神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

御守り

武蔵国鷲宮神社 再拝(埼玉県久喜市鷲宮町)5

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 埼玉県久喜市の北部、旧鷲宮町に鎮座する神社になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「鷲宮駅」になります。
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 徒歩では神社まで10分位はかかりそうです。
 もしくは、JR東北本線「東鷲宮駅」になります。徒歩でも行けますが、駅前から神社までバスが出ています。

 駐車場は、鳥居の左側にありました。自動車は数十台は停めれそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【鷲宮神社】
 埼玉県北葛飾郡鷲宮町鷲宮堀内の旧県社。神社本庁別表神社。お酉様・明神様とも。天穂日命・武夷鳥命・大己貴命ほか九柱。例祭は3月28日。土師流催馬楽神楽を奉納する。
 出雲族が創祀し、日本武尊が奉斎したと伝える。土師(はじ)宮が訛って鷲宮となり、大酉大明神とも称した。
 武蔵国造の奉斎となり造営がなされた。中世には関東の総社鎮護神として知られ、武将の崇敬が厚く、源頼朝が社殿を造営し、北条時頼が神楽を奉納、小山義政も社殿を修営した。
 室町期には足利氏や古河公方の庇護を受けた。江戸期には徳川将軍家が代々四百石を寄せた。
 全国には多くの分社がある。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「【鷲宮神社】
 埼玉県北葛飾郡鷲宮町。旧県社。祭神は天穂日命・武夷鳥命・大己貴命。
 社伝によれば天穂日命は東国経営のため武蔵国に到着され、供奉した二十七人の部族と地方の士族が当地の鎮守として奉斎したのが創祀と伝える。その後、日本武尊東夷平定の折、天穂日命の御子の武夷鳥命を相殿に奉祀したという。建長三年(1251)北条時頼が若宮別当法印をして、奉幣祈願をしたことが『吾妻鏡』にみえるのをはじめ武家の尊崇篤く建武二年(1335)新田義貞は神馬奉献。享徳五年(1456)古河公方成氏は足立郡・騎西領の領銭を以て当社修理料を寄せた。天正十九年(1591)徳川家康は先規により四百石を寄進し、歴代将軍が安堵している。
 明治元年(1868)神祇官直支配の準勅祭社に列せられた。
 関東神楽の源流という国指定重要民俗無形文化財の土師一流十二座神楽がある。
 太刀・銅鏡・古文書等国や県指定文化財の社宝が多数存在する。
 例祭3月28日。」


 平成26年8月に一度参拝しましたが、再び参拝に来ました。

 アニメ「らき☆すた」では「鷹宮神社」として登場しており、「聖地巡礼の地」として知られています。

 駅を出るとコンビニがあります。
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 一の鳥居になります。[画像:8bd4ff1c-s.jpg]

 境内は広く、清々しい感じがしました。良い感じです。

 社殿になります。
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 本殿は二ヶ所あります。向かって右側は「天穂日命・武夷鳥命」、左側は「大己貴命」を祀ります。つまり右側は鷲宮神社、左側は神崎神社の本殿となります。

 御朱印は、拝殿の向かいにある「授与所」にて頂きました。御朱印代は500円でした。
 「由緒書き」と笑門招福と書かれた「ステッカー」を頂けました。

 また、授与所には御守りや御神札といった授与品はありました。

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 私は、御守り(一体500円)を頂きました。




神社名:武蔵国鷲宮神社
鎮座地:埼玉県久喜市鷲宮町一丁目6‐1
祭 神:天穂日命 武夷鳥命 大己貴命
合祀神:建御名方神 伊邪那美神 大山祇神 宇迦之御魂神 大山咋神 天照皇大神 迦具土神 素戔嗚尊 菅原道真公
社格等:旧県社 准勅祭社 別表神社

前橋東照宮 夏越の大祓(群馬県前橋市本町)5

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 群馬県前橋市に鎮座する「前橋東照宮」の夏越の大祓の申込みを致しました。

 撤下品は、「茅の輪の御札」・「夏越御守り」・「入浴剤」になります。
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 初穂料は1,000円でした。

 社務所にて受付をしていました。巫女さんがいらっしゃいますので申し出て下さい。
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 社殿になります。
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 (´人`)




神社名:前橋東照宮
鎮座地:群馬県前橋市大手町三丁目13‐19
祭 神:徳川家康公 菅原道真公 木之花咲耶姫神 長壁様
社格等:旧県社
札所等:全国東照宮めぐり

上野総社神社 御守り(群馬県前橋市元総社町)5

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 群馬県前橋市の中心部から少し南にある神社になります。

 最寄り駅は、JR両毛線「新前橋駅」になります。徒歩では、少々かかりそうです。

 駐車場は、神社の北側にありました。自動車は、数十台は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県前橋市総社町にある旧県社。祭神は磐筒男命・磐筒女命・経津主命・宇迦御魂命・須佐之男命ほか十柱。
 例祭は3月15日。13日に太々神楽を奉納する。1月14日が筒粥・火炭式、旧暦5月5日が粽(ちまき)祭り。10月9日の秋季大祭に神輿渡御があり太々神楽を奉納する。翌日には流鏑馬を奉納する。
 崇神天皇の皇子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が下向したおり、経津主命とその親神の磐筒男・女命を祀ったという。
 安閑天皇の御代、社殿を改築し蒼海明神と称したと伝える。
 天平十年(738)に国内十四郡の五百四十九社を奉祀して総社明神となる。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「群馬県前橋市総社町。旧県社。祭神は磐筒男命・磐筒女命・経津主命・宇迦御魂神・須佐之男命ほか十柱と上野国内の五百四十九社の神々。
 社伝によれば、崇神天皇の御代の創建で、天平十年(738)国内十四郡の諸社を勧請して総社となしたという。江戸時代に朱印領二十六石を有した。
 例祭は3月15日であるが、筒粥及び火炭式(1月14日夜)・太々神楽(3月13日)・粽祭(旧5月5日)・流鏑馬式(10月10日)など古神事が多い。
 現本殿は元亀年間(1570〜03)再建のものといわれ県文化財。
 社宝の『上野神名帳』は著名。」


 上野国(現在の群馬県)の総社であり、総鎮守になる神社になります。

 鳥居になります。 
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 社殿になります。
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 御神体は「上野国神名帳」になるそうです。
 お宮参りをする家族に出くわしました。境内は広く、清々しい感じがしました。
 
 境内裏になります。
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 境内社が鎮座していました。

 授与所で御守り(一体700円)を頂きました。





神社名:上野総社神社
鎮座地:群馬県前橋市元総社町一丁目31‐45
祭 神:磐筒男命 磐筒女命 経津主命 宇迦御魂命 須佐之男命
相 殿:赤城大明神 抜鉾大明神 若伊香保大明神 伊香保大明神 岩根大明神 小祝大明神 榛名大明神 浅間大明神 火雷大明神 倭文大明神 上野国内五百四十九社
社格等:旧県社 上野国総鎮守

前橋八幡宮 再拝 御朱印&御守り(群馬県前橋市本町)5

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 群馬県前橋市の中心部、国道50号線と国道17号線の交わる交差点から遠くない所に神社は鎮座しています。

 最寄り駅は、JR両毛線「前橋駅」になります。徒歩では少々歩きます。

 神社専用の駐車場は、ありません。周辺には、有料駐車場がありますので、自動車で来られた方はそちらを利用してください。



 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「前橋市本町の旧県社。祭神は品陀和気命・息長足媛命。例祭は9月15日。
 1月9日の初市祭はだるま市として知られる。また、子育て八幡の信仰から七五三祭はにぎわう。
 在原業平の後裔の業重が石清水八幡宮を勧請したという。
 永禄年間(1558〜1570)に兵火に遭ったが、元亀・天正年間(1570〜1592)に北条氏らの武将が神田を寄進した。
 徳川将軍家から十五石の朱印領が寄せられた。藩主の酒井・松平両氏が代々崇敬し、前橋の総鎮守として市井の信仰も厚い。」


 公園内に鎮座しているといった感じです。

 鳥居になります。
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 手水舎になります。
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 社殿になります。
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 境内。
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 神社周辺は前橋市の中心部なので、買い物や食事ができるお店が多いです。

 久し振りの参拝なので、御朱印と御守りを一体(300円)頂きました。
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 境内にある授与所は閉まっているので、社務所で頂きました。
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 社務所の所在地は「前橋市本町二丁目7‐2」になります。
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神社名:前橋八幡宮
鎮座地:群馬県前橋市本町二丁目9‐21
祭 神:誉田別命 比売大神 息長帯比売命
社格等:旧県社

一之宮貫前神社 御朱印&御守り(群馬県富岡市一ノ宮)5

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 群馬県富岡市に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、上信電鉄「上州一ノ宮駅」になります。

 駐車場は門前にありました。できれば「一ノ宮北」という交差点を北へ行く道を進み、信号機を過ぎ、すぐに左へ行く道がありますので、それを進むと神門が右側にあります。神門の脇に自動車は停められます。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県富岡市一ノ宮の旧国幣中社。延喜式内名神大社。神社本庁別表神社。祭神は経津主命・比売大神例祭は3月15日。3月14日と12月12日に御戸開(みとびらき)神事がある。13年ごとに行われる式年遷宮祭はこの神事に合わせて行われる。正月三日に水的(みずまと)神事、同15日に御筒粥神事、4月15日に流鏑馬祭、7月7日に御田植え神事、12月8日に鹿占神事、同11日に神機織神事がある。安閑天皇元年3月15日に創祀されたと伝える。
 経津主神は石上神宮の祭神であるが、当社付近に物部氏が居住し、隣接地域には石上部君が存在した。また渡来文化である絹織りの技術が当地にもたらされたことを物語るは、赤城神が南天竺狗留吠国の好美女から機織りの絹筬(きぬおき)を借りたという説話である。貫前神は天安三年(859)に従四位下に昇叙され、延喜十六年(916)には従二位となった。上野国の一の宮となる。
 徳川家康が当社を改修してから、三代将軍の家光が寛永十二年(1635)に社殿を造営した。元禄十一年(1698)に綱吉がさらに改修した。」

 また、國學院大学日本文化研究所編「神道辞典」によると次の通りです。
「〈旧称〉貫前神社、抜鉾神社
 〈祭神〉経津主神、比売大神
 〈指定文化財〉本殿、拝殿、楼門、鏡三面、棟札(重文)
 〈例祭日〉3月15日 〈神事〉申年式年遷宮祭、御戸開祭(3月14日・12月12日)、水的神事(1月3日)、御筒粥神事(1月15日)、流鏑馬祭(4月15日)、田植え神事(7月7日)、鹿占(かうら)神事(12月8日)、神機織(かんはたおり)神事(12月11日)
 〈由緒〉式内名神大社。上野国一宮。貞観元年(859)正月、従四位に叙され、延喜十六年(916)には従二位に進む。『貫前』は『延喜式』神名帳に『或いは抜鋒(ぬきさき)に作る』との注記があり、『上野国神名帳』(一宮本)や『神道集』には『抜鉾』とも表記する。中世・近世には抜鉾の表記が一般的であった。物部氏系の経津主神を祀る貫前神社と渡来人系の比売大神を祀る抜鋒(抜鉾)神社とは別個の神社であったとする説もあり問題を残す。
 神仏分離以前は天元四年(981)開基と伝える別当の光明院をはじめ神宮寺が多く、現在も境内に堂舎の遺跡が多数散在する。
 江戸時代には百七十六余の朱印領を有した。現在の社殿は徳川家光の造営。
 養蚕・農業の神として崇敬される。
 秘中の神事とされる御戸開祭をはじめ特殊神事が多い。
 〈旧社格〉国幣中社(明治四年)」


 こちらの神社は、延喜式内社で上野国一宮になる神社です。
 朝廷や武家からも崇敬されていたそうです。

 神門になります。
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 神門を入ると石段は下へ向かい、社殿を下りながら見るという「下り宮」になります。
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 「日本三大下り宮」になります。

 社殿は「貫前造」という特殊な社殿構造になります。
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 本殿は2階建てだそうです。

 月読宮がありました。
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 仮殿地になります。
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 杉の木の香りがします。式年遷宮が終わりましたので、神様はもとの宮に遷座はされたと思いますが、こちらにはまだいらっしゃるのかな?

 御朱印は境内の右側にある「授与所」で頂きました。
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 昨年式年遷宮でしたので、記念印が押されていました。御朱印代は500円でした。小さな由緒書き付きです。
 パンフレットの由緒書きは100円になります。

 御守りや御神札(一体1,000円)といった授与品はありました。私は、御守りを一体(700円)頂きました。
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 宝物館があり拝観ができます。

 御神籤を引き、「大吉」を引き当てました。前回は世良田東照宮で御神籤を引き「大吉」でしたので、二週連続大吉でした。





神社名:一之宮貫前神社
鎮座地:群馬県富岡市一ノ宮1535番地
祭 神:経津主命 比売大神
社格等:延喜式内社(名神) 旧国幣中社 別表神社
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