神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

新田氏

世良田八坂神社 初詣(群馬県太田市世良田町)5

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 群馬県太田市世良田町にある旧郷社になる神社です。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「世良田駅」になります。徒歩では15分位はかかりそうです。

 神社専用の駐車場はありました。
10台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「新田郡尾島町世良田の旧郷社。祭神は素盞嗚命。例祭は7月25日。
 後醍醐天皇の皇孫にあたる良王は世良田氏の娘を生母として上野国の寺尾城に生まれた。のちに尾張国の津島社の神主になった。津島の神は新田・世良田の両氏が勧請したと伝える。新田の天王と称し、一族が深く尊崇した。
 織田信長が社殿を造営した。」

 また、境内の案内板によると次の通りです。
「八坂神社の創建は明らかでないが、縁起によれば新田氏代々の崇敬社であり、織田信長も同社を崇拝し社殿を修造したという。また尾張国(愛知県)津島天王社の分霊を移したとも伝える。これは世良田政義の娘と南朝の王子尹良親王との間に出生した良王が、津島天王社の神主となったという故事によるものであろう。
 『永禄日記』(長楽寺蔵)の永禄八年(1565)六月七日の条に、『天王祭ヲイタス』とあり、古くは『牛頭天王』を祀る天王社であった。江戸時代は神宮寺(大正二年普門寺へ合併)が奉仕し、世良田・女塚・境・三ツ木・粕川村など五ヶ村の鎮守であったが、明治初年さらに平塚・村田村・木崎宿などが加わり、二十四ヶ村の郷社とされ、八坂神社と称した。
 当社は、農業・疫病除けの神として広く信仰されている。特に夏祭は『世良田祇園』として知られ、かって十一台の屋台が繰り出して競う祇園ばやしは、夜空にこだまして絢爛幻想の世界を現出し、関東の三大祭の一つに数えられた。近年は交通事情により祭りの規模は縮小されているものの、村人により祭り屋台・囃子が良く保存されており、神輿の渡御などに『世良田祇園』の伝統が受け継がれている。」


 1月3日に世良田東照宮でご祈祷を受けた帰りに参拝してきました。世良田東照宮より少し北に鎮座していました。

 鳥居になります。
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 茅の輪がありましたので、作法通りくぐらせて頂きました。

 社殿になります。
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 織田信長が造営を命じたと言う社殿では祈祷祈願を行っており、祝詞の声が聴こえました。

 社殿の左後方には境内社が鎮座していました。
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 新年の参拝なので、御朱印を頂きました。御朱印代は300円でした。

 授与品の中に「ゲゲゲの鬼太郎御守り」がありました。二種類あり、それぞれ初穂料800円になります。
 また、ドラゴンボール御守り(一体800円)もありました。
 その他御守りや御神札といった授与品はありました。




神社名:世良田八坂神社
鎮座地:群馬県太田市世良田町1497番地
祭 神:素戔鳴尊
社格等:旧郷社

狭山八幡神社(埼玉県狭山市)5

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埼玉県狭山市に鎮座する「狭山八幡神社」に参拝してきました。
旧村社になります。

「入間川総鎮守」になる神社です。

最寄り駅は、西武新宿線「狭山市駅」になります。
駅から神社まで徒歩で約十分位だと思われます。

駐車場は、境内の左側にありました。
鳥居の左側の道を上がっていってください。
自動車は、十数台位は停めらそうです。


こちらの神社の由緒は、次の通りです(神社のホームページから)。
「九州宇佐八幡宮を本社とする全国八幡宮の一社。
創建は、社宝『砂破利のつぼ』の推定年代から、室町時代初期とされている。
源氏一族の保護により、武門の神として隆盛をみて後世、新田義貞の信仰厚く一時『新田の八幡宮』と称されたこともある。
今日では応神天皇としてその母、神功皇后の事績により文化興隆の神として文武に志す人々に、崇敬の念が厚く、さらに母と子の情愛が母子神の信仰を生み、安産から初宮詣、そして子育てへのご神徳を仰ぎ、また、新田義貞が合戦に向けて当社で戦勝祈願をし、見事勝利を治めたところから文武・必勝の神として市民に親しまれている。」


鳥居です。
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階段を上がっていくと、境内にでます。

小高い丘の上にあるといった感じです。

手水舎です。
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こちらが社殿になります。
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なかなか立派な社殿です。
応神天皇が祀られています。

こちらの神社は、鎌倉時代には源氏からの崇敬が篤かったそうです。
その中でも新田義貞からも崇敬をされており、一時期「新田の八幡宮」とも呼ばれていたそうです。
しかし、新田氏は上州(今の群馬県)に領地があったのに、この狭山の地にも所縁の神社があるんですね。

境内には、八雲神社や大鷲神社等の境内社がありました。
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社殿の右側には「狭山東武サロン」というビルがあり、結婚式場や宴会場として利用できるようです。
喫茶室もありましたが、残念ながら参拝した時は営業はしておりませんでした。

御朱印は、社殿の右側にあり「狭山東武サロン」内の「受付」に声をかけて頂けました。
御朱印代は、300円でした。

御朱印を待っている間、サロン内にはお宮参りのご家族が複数いらっしゃいました。

由緒書きは、ありました。

御守りや御札といった授与品は、ありました。





神社データ
神社名:狭山八幡神社
鎮座地:埼玉県狭山市入間川3丁目6‐14
祭 神:応仁天皇
相 殿:天照皇大御神 春日大神
社格等:旧村社
社 殿:入母屋造

祥寿山 曹源寺(群馬県太田市)5

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群馬県太田市にある「祥寿山 曹源寺」に参拝してきました。
曹洞宗に属するお寺になります。

太田市の北部、桐生市や足利市にも近い所にお寺はありました。

これといった最寄り駅は無いので、自動車で行かれた方が良いかもしれません。

駐車場は、境内の左側にある「参拝者駐車場」を利用できます。
自動車は、十数台位は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです。
「文治三年(1187年)に新田家の祖新田義重が京都から迎えた養姫である祥寿姫の菩提をを弔うために建立された六角堂が起源である。
過去に二度の火事により本堂は焼失し(1852)、仏殿であった『さざえ堂』のみ現存し、これを本堂としてます。
寛政五年四月(1793)に関東の大工の祖といわれた町田兵部栄により十三年の歳月をかけて建てられたお堂は、間口・奥行きとも16.3m、高さ16.8m。
外見からは二階建てに見えるが内は三階建て。
堂内は回廊式といって同じところを二度通らずに元の所に戻れる構造になっている。
一階正面には本尊の魚籃観世音菩薩が祀られている。
その左側の通路より右回りに進んで二階三階と上がっていき、また回りながら同じ道を通らずに一階に戻ってくるといった造りになっている。
その回廊の内壁の一階には秩父三十四観音 二階には坂東三十三観音 三階には西国三十三観音の計百札所の観世音菩薩を模した観音様が安置されて、さざえ堂を一巡りすれば百箇所の札所を巡った功徳を得られると言われています。
境内には数多くのあじさいが植えられていて六月下旬頃の景色はすばらしく、このことから『群馬のあじさい寺』とも呼ばれています。
昭和五十二年九月(1977)に群馬県重要文化財に指定されました。」


こちらが山門になります。
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仁王像が配されているので、仁王門と呼んだ方が良いかもしれません。

山門の両側にはこのような石標がありました。
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何なんでしょうか?

山門の右には、紫陽花が咲いていました。
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山門を入ります。
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山門から本堂までは、西国・坂東・秩父観音霊場の御砂踏み場がありました。

山門を入ると、左側には鐘楼がありました。
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また、手水舎がありました。
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境内には紫陽花が植えてありますので、ちょうど見頃でした。

やはり、この時期の紫陽花はとても綺麗です。
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こちらが本堂になります。
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栄螺堂と呼ばれており、
西国・坂東・秩父観音霊場の百体の観音様がいらっしました。
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拝観受付・御朱印受付から望む。
以前に拝観させていただきました。
立派な観音様ばかりでした。続きを読む

新田義重夫妻の墓(群馬県太田市)3

群馬県太田市にある「徳川東照宮(鎮座地:群馬県太田市徳川町396番地)」の近くには、清和源氏の流れをくむ新田氏の祖「新田義重」のお墓がありました。
徳川東照宮の鳥居を出て東へ行くと、案内板がありました。
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案内板通りに行くと、畑に出ました。
大丈夫かな?と思いつつ行くと、左側に見えてきました。

畑の中にありました。
こちらが全景になります。

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ここらへんまで徳川義季の館跡だったようです。


こちらが宝塔です。
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あくまでも「『伝』新田義重の墓」のようです。
同市内の「義重山大光院」にもお墓がありました。


こちらが説明板です。
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ふむふむ。


火葬した骨が出てきてるのですね。
一体誰の骨なんでしょうか?
もうDNA鑑定なんて出来ないでしょうけど。

近くには満徳寺資料館もあり、歴史に浸るには充分な場所です。

医王山永徳寺(群馬県太田市)5

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群馬県太田市にある「医王山 和光院 永徳寺」に参拝してきました。
天台宗のお寺になります。

太田市の南部、旧尾島町にありました。
群馬県伊勢崎市や埼玉県深谷市からも近いです。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「世良田駅」になります。
徒歩では、お寺まではかなりかかると思われます。

駐車場は、満徳寺資料館の駐車場を利用した方が良いかもしれません。
自動車は、十数台位は停められそうです。

山門はありませんでした。

本堂になります。
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本尊である「薬師如来」が祀られています。

こちらのお寺は、関東最初の天台三道場の一つであったそうです。
伝教大師の弟子「宥海」が鬼石町の浄法寺に居た時に薬師如来の顕現するのを見て、その霊跡を探したがわからなかった。
その後、利根川の大石の上に密教の道具である「五鈷杵」が光放っているのを見つけ、これを納めて一寺を建立したそうです。
建久三年(1192年)、新田氏の祖「新田義重」の子である「徳川義季」が居を徳川郷に移して、永徳寺を祈願所にしたそうです。

同市内にある「世良田山 真言院 長楽寺」の末寺にになるそうです。

境内は、さほど広くはありません。

創建の経緯からして、最初は庵だったようで、庫裡が庵っぽい感じで、何だか和風の感じで良かったです。

境内には、地蔵堂や不動堂がありました。

こちらは、地蔵堂になります。
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「子育て地蔵尊」が祀られています。
お堂の反対側には、別に「延命地蔵菩薩」立像があります。

不動堂になります。
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「不動明王」が祀られています。
お堂っぽくない雰囲気がします。
最初は、「何かなぁ」と思いましたが、由緒書きを見たら不動堂との記載がありました。

御朱印は、本堂の左側にある「庫裡」で頂きました。
御朱印代は、300円でした。

由緒書きは、ありました。

近くには、徳川東照宮や満徳寺歴史資料館がありました。
合わせて参拝&拝観されても良いかもしれません。




寺院名:医王山 和光院 永徳寺
所在地:群馬県太田市徳川町373番地
宗 派:天台宗
本 尊:薬師如来
通 称:徳川さつき寺
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日本のまほろばを探して社寺を参詣しており、社寺参詣道代表師範です。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士(ファイナンシャルプランナー)、日商簿記検定2級、秘書検定2級、全経電卓検定3級、神社検定参級、安全衛生推進者
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