神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

御御影

岩殿山光明院安楽寺 坂東札所(埼玉県比企郡吉見町)5

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 埼玉県比企郡吉見町に寺院はありました。

 参道の入り口に駐車場はありました。自動車は10台位は停められそうです。

 最寄り駅は、東武東上線「東松山駅」になりますが、徒歩で吉見観音まで行くのは無理ですし、バスもありそうにはないです。
 できれば自動車で行かれた方が宜しいかと思われます。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県比企郡吉見町御所にある真言宗智山派の寺院。岩殿山。光明院。坂東三十三か所十一番札所。通称吉見観音。
 本尊は行基作と伝える聖観音。観音堂は坂上田村麻呂開基と伝えるが未詳。
 果鏡が江戸初期に中興し、三重塔・護摩堂などを再建したといわれる。
 江戸期には本尊は大日如来で、古来信仰を集めた観音堂を護持することにより発展したといわれる。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「埼玉県比企郡吉見町御所374。岩殿山と号し、吉見観音の通称がある。真言宗智山派。坂東三十三ヶ所第十一番札所。
 慈光寺・正法寺(板東九、十番)とともに比企三山と呼ばれる。
 近くには有名な吉見百穴の古代横穴古墳群がある。
 行基自刻の観音像を得たこの地の豪族吉見氏による開創の伝、また坂上田村麻呂が奥州進攻の途上、この地の岩窟からもれ出る光を怪しみ、その光が窟内の観音像から発すると知るや、直ちに伽藍を建立したのであるとの伝もある。
 源頼朝の弟、範頼が稚児僧としてこの寺に隠れ住み、頼朝挙兵に従った功により、この地の領主となった時には所領の半分を寄進して、寺院も大いに栄えた。範頼の死後に一時廃絶し、現在の三重塔は寛永年間(1624〜1644)の建立。
 本尊は聖観音。
 御詠歌は、
  吉見よと天の岩を押し開き
   大慈大悲の誓いたのもし」


 こちらの寺院は「坂東三十三観音霊場十一番札所」になり、「吉見観音」の名で知られているお寺になります。
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 坂東以外に関東八十八ヶ所、東国花の寺百ヶ寺の札所でもあります。
 埼玉県内にある慈恩寺・正法寺とともに「比企三山」と呼ばれています。

 参道には厄除団子を売るお店がありました。おいしく頂きました。
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 隣には食事がとれるスペースがあり、うどん定食等がありました。お昼に参拝しなかったので頂いておりません。

 坂上田村麻呂ゆかりの寺院になります。

 入り口になります。立派な仁王門です。
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 境内は本堂の他に「吉見大仏」という阿弥陀如来坐像がありました。
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 吉見大仏の右側には「山王社」が鎮座していました。
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 こちらのお寺の鎮守社でしょうが、山王社というと天台宗のイメージがあります。稲荷堂でもじゃなかったのかな。

 境内の左側には薬師堂がありました。
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 境内の全景になります。
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 本堂になります。
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 本尊は聖観音になります。坂東三十三観音霊場の札所本尊になります。
 本堂内には大きな大黒天像がありました。福々しい笑顔でした。

 扁額になります。
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 山号の「岩殿山」、「補陀洛」という観音様のおわす場所を示す扁額もなかなか立派です。

 本堂の右側には三重塔、太子堂がありました。
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 御朱印は、本堂の左側にある「納経所兼授与所」で頂きました。
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 御朱印代は300円でした。
 坂東三十三観音霊場の御御影を一体(100円)も頂きました。
 御朱印を頂いた際に般若心経を写経したものを納経させて頂きました。

 御守りや御札といった授与品はありました。




寺院名:岩殿山 光明院 安楽寺
所在地:埼玉県比企郡吉見町御所374番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:聖観音
通 称:吉見観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十一番札所
    関東八十八ヶ所 七十五番札所
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:吉見よと 天の岩戸を 押し開き 大慈大悲の 誓いたのもし

諏訪山観音院 関東八十八ヶ所(群馬県桐生市)5

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 群馬県桐生市にある「諏訪山 観音院」に参拝してきました。真言宗豊山派に属するお寺になります。

 桐生市の東部、桐生タイムスという新聞社の少し北側にありました。
 お寺の西側には「諏訪機神社」が鎮座しています。

 最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」、上毛電気鉄道「西桐生駅」になります。徒歩ではかなりかかりそうです。近くまでバスが来ているかもしれません。

 駐車場は、道路を挟んで反対側と境内の東側にありました。自動車は、数十台位は停められそうです。


 上毛新聞社刊‘ぐんまのお寺 真言宗機任砲茲襪藩浬錣蓮以下の通りです(一部を抜粋)。
「当寺の開創は文書・記録が失われていて確実なことはわからない。しかし、江戸時代中ごろの郷土史家高橋五右衛門守行によって著された『今泉古事談』によると、正保元年(1644)養甚という道心が岩崎彦右衛門の庵に移り住んだのを始まりとする。承応元年(1652)小俣村(足利市)威徳院の弟子、秀賀という僧が来住、庵を今の観音堂の廟所に移し観音院と呼んだ。その後、寛文二年(1662)に現在地諏訪の森に移した。」


 日限地蔵尊として知られているお寺です。お地蔵さまは地蔵堂に祀られています。
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 本堂には聖観音が祀られています。
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 関東八十八ヶ所・上州三十三観音霊場・上州新四国八十八ヶ所の各札所本尊になります。

 大通りから外れているので境内はとても静かです。

 本堂左後方には、寺樹という欅(けやき)の木がありました。
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 木の下には石造不動明王立像がありました。神社で言うところの御神木に相当する木だと思われます。

 御朱印は、地蔵堂に併設されている御朱印受付にて頂きました。御朱印代は300円でした。

 各種御守りはありました。





寺院名:諏訪山 能満寺 観音院
所在地:群馬県桐生市東二丁目13‐18
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:聖観世音菩薩
札所等:関東八十八ヶ所 十番札所
    上州三十三観音霊場 五番札所
    上州新四国八十八ヶ所 四十八番札所
御詠歌:諸人の 願いをしかと 能満の 深き誓いに 絶えぬ香煙

金龍山浅草寺 板東札所御御影(東京都台東区浅草)5

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 言わずと知れた浅草の観音様こと「金龍山浅草寺」の観音様の御御影(お姿)になります。
 
 とても小さな観音様ですが、このように描かれた観音様なんですかね。
 絶対秘仏なので直接拝むことができないのが残念です。

 坂東三十三観音霊場の巡拝の時に一体頂きました。坂東三十三観音霊場専用の御御影だと思われます。影向堂の御朱印受付で頂けます。一体100円になります。





寺院名:金龍山 伝法院 浅草寺
所在地:東京都台東区浅草二丁目3‐1
宗 派:聖観音宗
寺格等:総本山
本 尊:聖観音
通 称:浅草観音(あさくさかんのん)
札所等:坂東三十三観音霊場 十三番札所
    昭和新撰江戸三十三観音霊場 一番札所
    浅草名所七福神 大黒天
御詠歌:深きとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草へ まいる身ならば

白岩観音長谷寺 御御影5

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 群馬県高崎市にある金峰山修験本宗に属する名刹「白岩山長谷寺」の御御影になります。
 坂東三十三観音霊場のものになり、「十一面観音」です。一体100円になります。
 坂東三十三観音霊場を巡拝したおり、参拝し御朱印を頂いた際にお姿まで頂きました。

以前の参拝日記は→こちら




寺院名:白岩山 長谷寺(ちょうこくじ)
所在地:群馬県高崎市白岩448番地
宗 派:金峰山修験本宗
本 尊:十一面観音
通 称:白岩観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十五番札所
    上州三十三観音霊場 別格霊場
御詠歌:誰も皆な 祈る心は 白岩の 初瀬の誓ひ 頼もしきかな

白岩観音長谷寺(群馬県高崎市白岩)5

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 群馬県高崎市の北西部、旧榛名町にある寺院になります。

 最寄りの駅やバス停からも遠いので、自動車で行かれた方が良いかもしれません。

 駐車場は、道路を挟んで反対側にありました。自動車は、10台以上は停められそうです。

 
 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(東京堂出版『古寺名刹大辞典』による)。
「群馬県群馬郡榛名町白岩448。白岩山と号す。天台宗(寺門派)。坂東三十三ヶ所霊場第十五番札所。通称は白岩観音。
 群馬県下には妙義山・赤城山・榛名山など修験道の霊山が多い。
 長谷寺にも修験道の始祖役行者開創の伝がある。役行者が修行の場を求めてこの地を訪れた時、烏川の上流で彼を迎える天狗たちに出会った。そこで役行者は従う鬼神どもに命じて利根川の川底より白岩を運ばせ、その岩上に不動明王を祀って修行の地と定めた。その後この岩は地中に沈み、霊地の基盤となったのであるという。
 また別の伝説によれば、役行者ゆかりの地に残る柳の霊木で行基が十一面観音を彫ったことから始まる。あるいは聖武天皇の勅によって行基と徳道上人の二僧が開創したともいう。いずれにしても由緒古い修験の寺といえよう。
 中世より源義家、頼朝、新田義貞らの武将の尊崇を受け、永禄六年(1563)武田信玄箕輪城攻略の兵火に焼失した時には、すぐさま信玄によって堂宇が建立された。本堂は天正八年(1580)武田勝頼の願により無道が建立した。
 学者の研究によると、長谷寺または新長谷寺という名の寺は関東に二十数ヶ所あるという。かつて大和長谷寺が炎上焼失した時、修興の資金集めに各地に活躍した勧進聖がこれらの寺の創建に大きく寄与しているといわれている。
 板本尊十一面観音像は平安中期の作といわれ、天然の岩上に立つ。
 御詠歌は、
 たれも皆祈る心はしらいわの
  神世の誓いたのもしきかな」

 また、雄山閣出版刊「日本名刹大事典」によると次の通りです。
「通称白岩観音。金峰山修験本宗、白岩山。本尊は十一面観音。
 徳道・行基(開山)が聖武天皇(開基)の勅命で開創であると伝える。中世の様子も不明な点が多いが、寺伝では源頼朝・新田義貞・上杉憲政・長野業政らが伽藍を修復したが、永禄九年武田信玄が箕輪城を攻略するに当り、当寺を焼き尽くしたと伝える。しかし、坂東観音霊場十五番札所であることから、中世には観音信仰で栄えた寺と推測できる。天正十八年武田信玄の命を受け世無道が再興するが、世無道の宝塔にはその由来が刻まれている(『群馬県史』資料編八・中世四金石文所収)。
 近世までには修験宗に転じたが、天保四年の宗門改帳によると、六坊から成っており、人数は四十一人と記されている。明治の初めに天台宗に転じ、第二次大戦後舞台修験にもどった。
 文化財として、大般若経の中世の写経、長谷寺縁起絵巻(県立博物館蔵)、中世の宝塔四基のほか県内を代表する木彫を蔵する。
 本尊の十一面観音立像は翻波式の技法の見られる平安後期の作で、県内最古の木彫仏で秘仏とされる。秘仏の前には『前立ち』と呼ばれる木彫十一面観音立像があるが、これは鎌倉時代作である。
 中世の奥書を有する大般若経が五巻ある(『群馬県史』資料編六・および同七所収)。」


 坂東三十三観音霊場の札所と知られています。
 寺号は「長谷寺」と書いて「ちょうこくじ」と読みます。一般的には、「白岩観音」として知られています。
 「金峯山修験本宗(きんぷせんしゅげんほんしゅう)」に属するお寺になります。一時期は、天台宗に属していたようです。

 道端にお寺はありました(・ω・)
 通りすぎるところでした。
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 看板が目印になります。

 山門になります。
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 山門をくぐると左側には、石造不動明王立像がいらっしゃいました。
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 先に進むと、本堂があります。
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 御朱印は、ご本尊「十一面観音」と「役行者」の二種類がありました。御朱印代は各300円でした。
 坂東三十三観音霊場の御御影は、一体100円になります。

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 坂東三十三観音霊場の専用納経帳はありました。
 また、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)の御札もありました。




寺院名:白岩山 長谷寺(ちょうこくじ)
所在地:群馬県高崎市白岩448番地
宗 派:金峰山修験本宗
本 尊:十一面観音
通 称:白岩観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十五番札所
    上州三十三観音霊場 別格霊場
御詠歌:誰も皆な 祈る心は 白岩の 初瀬の誓ひ 頼もしきかな
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