神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

昭和新撰江戸三十三観音霊場

高野山東京別院 江戸札所(東京都港区高輪)5

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 高野山東京別院は、昭和新撰江戸三十三観音霊場の札所でもあります。
 静かな境内には、鯉のぼり🎏が涼しそうに泳いでいました。
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 江戸札所の御朱印代は300円でした。





寺院名:高野山 東京別院
所在地:東京都港区高輪三丁目15‐18
宗 派:高野山真言宗
寺格等:総本山金剛峯寺東京別院
本 尊:弘法大師
通 称:高輪結び大師
札所等:御府内八十八ヶ所 一番札所
    昭和新撰江戸三十三観音霊場 二十九番札所
    関東八十八ヶ所 特別霊場
御詠歌: ありがたや 高野の寺の 観世音 大慈大悲に すがるうれしさ
URL:http://www.musubidaishi.jp/

高野山東京別院 関東八十八ヶ所(東京都港区高輪)5

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 東京都港区高輪にある寺院です。

 最寄り駅は、JR品川駅になります。徒歩ではさほどかかりません。

 境内に駐車場はありました。自動車は、10台くらいは停められそうです。

 こちらのお寺は、江戸時代に高野山金剛峯寺の江戸在番所として創建されました。

 高輪警察署のとなりにお寺はありました。

 こちらが山門になります。
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 四国八十八ヶ所のお砂踏み場になります。
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 参道を進みます。
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 途中に「明神社」が鎮座してました。
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 前に進むと不動堂がありました。
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 護摩を修しているようです。

 前に進むと本堂がありました。
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 宗祖「弘法大師空海」が祀られており「遍照殿」とも呼ばれています。

 鐘楼堂がありました。
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 御朱印は、境内の左側にある授与所で頂けました。御朱印代は300円でした。

 御朱印帳や御守りといった授与品がありました。



寺院名:高野山 東京別院
所在地:東京都港区高輪三丁目15‐18
宗 派:高野山真言宗
寺格等:総本山金剛峯寺東京別院
本 尊:弘法大師
通 称:高輪結び大師
札所等:御府内八十八ヶ所 一番札所
    昭和新撰江戸三十三観音霊場 二十九番札所
    関東八十八ヶ所 特別霊場
御詠歌: ありがたや 高野の寺の 観世音 大慈大悲に すがるうれしさ

浅草観音 板東札所(東京都台東区浅草)2

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 東京都台東区浅草にある寺院になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線・東京メトロ銀座線・都営浅草線「浅草駅」になります。東武と銀座線の浅草駅からは、徒歩で数分位かと思われます。
 
 駐車場は、見当たりませんでした。自動車で行かれる方は周辺の有料駐車場をご利用ください。


 こちらの寺院の由緒は皆さんご存じでしょうが、あえて調べてみました。雄山閣出版刊「日本名刹大事典」によると次の通りです。
「聖観音宗総本山。金龍山。通称浅草の観音様。本尊は聖観世音菩薩(秘仏)。
 『武蔵国浅草寺縁起』によれば、推古天皇三十六年(628)に宮古川(現隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成兄弟の網に観音像がかかり示現した。それを土師真中知(一説に土師真人中知・土師直中知)が自宅を寺堂として安置し、また自らも剃髪して祀ったのが始まりとされる。一方これに対して10人の童子が藜(あかざ)の堂を建てて祀ったという草刈童子の伝承がある。後世、漁師ら三人は権現思想のもと三社権現(現浅草神社)として、また草刈童子とともに十社権現社に祀られた。
 浅草寺という寺院名は『吾妻鏡』建久三年(1192)5月8日条が初見だか、第二次世界大戦後の発掘で、少なくとも平安時代に遡ることが確認されている。
 645年に本堂を再建した勝海を開山とし(この時、本尊を秘仏とするという)、857年に堂宇を再建した円仁を中興開山とし、円仁が謹刻したと伝える観音像が現在のお前立本尊となる。さらに天慶五年(942)当寺への祈願が成就した平公雅が諸堂を修繕し、荘園を寄進して寺域も拡大し、その後も源頼朝や北条氏・足利氏らの外護を得た。江戸時代には徳川幕府の祈願所とされ、家康から寺領500石を賜り興隆した。
 江戸時代は衆徒十二坊、寺僧二十二坊(現在は全二十四支院)で構成され、最高職は独自で選出した別当であったが、貞享二年(1685)の某事件を機に輪王寺の支配を受け、1740年以降は上野輪王寺門跡の兼帯となり、明治になって延暦寺の直轄となった。
 『寺院本末帳』には、朱印500石、僧正寺、衆徒十二か寺、寺僧二十二か寺、末寺十八か寺、門徒七か寺、承仕三人とある。
 昭和二十五年に天台宗より独立。
 戦災で本坊(伝法院)や二天門などを除く本堂・五重塔なとを焼失。昭和三十三年に本堂が、のちに雷門・宝蔵門(旧仁王門)・五重塔なども再建して伽藍を復興しつつある。
 支院の本龍院は待乳山聖天として別に信仰をもつ。
 行事には大晦日より一週間の修正会、正月12日より一週間の温座陀羅尼会、2月8日針供養、3月18日本尊示現会、4月8日仏生会、6月18日百味供養会・楊枝浄水加持会、7月9・10日四万六千日(ほうずき市)、12月17・18日歳の市(ほうずき市)などがある。
 寺宝に国宝『法華経』開結共十巻(伝小野道風筆)、重文『元版一切経』ほか多数。
 坂東第十三番札所、江戸三十三観音第一番札所。」


 言わずと知れた浅草の観音様に参拝してきました。
 こちらの寺院は、江戸時代の川柳に「江戸自慢 十三番が これくらい」と歌われ、江戸っ子の信仰を集めたようです。
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 参拝者が多く、混みあっていました。
 今回は、坂東三十三観音霊場の巡拝で訪れました。
 授与所で「坂東の御朱印」と「御御影」を頂いてきました。
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 しかし、帰りに御朱印を確認すると、右上に押される札所の印(坂東十三番)が押されず、「江戸三十三観音札所第一番」の印が押されてました(・ω・)




寺院名:金龍山 伝法院 浅草寺
所在地:東京都台東区浅草二丁目3‐1
宗 派:聖観音宗
寺格等:総本山
本 尊:聖観音
通 称:浅草観音(あさくさかんのん)
札所等:坂東三十三観音霊場 十三番札所
    昭和新撰江戸三十三観音霊場 一番札所
    浅草名所七福神 大黒天
御詠歌:深きとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草へ まいる身ならば

新年のご挨拶5

明けましておめでとうございます。

 私のブログを読んでいただきありがとうございます。
 更新の頻度が少なくなってきていますが、徐々に更新していきたいと思います。

 今現在、
新上州三十三観音霊場
東上州三十三観音霊場
坂東三十三観音霊場
昭和新撰江戸三十三観音霊場
北関東三十六不動尊霊場
を巡拝しております。逐次更新していきたいと思います。

 以前に「浅草名所七福神」の巡拝用専用色紙を頂いて、浅草寺の大黒天の御朱印を頂いたまま進んでいないので、こちらも進みたいと思っております。
 「上州七福神」も途中なので…

 私が現在興味がある霊場は
関東三十六不動尊霊場
秩父三十四観音霊場
武蔵野三十三観音霊場
関東八十八ヶ所
那須三十三観音霊場
になります。早く始めたいなぁ。

西国三十三観音霊場
四国八十八ヶ所
西国十七愛染霊場
東海三十六不動尊霊場
近畿三十六不動尊霊場
四国三十三観音霊場
四国三十六不動尊霊場
真言宗十八本山
 上記の霊場にも興味ありますが、関東在住のものは大変な霊場です。

 今ちょうど群馬県伊勢崎市西小保方町にある「真光山長安寺」の除夜祭に来ております。
威音王堂(不動堂)には、秘仏の「みかえり不動尊」が御開帳されています。
 護摩も修されており、祈祷祈願が受けられます。
 その様子は後日ブログにアップさせていただきます。

今年も皆さんが良い年でありますように。m(__)m

柳井堂心城院 江戸札所(東京都文京区湯島)5

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 東京都文京区湯島に寺院はありました。
 隣は、湯島天満宮(通称:湯島天神)になり、男坂を降りて少し行くと左側になります。

 最寄り駅は、東京メトロ千代田線「湯島駅」になります。
 降りて、徒歩ではお寺まで5〜6分くらいかかりそうです。

 駐車場は見当たりませんでした。
 自動車で行かれる方は、周辺の有料駐車場をご利用ください。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(天台宗東京教区HPより)。
「当山はもと湯島天神別当の天台宗喜見院・宝珠弁財天堂と称されておりました。湯島天神は『学問の神様』菅原道真公を祭神としていますが、道真公が太宰府へ左遷されたとき、その冤罪をそそぐため聖天さま(大聖歓喜天・大聖歓喜自在天)に祈念され、その信仰が篤かったために『天満大自在天神』とも言われました。
 ときに江戸の元禄七(1694)年、喜見院第三世宥海大僧都が、道真公と因縁浅からざる聖天さまを堂内に奉安したのが当山の開基で、尊像は比叡山から勧請した慈覚大師作と伝えられています。開基以来、『湯島の聖天さま』として知られ、熱心な信者の参詣があり、紀伊国屋文左衛門も当山に帰依した一人でした。
 享保のころ、寺門維持のため幕府から『富くじ』が発行されました。谷中感応寺(天王寺)、目黒瀧泉寺(目黒不動)、喜見院(湯島天神)が『江戸の三富』と言われ、大いに賑わいました。
 当時の喜見院は相当の境域がありましたが、明治維新の神仏分離令で惜しくも廃寺となりました。当然喜見院弁天堂も影響を受けるところでしたが、聖天さまの御加護により湯島天神との本末関係を断つのみで、その難を逃れました。単独の寺院として歩み出した当山は、建立当時の因縁により天台宗に属し、寺名を『心城院』と改めました。
 当山は、江戸の大火や関東大震災、東京大空襲にも遭うことなく法灯を伝えてきましたが、約三百年の風雪に耐えた堂宇は老朽化しら近年に改修され寺観を一新しました。
 当山には江戸名水の一つ『柳の井戸』があることから『柳井堂』と称され、これについて江戸時代の文献(江戸砂子・御府内備考など)に次のようにあります。

柳の井 男坂下
『この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ、垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけづると云う心にて、柳の井と名付けたり』

とあり、美髪・厄除のご利益を求め日々参拝者が訪れています。また関東大震災の折、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の生命を守った唯一の水であった為、当時の東京市長から感謝状を受けました。
 また境内の放生池については、同じく江戸時代の文献(御府内備考・江戸志など)に、

宝珠弁財天 男坂下
『江戸砂子にいう、此所の池は長井実盛(後に斉藤別当実盛になる)庭前の池と伝ふ。昔は余程の池なりしを近世其の形のみ少しばかり残りたり』

とあり、元禄の昔から病気平癒などの祈願で縁起の良い亀を放し、今も『亀の子寺』として親しまれております。作家・久保田万太郎は、天神下の一画が好きで、わざわざ鎌倉から当山の近所に引越して来ました。当山に一寸立寄っては『おみくじ』を引たり亀を見たりして一句、『きさらぎや亀の子寺の畳替』と詠みました。
 聖天さまの他に、十一面観音・宝珠弁財天・出世大黒天などの諸仏天を奉安する当山は、江戸三十三観音第七番札所に選定されており、三百年の昔から信仰の篤い参詣者が絶えません。」


 山門はありませんでした。
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 境内は狭いくらいです。
 境内に入ると、すぐ左側には水琴窟があります。
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 右側には「弁財天放生池」があります。
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 また、授与所の前には「柳の井戸」かありました。
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 こちらが本堂になります。
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 本尊の歓喜天、十一面観音(江戸札所の札所本尊)等が祀られています。

 扁額になります。
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 浴油祈祷は行っているようです。ご希望の方は、お寺までお問い合わせください。

 また、「星まつり祈祷」も行われているそうです。
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 必要な方はお寺までお申し込みください。1,200円だそうです。

 御朱印は、昭和新撰江戸三十三観音霊場のものを頂きました。御朱印代は300円です。
 由緒書きはありました。

 御守りやお札といった授与品はありました。
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必要な方はどうぞ。





寺院名:柳井堂 心城院
所在地:東京都文京区湯島三丁目32‐4
宗 派:天台宗
本 尊:大聖歓喜天
札所等:昭和新撰江戸三十三観音霊場 七番札所
札所本尊:十一面観音
通 称:湯島聖天
御詠歌:柳井の 水清くして白梅の 香りかぐわし 湯島のみほとけ
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