神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

昭和新撰江戸三十三観音霊場

浅草観音 板東札所(東京都台東区浅草)2

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 東京都台東区浅草にある寺院になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線・東京メトロ銀座線・都営浅草線「浅草駅」になります。東武と銀座線の浅草駅からは、徒歩で数分位かと思われます。
 
 駐車場は、見当たりませんでした。自動車で行かれる方は周辺の有料駐車場をご利用ください。


 こちらの寺院の由緒は皆さんご存じでしょうが、あえて調べてみました。雄山閣出版刊「日本名刹大事典」によると次の通りです。
「聖観音宗総本山。金龍山。通称浅草の観音様。本尊は聖観世音菩薩(秘仏)。
 『武蔵国浅草寺縁起』によれば、推古天皇三十六年(628)に宮古川(現隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成兄弟の網に観音像がかかり示現した。それを土師真中知(一説に土師真人中知・土師直中知)が自宅を寺堂として安置し、また自らも剃髪して祀ったのが始まりとされる。一方これに対して10人の童子が藜(あかざ)の堂を建てて祀ったという草刈童子の伝承がある。後世、漁師ら三人は権現思想のもと三社権現(現浅草神社)として、また草刈童子とともに十社権現社に祀られた。
 浅草寺という寺院名は『吾妻鏡』建久三年(1192)5月8日条が初見だか、第二次世界大戦後の発掘で、少なくとも平安時代に遡ることが確認されている。
 645年に本堂を再建した勝海を開山とし(この時、本尊を秘仏とするという)、857年に堂宇を再建した円仁を中興開山とし、円仁が謹刻したと伝える観音像が現在のお前立本尊となる。さらに天慶五年(942)当寺への祈願が成就した平公雅が諸堂を修繕し、荘園を寄進して寺域も拡大し、その後も源頼朝や北条氏・足利氏らの外護を得た。江戸時代には徳川幕府の祈願所とされ、家康から寺領500石を賜り興隆した。
 江戸時代は衆徒十二坊、寺僧二十二坊(現在は全二十四支院)で構成され、最高職は独自で選出した別当であったが、貞享二年(1685)の某事件を機に輪王寺の支配を受け、1740年以降は上野輪王寺門跡の兼帯となり、明治になって延暦寺の直轄となった。
 『寺院本末帳』には、朱印500石、僧正寺、衆徒十二か寺、寺僧二十二か寺、末寺十八か寺、門徒七か寺、承仕三人とある。
 昭和二十五年に天台宗より独立。
 戦災で本坊(伝法院)や二天門などを除く本堂・五重塔なとを焼失。昭和三十三年に本堂が、のちに雷門・宝蔵門(旧仁王門)・五重塔なども再建して伽藍を復興しつつある。
 支院の本龍院は待乳山聖天として別に信仰をもつ。
 行事には大晦日より一週間の修正会、正月12日より一週間の温座陀羅尼会、2月8日針供養、3月18日本尊示現会、4月8日仏生会、6月18日百味供養会・楊枝浄水加持会、7月9・10日四万六千日(ほうずき市)、12月17・18日歳の市(ほうずき市)などがある。
 寺宝に国宝『法華経』開結共十巻(伝小野道風筆)、重文『元版一切経』ほか多数。
 坂東第十三番札所、江戸三十三観音第一番札所。」


 言わずと知れた浅草の観音様に参拝してきました。
 こちらの寺院は、江戸時代の川柳に「江戸自慢 十三番が これくらい」と歌われ、江戸っ子の信仰を集めたようです。
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 参拝者が多く、混みあっていました。
 今回は、坂東三十三観音霊場の巡拝で訪れました。
 授与所で「坂東の御朱印」と「御御影」を頂いてきました。
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 しかし、帰りに御朱印を確認すると、右上に押される札所の印(坂東十三番)が押されず、「江戸三十三観音札所第一番」の印が押されてました(・ω・)




寺院名:金龍山 伝法院 浅草寺
所在地:東京都台東区浅草二丁目3‐1
宗 派:聖観音宗
寺格等:総本山
本 尊:聖観音
通 称:浅草観音(あさくさかんのん)
札所等:坂東三十三観音霊場 十三番札所
    昭和新撰江戸三十三観音霊場 一番札所
    浅草名所七福神 大黒天
御詠歌:深きとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草へ まいる身ならば

新年のご挨拶5

明けましておめでとうございます。

 私のブログを読んでいただきありがとうございます。
 更新の頻度が少なくなってきていますが、徐々に更新していきたいと思います。

 今現在、
新上州三十三観音霊場
東上州三十三観音霊場
坂東三十三観音霊場
昭和新撰江戸三十三観音霊場
北関東三十六不動尊霊場
を巡拝しております。逐次更新していきたいと思います。

 以前に「浅草名所七福神」の巡拝用専用色紙を頂いて、浅草寺の大黒天の御朱印を頂いたまま進んでいないので、こちらも進みたいと思っております。
 「上州七福神」も途中なので…

 私が現在興味がある霊場は
関東三十六不動尊霊場
秩父三十四観音霊場
武蔵野三十三観音霊場
関東八十八ヶ所
那須三十三観音霊場
になります。早く始めたいなぁ。

西国三十三観音霊場
四国八十八ヶ所
西国十七愛染霊場
東海三十六不動尊霊場
近畿三十六不動尊霊場
四国三十三観音霊場
四国三十六不動尊霊場
真言宗十八本山
 上記の霊場にも興味ありますが、関東在住のものは大変な霊場です。

 今ちょうど群馬県伊勢崎市西小保方町にある「真光山長安寺」の除夜祭に来ております。
威音王堂(不動堂)には、秘仏の「みかえり不動尊」が御開帳されています。
 護摩も修されており、祈祷祈願が受けられます。
 その様子は後日ブログにアップさせていただきます。

今年も皆さんが良い年でありますように。m(__)m

柳井堂心城院 江戸札所(東京都文京区湯島)5

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 東京都文京区湯島に寺院はありました。
 隣は、湯島天満宮(通称:湯島天神)になり、男坂を降りて少し行くと左側になります。

 最寄り駅は、東京メトロ千代田線「湯島駅」になります。
 降りて、徒歩ではお寺まで5〜6分くらいかかりそうです。

 駐車場は見当たりませんでした。
 自動車で行かれる方は、周辺の有料駐車場をご利用ください。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(天台宗東京教区HPより)。
「当山はもと湯島天神別当の天台宗喜見院・宝珠弁財天堂と称されておりました。湯島天神は『学問の神様』菅原道真公を祭神としていますが、道真公が太宰府へ左遷されたとき、その冤罪をそそぐため聖天さま(大聖歓喜天・大聖歓喜自在天)に祈念され、その信仰が篤かったために『天満大自在天神』とも言われました。
 ときに江戸の元禄七(1694)年、喜見院第三世宥海大僧都が、道真公と因縁浅からざる聖天さまを堂内に奉安したのが当山の開基で、尊像は比叡山から勧請した慈覚大師作と伝えられています。開基以来、『湯島の聖天さま』として知られ、熱心な信者の参詣があり、紀伊国屋文左衛門も当山に帰依した一人でした。
 享保のころ、寺門維持のため幕府から『富くじ』が発行されました。谷中感応寺(天王寺)、目黒瀧泉寺(目黒不動)、喜見院(湯島天神)が『江戸の三富』と言われ、大いに賑わいました。
 当時の喜見院は相当の境域がありましたが、明治維新の神仏分離令で惜しくも廃寺となりました。当然喜見院弁天堂も影響を受けるところでしたが、聖天さまの御加護により湯島天神との本末関係を断つのみで、その難を逃れました。単独の寺院として歩み出した当山は、建立当時の因縁により天台宗に属し、寺名を『心城院』と改めました。
 当山は、江戸の大火や関東大震災、東京大空襲にも遭うことなく法灯を伝えてきましたが、約三百年の風雪に耐えた堂宇は老朽化しら近年に改修され寺観を一新しました。
 当山には江戸名水の一つ『柳の井戸』があることから『柳井堂』と称され、これについて江戸時代の文献(江戸砂子・御府内備考など)に次のようにあります。

柳の井 男坂下
『この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ、垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけづると云う心にて、柳の井と名付けたり』

とあり、美髪・厄除のご利益を求め日々参拝者が訪れています。また関東大震災の折、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の生命を守った唯一の水であった為、当時の東京市長から感謝状を受けました。
 また境内の放生池については、同じく江戸時代の文献(御府内備考・江戸志など)に、

宝珠弁財天 男坂下
『江戸砂子にいう、此所の池は長井実盛(後に斉藤別当実盛になる)庭前の池と伝ふ。昔は余程の池なりしを近世其の形のみ少しばかり残りたり』

とあり、元禄の昔から病気平癒などの祈願で縁起の良い亀を放し、今も『亀の子寺』として親しまれております。作家・久保田万太郎は、天神下の一画が好きで、わざわざ鎌倉から当山の近所に引越して来ました。当山に一寸立寄っては『おみくじ』を引たり亀を見たりして一句、『きさらぎや亀の子寺の畳替』と詠みました。
 聖天さまの他に、十一面観音・宝珠弁財天・出世大黒天などの諸仏天を奉安する当山は、江戸三十三観音第七番札所に選定されており、三百年の昔から信仰の篤い参詣者が絶えません。」


 山門はありませんでした。
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 境内は狭いくらいです。
 境内に入ると、すぐ左側には水琴窟があります。
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 右側には「弁財天放生池」があります。
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 また、授与所の前には「柳の井戸」かありました。
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 こちらが本堂になります。
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 本尊の歓喜天、十一面観音(江戸札所の札所本尊)等が祀られています。

 扁額になります。
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 浴油祈祷は行っているようです。ご希望の方は、お寺までお問い合わせください。

 また、「星まつり祈祷」も行われているそうです。
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 必要な方はお寺までお申し込みください。1,200円だそうです。

 御朱印は、昭和新撰江戸三十三観音霊場のものを頂きました。御朱印代は300円です。
 由緒書きはありました。

 御守りやお札といった授与品はありました。
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必要な方はどうぞ。





寺院名:柳井堂 心城院
所在地:東京都文京区湯島三丁目32‐4
宗 派:天台宗
本 尊:大聖歓喜天
札所等:昭和新撰江戸三十三観音霊場 七番札所
札所本尊:十一面観音
通 称:湯島聖天
御詠歌:柳井の 水清くして白梅の 香りかぐわし 湯島のみほとけ

神齢山 悉地院 大聖護国寺(東京都文京区大塚)5

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東京都文京区にある真言宗豊山派に属する寺院になります。

最寄り駅は、東京メトロ有楽町線「護国寺駅」になります。
一番出口から徒歩ではすぐです。

駐車場はあります。
しかし、参拝者用なのか職員や檀家用なのかがわかりません。


こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京都文京区大塚にある真言宗豊山派の寺院。神齢山悉地院。本尊は如意輪観音。
 天和元年(1681)徳川綱吉が生母桂昌院のために、桂昌院が、前々から祈祷を行わせていた上野国大聖護国寺の元住持亮賢を召し、高田薬草園の地を与えて建立させ、桂昌院の念持仏如意輪観音を安置したのに始まる。
 桂昌院の存命中は、その由来から桂昌院の祈願寺だったが、元禄半ばから将軍家の祈祷も勤め、宝永二年(1705)の桂昌院没後は将軍家の祈祷を専らとした。
 寺領は千二百石。
 亮賢と桂昌院は隆光とともに綱吉に生類憐みの令をすすめたとされるが確かな根拠はない。
 享保二年(1717)、炎上した将軍家祈祷寺の護持院が、幕府命で、当寺の本坊に移されると、従来の観音堂(本堂)や大師堂等の境域を護国寺と称するようになったが、その年からの六年間と宝暦八年(1758)以降は護持院の兼帯とされた。
 明治二年(1869)に護持院が廃寺となると、その遺構を引きつぎ近代寺院として再出発した。
 墓域には近代以降の著名人の墓が多い。」

また、東京堂出版「古寺名刹大辞典」によると次の通りです。
「東京都文京区大塚5‐80‐8。神齢山悉地院大聖護国寺と号す。真言宗豊山派の関東における中心となる大寺(大本山)で、東京・小石川の音羽にあることから、音羽の護国寺の名前で知られている。しかし、寺の歴史は新しく、まだ300年ほどにすぎない。徳川五代将軍の綱吉とその生母桂昌院が帰依した亮賢和尚が開基となり、将軍と母公が願主となって天和元年(1681)にひらかれた。
 これと並んでさらに広大な規模で神田御門外に護持院が柳沢吉保を奉行とし将軍母子によってつくられたが、これは享保二年(1717)に焼失し、八代将軍吉宗の緊縮政策はこれの再興をゆるさず、護国寺を護持院と改めさせ、境内の観音堂を護国寺と改めさせてしまった。しかし、この変則的な関係は、明治に入って終止符がうたれ、両寺は合併されて、護国寺の名のみがのこることになった。
 現在の本堂は、元禄十一年(1698)に建立したもので大きさは方七間、重文である。ほかに桃山建築の月光殿がある。これは園城寺の塔頭を移築したものである。その他、内仏堂、大師堂、薬師堂、鐘楼堂、本坊、山門、仁王門、孔雀門等がある。また寺の裏山にある儒者の墓(史跡)が有名で、江戸時代の学者ばかりが40墓以上も存在する。境内には、鈴木学術財団の事務所や、豊山派の会館などもおかれており、関東におけるもっとも活発な寺院の一つである。かつての童謡の会『音羽ゆりかご会』は盛大なものがあった。
 開基の亮賢の後継者が、有名な隆光僧正である。隆光僧正は、将軍綱吉に献策して犬保護を主とする『生類憐れみの令』を出した張本人としてだけ知られているが、実際は将軍の帰依に価する傑僧で、関東真言の再興者であることも忘れてはいけない。護国寺は、まさに隆光僧正と綱吉母子の信仰の記念碑ということができる。」


江戸幕府五代将軍徳川綱吉と生母桂昌院の所縁の寺院になります。

こちらは山門になります。
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寺号標になります。
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さきに進みます。
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石段右側には、富士塚がありました。
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こちらは不老門です。
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境内はとても広いです。
徳川家所縁の寺院は、広い境内をもつ所が多いかもしれません。

境内には「月光殿」があります。
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この建物は、滋賀県にある「長等山園城寺(通称:三井寺、観音堂は西国三十三観音霊場十四番札所)」の日光殿の客殿を移築したものです。
こちらの建物は、国指定重要文化財になっています。

本堂になります。
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桂昌院の念持仏「如意輪観音」を祀っています。
月光殿と同様に国指定重要文化財になっており、とても立派です。

大師堂や地蔵堂もありました。
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大師堂には御府内八十八ヶ所の御詠歌の額が掲げられていました。
地蔵堂には一言地蔵が祀られています。

多宝塔は大日如来が本尊となります。
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なかなか立派な建物です。

こちらに大仏がありました。
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阿弥陀如来でしょうか?

鐘楼堂になります。
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どんな音色なんでしょうか?

御朱印は、本堂内にある納経所で頂けました。御朱印代は300円でした。
御朱印を頂く際に納経をさせていただきました。

御守りや御札といった授与品はありました。




寺院名:神齢山 悉地院 大聖護国寺
所在地:東京都文京区大塚五丁目40‐1
宗 派:真言宗豊山派
寺格等:大本山
本 尊:如意輪観音
通 称:音羽護国寺
札所等:昭和新撰江戸三十三観音霊場 十三番札所
    御府内八十八ヶ所 八十七番札所
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:もろもろの くのうをすくう 観世音 だいひの恵み 尊とかりける

昭和新撰江戸三十三観音霊場(東京都)5

江戸時代に開創になった霊場になります。

浅草から打ち始め、目黒で打ち納めとなる「江戸三十三観音札所」の原型は、享保二十年(1736年)刊行の『江戸砂子拾遺』 に記載されているそうです。
明治時代の廃仏毀釈で、廃寺・統合で、札所寺院が分からなくなってしまったそうです。

廃れてしまった江戸三十三観音霊場ですが、昭和51年(1976年)に「昭和新撰江戸三十三観音霊場」と再興されました。

台東区にある「金龍山 浅草寺」を一番札所とし、目黒区の「泰叡山瀧泉寺」を三十三番札所として、二十三区内に札所が点在しています。

専用の納経帳は無く、一番札所の浅草寺でオリジナル御朱印帳を頂き、それを昭和新撰江戸三十三観音霊場の専用の納経帳にするか、三番札所の大観音寺の汎用の納経帳で巡拝をする方々が多いようです。
私は、三番札所の「大観音寺」の納経帳で巡拝しており、御朱印代込みで1,600円(御朱印帳代1,300円+御朱印代300円)でした。
また、銚子満願寺でも汎用の納経帳がネット販売されています。
御朱印帳(納経帳)<無地>土佐和紙《古代錦柄》※墨が裏移りしないように 頁の間にも紙を設置してあります
御朱印帳(納経帳)<無地>土佐和紙《古代錦柄》※墨が裏移りしないように 頁の間にも紙を設置してあります

御朱印帳(納経帳)<無地>土佐和紙《蜀江柄》※墨が裏移りしないように 頁の間にも紙を設置してあります
御朱印帳(納経帳)<無地>土佐和紙《蜀江柄》※墨が裏移りしないように 頁の間にも紙を設置してあります

御朱印帳(納経帳)<無地>緑色※墨が裏移りしないように 頁の間にも紙を設置してあります
御朱印帳(納経帳)<無地>緑色※墨が裏移りしないように 頁の間にも紙を設置してあります

白紙納経帳 紺金襴表紙
白紙納経帳 紺金襴表紙

二番札所の清水寺には、昭和新撰江戸観音霊場の納経掛け軸がありました。
掛け軸でも巡拝できそうです。
以前は、江戸札所の専用の納経軸がありましたが、現在は無いようです。
ネットでは、汎用の観音霊場の納経軸がありました。
一般観音霊場巡礼用納経軸 白衣観音
一般観音霊場巡礼用納経軸 白衣観音

一般観音霊場巡礼用納経軸 光背箔押し
一般観音霊場巡礼用納経軸 光背箔押し

一般観音霊場巡礼用納経軸 墨彩観音
一般観音霊場巡礼用納経軸 墨彩観音


納経帳への御朱印代  300円
御朱印軸への御朱印代 500円

札所は23区内に有り、初心者向けの霊場かと思われますので、短期で三十三箇所を巡拝できそうです。

ガイドブックは、以下のものが出ています。
各札所にも、別のガイドブックがあるかもしれません。
昭和新撰 江戸三十三所観音巡礼

昭和新撰 江戸三十三所観音巡礼


著 者:新妻 久郎


販売元:朱鷺書房

発売日:2005-11


みぢかな出会い 江戸三十三観音ガイド (City Cultureシリーズ)

みぢかな出会い 江戸三十三観音ガイド (City Cultureシリーズ)


販売元:文化図書

発売日:2011-04


心とカラダが元気になる観音めぐり 巡礼・江戸三十三観音を行く

心とカラダが元気になる観音めぐり 巡礼・江戸三十三観音を行く


著 者:江藤 玲


販売元:総合法令出版

発売日:2010-07-21

以上を巡拝のお供にしてください。続きを読む
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