神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

文京区

柳井堂心城院 江戸札所(東京都文京区湯島)5

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 東京都文京区湯島に寺院はありました。
 隣は、湯島天満宮(通称:湯島天神)になり、男坂を降りて少し行くと左側になります。

 最寄り駅は、東京メトロ千代田線「湯島駅」になります。
 降りて、徒歩ではお寺まで5〜6分くらいかかりそうです。

 駐車場は見当たりませんでした。
 自動車で行かれる方は、周辺の有料駐車場をご利用ください。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(天台宗東京教区HPより)。
「当山はもと湯島天神別当の天台宗喜見院・宝珠弁財天堂と称されておりました。湯島天神は『学問の神様』菅原道真公を祭神としていますが、道真公が太宰府へ左遷されたとき、その冤罪をそそぐため聖天さま(大聖歓喜天・大聖歓喜自在天)に祈念され、その信仰が篤かったために『天満大自在天神』とも言われました。
 ときに江戸の元禄七(1694)年、喜見院第三世宥海大僧都が、道真公と因縁浅からざる聖天さまを堂内に奉安したのが当山の開基で、尊像は比叡山から勧請した慈覚大師作と伝えられています。開基以来、『湯島の聖天さま』として知られ、熱心な信者の参詣があり、紀伊国屋文左衛門も当山に帰依した一人でした。
 享保のころ、寺門維持のため幕府から『富くじ』が発行されました。谷中感応寺(天王寺)、目黒瀧泉寺(目黒不動)、喜見院(湯島天神)が『江戸の三富』と言われ、大いに賑わいました。
 当時の喜見院は相当の境域がありましたが、明治維新の神仏分離令で惜しくも廃寺となりました。当然喜見院弁天堂も影響を受けるところでしたが、聖天さまの御加護により湯島天神との本末関係を断つのみで、その難を逃れました。単独の寺院として歩み出した当山は、建立当時の因縁により天台宗に属し、寺名を『心城院』と改めました。
 当山は、江戸の大火や関東大震災、東京大空襲にも遭うことなく法灯を伝えてきましたが、約三百年の風雪に耐えた堂宇は老朽化しら近年に改修され寺観を一新しました。
 当山には江戸名水の一つ『柳の井戸』があることから『柳井堂』と称され、これについて江戸時代の文献(江戸砂子・御府内備考など)に次のようにあります。

柳の井 男坂下
『この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ、垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけづると云う心にて、柳の井と名付けたり』

とあり、美髪・厄除のご利益を求め日々参拝者が訪れています。また関東大震災の折、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の生命を守った唯一の水であった為、当時の東京市長から感謝状を受けました。
 また境内の放生池については、同じく江戸時代の文献(御府内備考・江戸志など)に、

宝珠弁財天 男坂下
『江戸砂子にいう、此所の池は長井実盛(後に斉藤別当実盛になる)庭前の池と伝ふ。昔は余程の池なりしを近世其の形のみ少しばかり残りたり』

とあり、元禄の昔から病気平癒などの祈願で縁起の良い亀を放し、今も『亀の子寺』として親しまれております。作家・久保田万太郎は、天神下の一画が好きで、わざわざ鎌倉から当山の近所に引越して来ました。当山に一寸立寄っては『おみくじ』を引たり亀を見たりして一句、『きさらぎや亀の子寺の畳替』と詠みました。
 聖天さまの他に、十一面観音・宝珠弁財天・出世大黒天などの諸仏天を奉安する当山は、江戸三十三観音第七番札所に選定されており、三百年の昔から信仰の篤い参詣者が絶えません。」


 山門はありませんでした。
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 境内は狭いくらいです。
 境内に入ると、すぐ左側には水琴窟があります。
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 右側には「弁財天放生池」があります。
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 また、授与所の前には「柳の井戸」かありました。
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 こちらが本堂になります。
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 本尊の歓喜天、十一面観音(江戸札所の札所本尊)等が祀られています。

 扁額になります。
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 浴油祈祷は行っているようです。ご希望の方は、お寺までお問い合わせください。

 また、「星まつり祈祷」も行われているそうです。
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 必要な方はお寺までお申し込みください。1,200円だそうです。

 御朱印は、昭和新撰江戸三十三観音霊場のものを頂きました。御朱印代は300円です。
 由緒書きはありました。

 御守りやお札といった授与品はありました。
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必要な方はどうぞ。





寺院名:柳井堂 心城院
所在地:東京都文京区湯島三丁目32‐4
宗 派:天台宗
本 尊:大聖歓喜天
札所等:昭和新撰江戸三十三観音霊場 七番札所
札所本尊:十一面観音
通 称:湯島聖天
御詠歌:柳井の 水清くして白梅の 香りかぐわし 湯島のみほとけ

吹上稲荷神社(東京都文京区大塚五丁目)5

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 東京都文京区に神社は鎮座していました。

 護国寺の近くにあり、門前を東西に走る「不忍通り」を少し東に行き、「坂下通り入り口」という交差点を北に少し行ったところに神社はありました。

 最寄り駅は、東京メトロ有楽町線「護国寺駅」になります。
徒歩では一番出口を出て6〜7分位はかかりそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(由緒書きによる)。
「元和八年創立。徳川二代将軍秀忠公が下野国日光山より稲荷大神の御神体を戴き、江戸城中大奥紅葉山吹上御殿内に『東稲荷宮』と称して祀り幕府が崇敬、武家諸公の信仰も篤かった。
 しかし、五代将軍綱吉公の時代に『老中堀田・柳沢事件』(俗称『吹上騒動』)の余波を受け、神田一ツ橋外護持院ケ原(現 共立女子大学付近)に遷座された。
 その後、副将軍水戸家分家である松平大学頭が徳川家より拝領、武蔵国北豊島郡小石川御組屋敷御箪笥町の松平大学頭邸内(現 教育の森公園)に移遷し祀られた。
 宝暦元年、大塚村民鎮守神として松平家より拝受し善仁寺付近(現 小石川四丁目)に遷祀、崇敬者も武家に限らず多数に及んだ。また、この時に江戸城内中大奥紅葉山吹上御殿に鎮座せられるを以て、誰言うことなく『東稲荷宮』を『吹上稲荷社』と替え奉り、今日の社名に改名した。
 後に護国寺月光殿 薬師寺付近に遷祀し薬師寺良弁師が別当を行い奉仕したが、明治五年の太政官布告による神仏分離のため大塚上町に仮遷し祀られ、明治十五年には大塚仲町(現 大塚三丁目)に移遷し祀られた。そして明治四十五年、市区改正のため現在地である大塚坂下町に遷座し奉り、今日に及ぶ。
 当社には 神殿に『稲荷宮』の額と、神座前に錦の『徳川正記三葉葵』の神紋がある。また、石造りの二ノ鳥居は宝暦三年 石工嘉兵ヱ作、石造りの御神狐一対は宝暦十二年 上町御組屋敷・中町(仲町)・坂下町・久保町(窪町)より奉納された。
 尚 この御神狐は、石造りの一対としては現存する最古のものとされている。」


 周辺は住宅地でとても静かです。

 通り沿いに一の鳥居がありました。
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 社号標です。
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 参道を進むと二の鳥居がありました。
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 境内はさほど広くはありません。

 手水舎です。
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 手と口を漱いで参拝です。

 こちらが社殿になります。
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(´人`)

 神輿倉かと思われます。
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 中が見れません。

 御朱印は、境内の右側にある社務所で頂けました。
御朱印代は300円です。

 こちらが社務所です。
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 由緒書きはありました。




神社名:吹上稲荷神社
鎮座地:東京都文京区大塚五丁目21‐11
祭 神:保食之大神(うけもちのおおかみ)
旧 称:東稲荷宮 吹上稲荷社
社格等:?

神齢山 悉地院 大聖護国寺(東京都文京区大塚)5

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東京都文京区にある真言宗豊山派に属する寺院になります。

最寄り駅は、東京メトロ有楽町線「護国寺駅」になります。
一番出口から徒歩ではすぐです。

駐車場はあります。
しかし、参拝者用なのか職員や檀家用なのかがわかりません。


こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京都文京区大塚にある真言宗豊山派の寺院。神齢山悉地院。本尊は如意輪観音。
 天和元年(1681)徳川綱吉が生母桂昌院のために、桂昌院が、前々から祈祷を行わせていた上野国大聖護国寺の元住持亮賢を召し、高田薬草園の地を与えて建立させ、桂昌院の念持仏如意輪観音を安置したのに始まる。
 桂昌院の存命中は、その由来から桂昌院の祈願寺だったが、元禄半ばから将軍家の祈祷も勤め、宝永二年(1705)の桂昌院没後は将軍家の祈祷を専らとした。
 寺領は千二百石。
 亮賢と桂昌院は隆光とともに綱吉に生類憐みの令をすすめたとされるが確かな根拠はない。
 享保二年(1717)、炎上した将軍家祈祷寺の護持院が、幕府命で、当寺の本坊に移されると、従来の観音堂(本堂)や大師堂等の境域を護国寺と称するようになったが、その年からの六年間と宝暦八年(1758)以降は護持院の兼帯とされた。
 明治二年(1869)に護持院が廃寺となると、その遺構を引きつぎ近代寺院として再出発した。
 墓域には近代以降の著名人の墓が多い。」

また、東京堂出版「古寺名刹大辞典」によると次の通りです。
「東京都文京区大塚5‐80‐8。神齢山悉地院大聖護国寺と号す。真言宗豊山派の関東における中心となる大寺(大本山)で、東京・小石川の音羽にあることから、音羽の護国寺の名前で知られている。しかし、寺の歴史は新しく、まだ300年ほどにすぎない。徳川五代将軍の綱吉とその生母桂昌院が帰依した亮賢和尚が開基となり、将軍と母公が願主となって天和元年(1681)にひらかれた。
 これと並んでさらに広大な規模で神田御門外に護持院が柳沢吉保を奉行とし将軍母子によってつくられたが、これは享保二年(1717)に焼失し、八代将軍吉宗の緊縮政策はこれの再興をゆるさず、護国寺を護持院と改めさせ、境内の観音堂を護国寺と改めさせてしまった。しかし、この変則的な関係は、明治に入って終止符がうたれ、両寺は合併されて、護国寺の名のみがのこることになった。
 現在の本堂は、元禄十一年(1698)に建立したもので大きさは方七間、重文である。ほかに桃山建築の月光殿がある。これは園城寺の塔頭を移築したものである。その他、内仏堂、大師堂、薬師堂、鐘楼堂、本坊、山門、仁王門、孔雀門等がある。また寺の裏山にある儒者の墓(史跡)が有名で、江戸時代の学者ばかりが40墓以上も存在する。境内には、鈴木学術財団の事務所や、豊山派の会館などもおかれており、関東におけるもっとも活発な寺院の一つである。かつての童謡の会『音羽ゆりかご会』は盛大なものがあった。
 開基の亮賢の後継者が、有名な隆光僧正である。隆光僧正は、将軍綱吉に献策して犬保護を主とする『生類憐れみの令』を出した張本人としてだけ知られているが、実際は将軍の帰依に価する傑僧で、関東真言の再興者であることも忘れてはいけない。護国寺は、まさに隆光僧正と綱吉母子の信仰の記念碑ということができる。」


江戸幕府五代将軍徳川綱吉と生母桂昌院の所縁の寺院になります。

こちらは山門になります。
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寺号標になります。
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さきに進みます。
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石段右側には、富士塚がありました。
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こちらは不老門です。
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境内はとても広いです。
徳川家所縁の寺院は、広い境内をもつ所が多いかもしれません。

境内には「月光殿」があります。
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この建物は、滋賀県にある「長等山園城寺(通称:三井寺、観音堂は西国三十三観音霊場十四番札所)」の日光殿の客殿を移築したものです。
こちらの建物は、国指定重要文化財になっています。

本堂になります。
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桂昌院の念持仏「如意輪観音」を祀っています。
月光殿と同様に国指定重要文化財になっており、とても立派です。

大師堂や地蔵堂もありました。
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大師堂には御府内八十八ヶ所の御詠歌の額が掲げられていました。
地蔵堂には一言地蔵が祀られています。

多宝塔は大日如来が本尊となります。
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なかなか立派な建物です。

こちらに大仏がありました。
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阿弥陀如来でしょうか?

鐘楼堂になります。
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どんな音色なんでしょうか?

御朱印は、本堂内にある納経所で頂けました。御朱印代は300円でした。
御朱印を頂く際に納経をさせていただきました。

御守りや御札といった授与品はありました。




寺院名:神齢山 悉地院 大聖護国寺
所在地:東京都文京区大塚五丁目40‐1
宗 派:真言宗豊山派
寺格等:大本山
本 尊:如意輪観音
通 称:音羽護国寺
札所等:昭和新撰江戸三十三観音霊場 十三番札所
    御府内八十八ヶ所 八十七番札所
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:もろもろの くのうをすくう 観世音 だいひの恵み 尊とかりける

桜木神社(東京都文京区)5

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東京都文京区の春日通りと本郷通りの交わる「本郷三丁目」の交差点の近くにある「櫻木神社」に参拝してきました。

東京大学本郷キャンパスが近かったです。

最寄り駅は、東京メトロ丸の内線・都営大江戸線「本郷三丁目駅」になります。

駐車場は、見当たりませんでした。
自動車でいらっしゃる方は、周辺の有料駐車場を利用した方が良いかもしれません。


こちらの神社は、太田道灌が文明年間(1469〜1487年)に京都の北野天神より江戸城内に勧請したのが始まりだそうです。
その後、二代将軍「徳川秀忠」の時代に「桜の馬場」へ遷り、五代将軍「徳川綱吉」の時代に昌平坂学問所の設立に伴い、現在地に移転してきたそうです。


神社は、春日通りに面しており、境内は狭いくらいでした。
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勧請された時から比べたら、交通量はすごいでしょう。

鳩ぽっぽです。
国会議員の鳩山ブラザーズではありません。
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ポッポ・・・

社殿です。
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(´・人・`)

こちらの神社は、通称「桜木天神」と言われています。

御朱印は、社殿の左奥にある「社務所」で頂けました。
御朱印代は、300円でした。
宮司さんのご夫人と思われる方に対応して頂きました。
社務所が不在の時もありますので、気をつけてください。

社務所前には、庭がありました。
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由緒書きは、ありました。

御守りや御札といった授与品は、賽銭箱の上に見本がありました。
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社務所で授与品を頂けると思われます。

近くには、春日局の墓所「麟祥院」や「湯島天満宮(湯島天神)」がありました。




神社データ
神社名:櫻木神社
鎮座地:東京都文京区本郷4丁目3‐1
祭 神:菅原道真公
通 称:櫻木天神

和順山 法真寺(東京都文京区本郷五丁目)5

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東京都文京区にある「和順山 歓喜院 法真寺」というお寺に参拝してきました。
浄土宗のお寺になります。

最寄り駅は、東京メトロ南北線「東大前駅」、もしくは都営大江戸線「本郷三丁目駅」になります。


こちらのお寺の由緒は、次の通りです(お寺のホームページより)。
「当山は、和順山歓喜院法真寺といい、慶長元年(1596年)に京都知恩院より、寺号を附与されている。
家康公御台所の天野図書(法真寺殿歓譽西喜大禅定門 寛永十年五月二十日寂)が、同家下屋敷を寄進し、寺の開基となる。この時の開山上人が、伝通院から来た栄誉泉良和尚という人であった。
天保九年一月十六日に類焼し、現在の本堂は天保十年四月二十九日に上棟したものである。幸いなことに仏様は無事であった。関東大震災や第二次大戦ではいずれも被害を免れた。」

五千円札の描かれている「樋口一葉」所縁のお寺だそうです。
お寺の東隣に樋口一家が引っ越してきて、お寺の境内で若き日の一葉が遊んでいたそうです。


東京大学本郷キャンパスの「赤門」近く、本郷通り沿いにお寺はありました。
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本郷通りを挟んで、入口がありました。
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赤門の近くだけあって赤い文字なのかな・・・

特に山門はありませんでした。

こちらが「本堂」になります。
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質素な本堂です。
浄土宗なので「阿弥陀如来」が祀られています。
院号の所縁となった歓喜天も祀られているようです。
閻魔大王も祀られているそうですが、拝観はできるのかな?

境内はさほど広くはありません。

境内にある仏像群。
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無縁仏かな?
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