神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

新田義貞

各願山 来迎院 西慶寺(群馬県太田市鳥山上町)5

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 群馬県太田市にある寺院になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「治良門橋駅」になります。徒歩では駅まで15〜20分位はかかりそうです。

 駐車場は、山門手前の左側にありました。自動車は、数十台は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊「ぐんまのお寺 真言宗機廚茲蝓法
「県道足利・伊勢崎線の石橋十字路から、太田に向かう県道太田・大問々線の東に入った所に真言宗の西慶寺がある。参道から山門に入ると鐘楼門があり、正面に本堂、その右に庫裏、左に不動堂、そして本堂の裏に墓地があり、その入り口には石造の六地蔵と水子地蔵尊がまつられている。
 寺伝によると、西慶寺は日光山を開いた名僧勝道上人が大同二年(807)に開基したと伝える古刹である。その後新田氏の祖新田義重が保元二年(1157)に左衛門督藤原忠雅から新田荘の下司職(げししき)に補任され、寺尾の郷に居住し、西慶寺を鬼門になぞられて祈願寺として尊び、水田を寄進したという。
 時代はさがって、元弘三年(1333)に新田義貞が鎌倉を攻めるに際し、西慶寺の不動明王に戦勝を祈願して陣鎌(じんかま)と鑓(やり)を奉納した。そこで一族は、大挙して義貞軍にはせ参じた。それ故に、この不動尊を『新田の触れ不動尊』と称されている。触れ不動尊の同様の伝承は、尾島町の明王院安養寺にも伝わっている。
 『上野国志』によると、観応年間(1350〜1352)に烏山の右近将監頼仲が良覚法印を中興開山として再興した。古くは延命山鵬鳥山寺と称したが、後に各願山来迎院東蔵坊西慶寺
となり、村田宝蔵寺の末寺となった。一方、西慶寺の創建は南北朝期末の嘉慶二年(1388)だとするが、足利市小俣鶏足寺の『世代血脈』である。
 これによると、第三十一代祖師良覚は上鳥山の峯崎という人物を頼って小庵を構え、村田村宝蔵寺の頼覚を師として仏法を修行し、明徳四年(1393)11月15日に綿打村大慶寺空覚と頼覚の指導を受けて伝法潅頂を執行した。そしてこの小庵の所に西慶寺を建てたとするものである。
 西慶寺は良覚以降、鶏足寺の系統を継ぐ末寺二十五ヶ寺の本寺として寺運が栄えたが、第二十一世真浄代の天明四年(1784)に本堂が焼失したため、天明八年(1788)に再建し、本尊阿弥陀如来三尊を安置した。明治十二年(1879)6月30日調査による『上野国新田郡寺院明細帳』では、本堂間口十間、奥行き七間半、境内2,433坪、不動堂の本尊は不動明王で由緒は不詳、堂宇は方四間、檀徒86人とある。この不動堂は第二十五世浄蓮代の建立で、安置されている不動明王は新田の触れ不動尊で、像高二尺余の木造立像である。顔は悪魔降伏の憤怒の相をし、左手には命あるものを救う象徴の羂索を、右手には降魔の剣を持っている。
 鐘楼門上にある百字真言鐘(梵鐘で、仏陀の教えを百字で表し、五字四行を一区として全部で五百字の梵字による真言を陽鋳したもの)は、西慶寺第十九世祐弘が新田義貞迫善のために寛保二年(1742)二月に佐野天明(栃木県)の長谷川弥市・山崎吉兵衛の鋳造により完成したものである。鐘銘には触れ不動の由来や『新田触不動御仏前、源光院殿後追薦(善)』などの文字や多数の僧名などが鋳出されている。源光院は、義貞の法号である。庫裏は、昭和五十五年(1980)に現在のものに造り変えられた。」


 こちらは山門になります。
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 鐘楼門になります。

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 本堂は新築をするそうです。
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 本堂本尊には真言宗系では珍しい「阿弥陀如来」が祀られています。
 もっとも天台宗の勝道上人が開山したお寺なので、そうかなぁと思います。
 
 境内の左側に不動堂がありました。
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 祀られている不動明王は、新田義貞が鎌倉攻めの際に挙兵したところ、山伏や天狗になり一族に触れ回ったので「新田の触れ不動尊」と呼ばれています。
 こちらの不動明王は、北関東三十六不動尊霊場の札所本尊になっています。

 御朱印は、本堂の右側にある「庫裡(納経所)」で頂けました。
 御朱印代は納経帳には300円、納経軸には500円です。




寺院名:各願山 来迎院 西慶寺
所在地:群馬県太田市鳥山上町1426‐1
宗 派:高野山真言宗
本 尊:阿弥陀如来
札所等:北関東三十六不動尊霊場 九番札所
    上州新四国八十八ヶ所 五十四番札所
    準西国三十三観音霊場 二十九番札所
御詠歌:義貞を 救い護りし明王は 今も自愛の 眼輝く

反町薬師 照明寺(群馬県太田市新田反町町)5

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 群馬県太田市にある「反町薬師 照明寺」に参拝してきました。
 高野山真言宗に属する寺院になります。

 駐車場はありました。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊「ぐんまのお寺 真言宗機廚茲螳貮抜粋)。
「(前略)
 反町城の本丸跡にある照明寺は最初、元徳年間に新田郡市野井村字杉に建てられた薬師堂を、永禄年間(1558〜1570)に刑部大輔由良成繁の命で慈光坊が反町城西方の元屋敷に移築し、照明寺と名付けて祈願所とした。しかし、正徳四年(1714)11月に、失火のため堂宇のすべてが焼失したため、中興開山の祐泉が成繁の奥方より地料と堂宇造営料として百十五両の寄付を受けて寺を反町城の本丸跡(現在地)に移築造営した。そして義貞の母の法号である『妙光院殿蓮法大禅定尼』から、院号を妙光院とした。
 明治八年(1875)6月の太政官達(たっし)によって編さんされた『上野国郡村誌』では、照明寺は東西二十二間南北三十三間、面積七百三十歩、真言宗村田村宝蔵寺末とあり、明治十二年(1879)6月調査の『上野国新田郡寺院明細帳』では、本堂方四間、鐘楼方一間半、檀徒百五人とある。また、明治三十ニ年(1899)の追記では、庫裏は間口十間奥行き六間一尺、参籠堂は間口四間奥行き二間半としている。
 現在の照明寺は、南の土塁の間に明治四十年(1907)建立の石柱門があり、その周辺に明治二十七年(1894)に建てられた『新田義貞公古城跡』碑、馬頭観音線刻碑、天明八年(1788)4月および昭和三年(1928)12月の建立で、御大典記念の石灯籠がある。石柱門を入ると左手に水屋、その西に大師堂、その北に大きな参籠堂と弁天堂がある。正面の本堂は、明治十一年(1878)に完成したもので、本尊の薬師如来石仏(秘仏)のほか日光月光菩薩、十二神将、不動明王、地蔵菩薩、阿弥陀如来、愛染明王、大黒天が安置されている。本尊は新田家の守り本尊で、行基上人が東北巡化の際、この地方に悪病が流行していたのでそれを除こうとして自ら刻んだと伝えられている。また、明治以降、本尊は『反町薬師』『厄除薬師』『六算除薬師』として人々の崇敬を受け、正月四日の大縁日には四歳児の厄除けをはじめ、交通安全や入学祈願など、多方面の信仰を集めている。
(後略)」

 
 新田義貞公の館跡とされるお寺になります。

 入り口になります。
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 手水舎になります。
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 参道を進むと、正面に本堂があります。
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 本尊の薬師如来が祀られています。いわゆる「反町薬師尊」と呼ばれています。
 祈祷祈願は行われています。本堂右側にある受付があります。

 大師堂になります。
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 上州新四国八十八ヶ所の札所になっています。

 参籠堂になります。
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 鐘楼堂になります。
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 本堂右側の受付では、授与品も頂けます。
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 必要な方は頂いてください。





寺院名:瑠璃山 妙光院 照明寺
所在地:群馬県太田市新田反町町896番地
宗 派:高野山真言宗
本 尊:薬師如来
通 称:反町薬師
札所等:上州新四国八十八ヶ所 六十二番札所
御詠歌:来光の 弥陀の光の 円明寺 照り沿う影は 夜な夜なの月
URL:http://www.sorimachiyakushi.or.jp/

呑嶺山 安養寺 明王院(群馬県太田市安養寺町)5

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群馬県太田市にある「呑嶺山明王院」に参拝してきました。

太田市の南部、旧尾島町にお寺はありました。
深谷市にも近い、国道17号線の「安養寺」という交差点の北側にあります。名鉄運輸の営業所や道の駅おおたが近くにありました。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「世良田駅」・「木崎駅」になります。
徒歩では無理かと思われますので、自動車で行かれた方が良いかもしれません。

駐車場はありました。

写真を撮ったのは平成27年3月28日になります。


こちらのお寺の由緒は次の通りです。
「寺伝によれば、康平四年(1061)に後冷泉天皇の勅により、源頼義が開基となり、奈良の興福寺から招いた頼空上人を開山として創建され、その後、新田氏初代の義重が中興し、さらに八代の義貞が元弘三年(1333)に後醍醐天皇の勅により、7堂伽藍12坊を有する大寺院として再建したという。
 現存の不動堂は宝永二年(1705)の建築で、その参道にある三棟造で知られる二天門はかつての中門で、そのはるか南に大門があったと伝えられている。江戸時代の絵図面に、周囲に二件幅の堀を巡らせた百余間四方の境内地と、その周辺に十二坊の跡地の位置等が示されており、桜昔の当寺の規模を推定することが出来る。不動堂の厨子(宮殿)には、二体の不動明王像が納められている。その一つは一寸八分(約5.5僉砲稜魘眄修如元弘三年(1333)の新田義貞鎌倉攻めの祭、山伏に化身して越後方面の新田一族に義貞の挙兵を一夜にして触れまわったと伝えられ、『新田触不動尊』として知られる。もう一体は二尺五寸(約76叩砲曚匹量畋い如⊃慧諜曾鼎盾の上に坐して軍勢指揮をとる姿を刻ませたはずが、一夜のうちに不動明王像に変じたとされ『御影不動明王』と呼ばれて背後に火炎がないのが特徴である。また、明王院本堂の本尊は、絹本彩色の倶利迦藍不動明王像で、以上の三不動明王が新田氏相伝の守本尊だと言い伝えられてきた。
 元禄十六年(1703)に明王院の不動尊が成田山新勝寺の不動尊と共に、江戸城三丸に出開帳したことが江戸護国寺の住職の隆光僧正の日記に記されている。寛政六年(1794)当寺境内に芭蕉百年忌の句碑が建立されたことを記念して翌七年に呑嶺山主(明王院住職)柳翠らが三百余名の同人(江戸、大坂など遠隔地の偉人も多数、尾島関係者は21人)の作品を収めて出版した 句集『萩のふす満』は、江戸後期俳諧史の貴重な資料である。」


国道17号線沿いにありました。
周辺は、かなり長閑です。

境内は新田ノ荘として国指定史跡になっています。
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入口になります。
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石標です。
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お地蔵様です。
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入ると左右には諸仏が祀られています。
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先に進みます。
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境内には桜の木がありました。
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1〜2分咲きかと思われます(平成27年3月28日参拝)。
もう見頃かもしれません。今週末は良いでしょう。

山門になります。
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持国天と増長天が祀られています。
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二天門とも言うそうです。

幟がありました。
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何があったのだろうか?

山門をくぐると、左側にはまた門がありました。
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くぐると本堂がありました。
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本尊である「倶利迦羅不動明王(画像)」が祀られています。

来た道を戻り、参道を真っ直ぐ行きます。
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右側には手水舎がありました。
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左側には石造不動明王像がありました。
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いかつい顔をしています。

また、大師堂がありました。
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さざえ堂みたいな建物ですね。

大師堂前には遍路大師がいらっし
ゃいました。
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今もなお修行中です。

境内には、ピラミッド型の不動搭があり、とても立派です。
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太田市指定重要文化財になっています。

こちらが不動堂になります。
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不動堂の本尊は「新田触不動明王」と「御影不動明王」が祀られています。

不動堂の扁額です。
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なかなか立派です。

不動堂の裏手には諸仏が祀られています。
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薬師堂になります。
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こちらは何が祀られているのでしょうか?
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鎮守社なんでしょうか?


御朱印は、本堂の裏側にある庫裡で頂けます。
御朱印代は、300円でした。

「世良田東照宮」や「世良田八坂神社」、「世良田山長楽寺」からも遠くないので、合わせて参拝するのも良いかもしれません。




寺院名:呑嶺山 安養寺 明王院
所在地:群馬県太田市安養寺町200‐1
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:倶利迦羅不動明王
札所等:上州新四国八十八ヶ所 七番札所
御詠歌:仮の世に 知行争う 無益なり 安楽国の 守護をのぞめよ

浅海八幡宮(群馬県みどり市)5

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群馬県みどり市に鎮座する「浅海八幡宮」に参拝してきました。

最寄り駅は、JR両毛線「岩宿駅」になります。
徒歩ではかなりかかりそうです。

駐車場は、見当たりませんでした。
自動車は、境内に数台停められそうです。


こちらの神社の由緒は、次の通りです(由緒書きより)。
「勧請年月不詳
新田郡神社概誌によれば当神社境内は、もと上野國神名帳に記載の従五位上阿波明神の鎮座地と伝えられ、すこぶる景勝の地であるので仁安(1169〜1171年)年中に新田義重卿が八幡宮を勧請し奥の宮と称し神田を寄進した。
以来、新田家の崇敬篤く、元弘三年(1333年)新田義貞公挙兵を起こし笠懸野に陣するや一族の金谷経氏を使わし戦捷を祈願した。
慶應(1865〜1868年)年中前橋城主松平大和守幣帛を献上した。
大正七年十月付近の神社七社を合祀した。」


こちらが入口になります。
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隣には、大きな案内板がありました。
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古社のようです。

参道を進んでいくと鳥居がありました。
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1716年に建てられたようです。

進んでいきます。
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長い参道です。

ようやく境内に着きました。
阿左美沼の畔にあり、競艇場があるため、開催日は競艇が走る音が気になります。
私は、全く競艇はしません。

境内の右側には「猿田彦大神」と刻まれた碑がありました。
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左側には神楽殿がありました。
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どんな神楽が舞われるのでしょうか?

こちらが社殿になります。
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(´人`)

本殿になります。
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こちらの神社ではご祈祷を受け付けているようで、貼り紙かしてありました。

こちらが授与品になります。
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無人ですが、大丈夫なんでしょうか?

御朱印は、社殿にある授与品の箱の中にありました。
書き置きになります。
御朱印代は、300円でした。



神社データ
神社名:浅海八幡宮
鎮座地:群馬県みどり市笠懸町阿左美1175番地
祭 神:誉田別尊 比売大神 息長帯比売命

宗光山 玉巌寺(群馬県太田市)5

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群馬県太田市にある「宗光山 玉巌寺」に参拝してきました。
曹洞宗に属するお寺になります。

太田市の金山の北側にお寺はありました。
細い道を行きますので、自動車で行かれる方は気を付けてください。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「太田駅」になります。
徒歩ではかなりかかりそうです。

駐車場は、お寺の入口前にありました。
自動車は、10台位は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです(寺伝が書かれた案内板より)。
「今から680年前に世良田長楽寺の名僧栄朝禅師の法弟が、太田の金山の東麓の景勝の地を選んで仏寺を建立し、その後新田義貞の援助のもとに寺運は栄えました。
この辺りは鎌倉建長寺の玉巌窟に似ていることから玉巌寺と称しましたが、その後天下は麻のごとく乱れ堂塔も破壊されたのを見て、天意長朔禅師は大いに悲しみ伽藍の再興を思い立って、金山城主、横瀬信濃守貞国の助力を仰ぎ、これを再建し新田義貞義宗公の菩提を弔ったと申します。
建物本堂は、間口八間、奥行六間で堂内には、新田義貞、義顕、義興、義宗、横瀬貞国公の御位牌厨子が安置されており、山門には、新田大炊介義重公二十三世になる源徳純書になる金城窟の額面かかげております。
太田市の『上州太田七福神』では本堂に福禄寿を奉安し、『秋の七草』では藤袴(ふじばかま)寺となっています。」


こちらが入口になります。
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緩い石段を登っていきます。

こちらが寺号標になります。
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曹洞宗のお寺なので「禅」が付きますね。

こちらが山門になります。
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山門には由緒にあった通りに新田義重公二十三世になる源(岩松)徳純書の「金城窟」の扁額が掛けられています。
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なかなか立派な字です。

まだまた石段を登っていきます。
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足下にはお気をつけ下さい。

上がると、正面には本堂がありました。
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曹洞宗らしい質素な本堂です。
本尊である釈迦如来が祀られています。

こちらは屋根です。
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やはり、新田氏の家紋「大中黒」が寺紋になっていますね。
やはり新田氏所縁の寺院だけあります。

全体的な印象として、森の中に来たといった感じです。
春先から初夏にかけては、良さそうな感じがします。
秋は紅葉で綺麗かもしれません。続きを読む
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