎ、帰依したことに始まり、その後、宥秀和尚の時に退魔寺と改称したと伝えられる。
 また所伝によると石田三成当地を通過した折、当時、土橋(光円橋)付近に毎夜妖怪が現れ、庶民このために難渋すると聞き、退治したので石田氏の徳をたたえ寺号を改め、寺紋を石田氏の紋にしたともいう。
 寛文二年(1662)火災に罹り、同十年再建。大日如来(胎蔵界)を安置、延宝五年(1677)不動堂を再建、昭和十六年(1941)再度不動堂を二十三世慶隆和尚によって再建し、今日に至る。」

山門になります。
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午後に参拝したので、逆光になってしまいました。

先に進みます。

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東国花の寺百ヶ寺の札所になっているだけあって、境内には牡丹がありました。しかし、時季が過ぎました。残念です。
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紫陽花もありますので、梅雨の時期は良いかもしれません。
また、茂呂城跡にお寺があるため、その標がありました。

山門を入ると正面には「不動堂」がありました。
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「厄除不動尊」が祀られており、北関東三十六不動尊霊場の札所本尊になります。

「堤守護神十三仏第一番不動様」と書かれた標がありました。
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他の札所?はあるのでしょうか?

また、「本堂」が右奥にありました。
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本尊である「大日如来」が祀られており、東国花の寺百ヶ寺・上州新四国八十八ヶ所の札所本尊になっています。

本堂と不動堂の間には「観音堂」がありました。

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新上州三十三観音霊場と伊勢崎佐波観音霊場の札所本尊が祀られています。

毘沙門堂がありました。
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石造のようで、あまりお顔がよくわかりません。

近くには妖怪が出たという「光円橋」がありました。
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今も妖怪が出るのでしょうか?
といっても石田三成が退治したので平気でしょう。まさか、石田三成が徳川家康の元に出ていたりして…

御朱印は「庫裡」で頂けました。「大日如来(東国花の寺百ヶ寺)」・「厄除不動尊(北関東三十六不動尊霊場)」・「子安観音(新上州三十三観音霊場・伊勢崎佐波観音霊場)」の3種類がありました。
御朱印代は、各300円です。

お札等の授与品がありました。
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必要な方はどうぞ。




寺院名:石岡山 不動院 退魔寺
所在地:群馬県伊勢崎市美茂呂町3612番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:大日如来
札所等:上州新四国八十八ヶ所 二十二番札所
    北関東三十六不動尊霊場 六番札所
    上州三十三観音霊場 十五番札所
    伊勢崎佐波三十四観音霊場 二十三番札所
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:悪魔をば みな退けて 茂呂の寺 大慈大悲の 誓いなりけり

高崎観音慈眼院(群馬県高崎市)5

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群馬県高崎市にある「観音山慈眼院」に参拝しました。
高野山真言宗のお寺になります。

高崎市の観音山にあり、「高崎の観音様」として親しまれているお寺です。

駐車場は、高崎市営駐車場がありますが、駐車料は、普通車で420円です。

平成22年の4月に参拝したときは、休日のわりには参拝者が少なく、残念な思いをしました。

平成24年4月に参拝したときは、桜が満開で、参拝者は多く、良い花見になりました。
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少々暖かく、汗をかいてしまいました。

参道にあるお土産屋さんは、閉まっている所もありますが、休日なので混んでいました。

だんだん観音様が近くになってきます。
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観音山にありますが、観音山の語源は、慈眼院近くのある千手観音を祀る「清水寺(せいすいじ)」があったため、名付けられたそうです。

観音様と石碑です。
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慈眼院は、高野山真言宗の別格本山にあたります。
もとは、公園として整備し、モニュメントとして「白衣観音」を建てましたが、その後「慈眼院」が白衣観音の近くに創建されたそうです。

御朱印は、本堂の右側にある「授与所」で頂きました。
「大白衣観音」と「聖観音(関東八十八ヶ所)」の二種類ありました。
御朱印代は、各300円でした。

パンフレットは、100円でした。

御守りや御札といった授与品は、多くありました。




寺院データ
寺院名:観音山 慈眼院
住所:群馬県高崎市石原町2710‐1
宗 派:高野山真言宗
寺格等:別格本山
本 尊:聖観世音菩薩 白衣観世音菩薩
通 称:高崎白衣観音
札所等:関東八十八ヶ所 一番札所
    上州三十三観音霊場 特別霊場
    東国花の寺百ヶ寺

石井山 三光院 珊瑚寺(群馬県前橋市)5

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群馬県前橋市にある「石井山 三光院 珊瑚寺」に参拝してきました。
天台宗のお寺になります。

前橋市の北部、旧富士見村の国道353号線沿いにお寺はありました。
お寺の看板はありますが、見過ごしてしまうかもしれません。

近くには、「道の駅ふじみ」がありました。

これといった最寄り駅はありません。
「前橋駅⇔富士見温泉前」間に日本中央バスが走っており、「珊瑚寺前」で降りると、すぐお寺はありました。
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駐車場は、境内の左側にありました。
自動車は、数十台は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は、以下の通りです。
「珊瑚寺は古名を石井山三光院三錮寺といい、およそ1200年前の大同二年(807年)、日光山を開いた勝道上人によって開創されました。
その後約400年間は無住寺となっていましたが、正治年間(鎌倉初期)に梶原景時の女といわれる女性が尼僧になってここに移り住み、梶原景時父子、源頼朝の霊を慰めるため堂を建て、その後約240年間は尼僧はが住持していたので広く尼寺として知られるようになりました。
永享年間の末に、八崎城主の長尾景仲が、当時古跡寺であった当寺に子持村雙林寺を開創した月江上人と遊化し、その門弟が三十年間禅門の風(禅宗)を唱えましたが、これらの僧はいずれも他の寺に移り再度無住寺となり荒れ果ててしまいました。
文明年代(1469〜1486)、義貫和尚(二十七世)によって天台宗に、寺名も珊瑚寺と改められ、明歴年間(1655〜1658)秀覚法印(三十世)の代には前橋市青柳町の龍蔵寺の末寺になりとなりました。
文化六年(1810)良順法印(三十六世)の代には上野寛永寺の直末となり隆盛を極めました。
堯尊法印(三十三世)の時代には七堂伽藍があったと伝わっています。」


こちらが入口になります。
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国道353号線沿いにあります。

参道には、桜や紫陽花がありました。
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6月16日に参拝しましたが、紫陽花はまだまだ咲いていません。
今月の末頃から来月上旬頃には見頃かもしれません。

心字池には、七福神の石像がありました。

池には弁天橋が架かっており、その先には弁天堂がありました。
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弁天堂です。
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弁天堂の内部です。
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こちらが山門になります。
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山門を入ると、正面には、本堂がありました。
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本堂では、法事が行われていました。
本尊である阿弥陀如来と上州七福神の恵比寿尊天が祀られています。

こちらが鐘楼があります。
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なかなか立派です。

本堂の右側には、大きな杉がありました。
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神社で言うところの御神木的な位置づけなんでしょうか?続きを読む

石井山 珊瑚寺(群馬県前橋市)5

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以前に「石井山 三光院 珊瑚寺」の参拝日記を書きました。
その日記は⇒こちら

こちらのお寺は

上州七福神 恵比寿尊天
東国花の寺百ヶ寺
関東百八地蔵尊霊場 三十五番札所

以上の霊場の札所になっています。
東国花の寺百ヶ寺と関東百八地蔵尊霊場は、同じ地蔵堂の子育て地蔵の御朱印になり、札所の印も両方とも押されます。

また、上州七福神の恵比寿尊天の札所にもなっていますので、その御朱印も頂けます。
印刷の御朱印もありますが、納経帳を出せば直接墨書きして頂けます。

鯛が釣られている印なので、何だかめでたい御朱印です。




寺院データ
寺院名:石井山 三光院 珊瑚寺
所在地:群馬県前橋市富士見町石井1227番地
宗 派:天台宗
開 山:勝道上人
本 尊:阿弥陀如来
札所等:上州七福神 恵比寿尊天
    東国花の寺百ヶ寺
    関東百八地蔵尊霊場 三十五番札所
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