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埼玉県熊谷市にある「龍智山 毘廬遮那寺 常光院」に参拝してきました。
天台宗の別格本山になる寺院になります。

久しぶりの参拝になります。
以前は、東日本大震災があった月の下旬に訪れ、昨年は2月に、そうして今年は3月16日に訪れました。
以前の参拝日記は⇒こちら

熊谷市の北部、中条小学校の近くにお寺はありました。

最寄り駅は、JR「熊谷駅」になります。
徒歩でお寺までの来るのは大変かと思われます。
お寺の近くまでバスが来ているようです。

お寺の東側にある駐車場にはありました。
自動車は、十台以上は停められそうです。

天台宗の別格本山になります。
埼玉県には、金鑚大師も天台宗別格本山なので、二ヶ所もある・・・


こちらのお寺の由緒は以下の通り(ホームページより抜粋)。
「長承元年(1132)藤原鎌足十六代目の子孫である判官藤原常光公が、武蔵国司に任ぜられて下向し、当地に公文所を建て、土地の豪族白根氏の娘を娶り中條の地名を姓として土着、館を構えて政務に精励したが、保延三年(1137)5月1日病没された。
遺骸は館の東に葬られ近年まで常光塚(権現山古墳)として残っていた。
常光公の孫の中條出羽守藤次家長公は、16歳にて石橋山の合戦には既に頼朝公に扈従していて信任が厚く、関東武士では唯一人貞永式目制定に参画し、評定衆(現在の閣僚)として鎌倉に住んだため、自分の中條館を寺とし、五町余歩の土地を維持費として付し、祖父常光公及び殉死した愛童の菩提を弔うため、比叡山から天台の名僧金海法印を迎えて、建久三年(1192)開基したのが龍智山毘慮遮那寺常光院である。
爾来法燈連綿として第41世を数え、この間徳川家康公は慶長九年朱印三十石、除地二十石、合計五十石の寺領を賜った。
常光院は、開基以来延暦寺直末で天台宗に属し、特に梶井宮門跡(現三千院門跡)の令旨と、その御紋章「梶竪一葉紋」を下腸されて寺紋とし、徳川幕府に至り寺格は十万石、帝鑑定の間乗輿独札の待遇を与えられ、東比叡山の伴頭寺とされてきた。
水田地帯の真ん中に古木の平地林、山王社の鳥居は本格的な山王鳥居として関東では珍しく朱塗りが映え、埼玉県指定の「ふるさとの森」の中には全国で初めてという芭蕉翁三百忌を偲ぶ四吉の連句碑、本格的な三十六歌仙句碑など大小の句碑が建ち並び、最近では境内散策の俳句寺として親しまれている。」


こちらが山門になります。
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中条氏の館跡に建つお寺です。
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こちらのお寺の周囲は、濠がありました。
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やはり館跡です。

参道を進みます。
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そうすると、本堂がありました。
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茅葺きの屋根で、とても趣があります。
本尊である「釈迦三尊」や「元三大師」等の諸仏が祀られています。

境内には、観世音菩薩がいらっしゃいました。
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ぼけ封じ関東三十三観音霊場の札所本尊になります。
年をとっても、頭はスッキリはっきりしていたいものです。

また、開基となった「中条家長」の祖父「中条常光」のお墓がありました。
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このお方の菩提を弔ういための創建ですからね。

また天野氏のお墓がありました。
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詳しく調べていません・・・
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