神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

御守り

上野総社神社 御守り(群馬県前橋市元総社町)5

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 群馬県前橋市の中心部から少し南にある神社になります。

 最寄り駅は、JR両毛線「新前橋駅」になります。徒歩では、少々かかりそうです。

 駐車場は、神社の北側にありました。自動車は、数十台は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県前橋市総社町にある旧県社。祭神は磐筒男命・磐筒女命・経津主命・宇迦御魂命・須佐之男命ほか十柱。
 例祭は3月15日。13日に太々神楽を奉納する。1月14日が筒粥・火炭式、旧暦5月5日が粽(ちまき)祭り。10月9日の秋季大祭に神輿渡御があり太々神楽を奉納する。翌日には流鏑馬を奉納する。
 崇神天皇の皇子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が下向したおり、経津主命とその親神の磐筒男・女命を祀ったという。
 安閑天皇の御代、社殿を改築し蒼海明神と称したと伝える。
 天平十年(738)に国内十四郡の五百四十九社を奉祀して総社明神となる。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「群馬県前橋市総社町。旧県社。祭神は磐筒男命・磐筒女命・経津主命・宇迦御魂神・須佐之男命ほか十柱と上野国内の五百四十九社の神々。
 社伝によれば、崇神天皇の御代の創建で、天平十年(738)国内十四郡の諸社を勧請して総社となしたという。江戸時代に朱印領二十六石を有した。
 例祭は3月15日であるが、筒粥及び火炭式(1月14日夜)・太々神楽(3月13日)・粽祭(旧5月5日)・流鏑馬式(10月10日)など古神事が多い。
 現本殿は元亀年間(1570〜03)再建のものといわれ県文化財。
 社宝の『上野神名帳』は著名。」


 上野国(現在の群馬県)の総社であり、総鎮守になる神社になります。

 鳥居になります。 
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 社殿になります。
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 御神体は「上野国神名帳」になるそうです。
 お宮参りをする家族に出くわしました。境内は広く、清々しい感じがしました。
 
 境内裏になります。
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 境内社が鎮座していました。

 授与所で御守り(一体700円)を頂きました。





神社名:上野総社神社
鎮座地:群馬県前橋市元総社町一丁目31‐45
祭 神:磐筒男命 磐筒女命 経津主命 宇迦御魂命 須佐之男命
相 殿:赤城大明神 抜鉾大明神 若伊香保大明神 伊香保大明神 岩根大明神 小祝大明神 榛名大明神 浅間大明神 火雷大明神 倭文大明神 上野国内五百四十九社
社格等:旧県社 上野国総鎮守

前橋八幡宮 再拝 御朱印&御守り(群馬県前橋市本町)5

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 群馬県前橋市の中心部、国道50号線と国道17号線の交わる交差点から遠くない所に神社は鎮座しています。

 最寄り駅は、JR両毛線「前橋駅」になります。徒歩では少々歩きます。

 神社専用の駐車場は、ありません。周辺には、有料駐車場がありますので、自動車で来られた方はそちらを利用してください。



 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「前橋市本町の旧県社。祭神は品陀和気命・息長足媛命。例祭は9月15日。
 1月9日の初市祭はだるま市として知られる。また、子育て八幡の信仰から七五三祭はにぎわう。
 在原業平の後裔の業重が石清水八幡宮を勧請したという。
 永禄年間(1558〜1570)に兵火に遭ったが、元亀・天正年間(1570〜1592)に北条氏らの武将が神田を寄進した。
 徳川将軍家から十五石の朱印領が寄せられた。藩主の酒井・松平両氏が代々崇敬し、前橋の総鎮守として市井の信仰も厚い。」


 公園内に鎮座しているといった感じです。

 鳥居になります。
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 手水舎になります。
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 社殿になります。
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 境内。
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 神社周辺は前橋市の中心部なので、買い物や食事ができるお店が多いです。

 久し振りの参拝なので、御朱印と御守りを一体(300円)頂きました。
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 境内にある授与所は閉まっているので、社務所で頂きました。
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 社務所の所在地は「前橋市本町二丁目7‐2」になります。
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神社名:前橋八幡宮
鎮座地:群馬県前橋市本町二丁目9‐21
祭 神:誉田別命 比売大神 息長帯比売命
社格等:旧県社

一之宮貫前神社 御朱印&御守り(群馬県富岡市一ノ宮)5

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 群馬県富岡市に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、上信電鉄「上州一ノ宮駅」になります。

 駐車場は門前にありました。できれば「一ノ宮北」という交差点を北へ行く道を進み、信号機を過ぎ、すぐに左へ行く道がありますので、それを進むと神門が右側にあります。神門の脇に自動車は停められます。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県富岡市一ノ宮の旧国幣中社。延喜式内名神大社。神社本庁別表神社。祭神は経津主命・比売大神例祭は3月15日。3月14日と12月12日に御戸開(みとびらき)神事がある。13年ごとに行われる式年遷宮祭はこの神事に合わせて行われる。正月三日に水的(みずまと)神事、同15日に御筒粥神事、4月15日に流鏑馬祭、7月7日に御田植え神事、12月8日に鹿占神事、同11日に神機織神事がある。安閑天皇元年3月15日に創祀されたと伝える。
 経津主神は石上神宮の祭神であるが、当社付近に物部氏が居住し、隣接地域には石上部君が存在した。また渡来文化である絹織りの技術が当地にもたらされたことを物語るは、赤城神が南天竺狗留吠国の好美女から機織りの絹筬(きぬおき)を借りたという説話である。貫前神は天安三年(859)に従四位下に昇叙され、延喜十六年(916)には従二位となった。上野国の一の宮となる。
 徳川家康が当社を改修してから、三代将軍の家光が寛永十二年(1635)に社殿を造営した。元禄十一年(1698)に綱吉がさらに改修した。」

 また、國學院大学日本文化研究所編「神道辞典」によると次の通りです。
「〈旧称〉貫前神社、抜鉾神社
 〈祭神〉経津主神、比売大神
 〈指定文化財〉本殿、拝殿、楼門、鏡三面、棟札(重文)
 〈例祭日〉3月15日 〈神事〉申年式年遷宮祭、御戸開祭(3月14日・12月12日)、水的神事(1月3日)、御筒粥神事(1月15日)、流鏑馬祭(4月15日)、田植え神事(7月7日)、鹿占(かうら)神事(12月8日)、神機織(かんはたおり)神事(12月11日)
 〈由緒〉式内名神大社。上野国一宮。貞観元年(859)正月、従四位に叙され、延喜十六年(916)には従二位に進む。『貫前』は『延喜式』神名帳に『或いは抜鋒(ぬきさき)に作る』との注記があり、『上野国神名帳』(一宮本)や『神道集』には『抜鉾』とも表記する。中世・近世には抜鉾の表記が一般的であった。物部氏系の経津主神を祀る貫前神社と渡来人系の比売大神を祀る抜鋒(抜鉾)神社とは別個の神社であったとする説もあり問題を残す。
 神仏分離以前は天元四年(981)開基と伝える別当の光明院をはじめ神宮寺が多く、現在も境内に堂舎の遺跡が多数散在する。
 江戸時代には百七十六余の朱印領を有した。現在の社殿は徳川家光の造営。
 養蚕・農業の神として崇敬される。
 秘中の神事とされる御戸開祭をはじめ特殊神事が多い。
 〈旧社格〉国幣中社(明治四年)」


 こちらの神社は、延喜式内社で上野国一宮になる神社です。
 朝廷や武家からも崇敬されていたそうです。

 神門になります。
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 神門を入ると石段は下へ向かい、社殿を下りながら見るという「下り宮」になります。
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 「日本三大下り宮」になります。

 社殿は「貫前造」という特殊な社殿構造になります。
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 本殿は2階建てだそうです。

 月読宮がありました。
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 仮殿地になります。
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 杉の木の香りがします。式年遷宮が終わりましたので、神様はもとの宮に遷座はされたと思いますが、こちらにはまだいらっしゃるのかな?

 御朱印は境内の右側にある「授与所」で頂きました。
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 昨年式年遷宮でしたので、記念印が押されていました。御朱印代は500円でした。小さな由緒書き付きです。
 パンフレットの由緒書きは100円になります。

 御守りや御神札(一体1,000円)といった授与品はありました。私は、御守りを一体(700円)頂きました。
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 宝物館があり拝観ができます。

 御神籤を引き、「大吉」を引き当てました。前回は世良田東照宮で御神籤を引き「大吉」でしたので、二週連続大吉でした。





神社名:一之宮貫前神社
鎮座地:群馬県富岡市一ノ宮1535番地
祭 神:経津主命 比売大神
社格等:延喜式内社(名神) 旧国幣中社 別表神社

桐生雷電神社 再拝(群馬県桐生市錦町)5

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 群馬県桐生市の中心部、本町通沿いに神社は鎮座しています。

 最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」になります。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(案内板より)。
「雷電神社の由来
 雷電神社は雷除け、雨乞い、五穀豊穣の神として荒戸五ケ村が雷電山に祭る。永禄二年(一五五九)である。
 常見隠岐守が上原に移った時に屋敷神として勧請した。天和二年(一六八二)である。
 その後最勝寺(現在は錦町)が別当寺として祭祀を預かる。(最勝寺は常見隠岐守の開基と云い、神社に仕え、管理運営を行っていた。)
 亨保、元文の頃、寺と村方とで神社について紛議が起こり、一時的に村方持ちになったが元文四年(一七三九)上野東叡山から下書を賜って最勝寺が別当となり明治維新まで継続した。
 明治時代より雷電神社はその所在地の鎮守様として、周辺の崇敬者を氏子として祭祀管理運営されて、春秋二回の祭礼が
行われてきた。
 太平洋戦争時は大3区区民が氏子となり、昭和五十九年に老朽化した本殿、大鳥居等改修し現在にいたる。
 祭神 火雷神」


 通り沿いに大きな鳥居があります。
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 境内には大きな桜の木があります。「染井吉野」ではなく「大島桜」だそうです。春先には桜が綺麗に咲きますので、その頃の参拝をお薦めします。

 二の鳥居になります。
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 社殿になります。
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 境内社になります。
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 以前は御朱印は無かったのですが、できたとのことなので頂きました。御朱印代は300円でした。
 ステッカーを頂けました。
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 無料です。

 由緒書きはあります。

 雷除けの御守りがありました。
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 一体300円でありました。





神社名:桐生雷電神社
鎮座地:群馬県桐生市錦町一丁目3‐6
祭 神:火雷神

足利織姫神社 御守り&御朱印(栃木県足利市西宮町)5

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 栃木県足利市の織姫山の中腹に鎮座する神社になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「足利市駅」、JR両毛線「足利駅」になります。徒歩では30分位はかかりそうです。

 駐車場は、境内の東側にありました。自動車は、数十台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「栃木県足利市西宮町に鎮座。祭神は八千千姫命・天御鉾命。例祭は5月7日で神幸祭がある。
 伊勢国の渡会井手郷の御機殿を遥拝するために勧請された。
 明治十二年(1879)に足利町の八雲神社の相殿となり、さらに現在地に遷された。」

 また、案内板によると次の通りです。
「足利は古くから織物を中心として栄えてきました。奈良時代初期の和銅6年(713)というのが足利織物が文献上に残る最古のものと言えるでしょう。その約1300年の伝統を持つ足利織物の守り神として奉られているのが足利織姫神社で、昔機織を司られた天御鉾命と八千々姫命を祭神としております。
 昔は『機神さま』と呼ばれ、明治12年8月24日に合祀されていた通四丁目の八雲神社から今の織姫山南麓に遷宮しましたが、翌年の明治13年9月10日の火災で焼失以来、仮宮のまま約50年を経過。この間、織姫神社奉賛会により織姫神社中腹に朱塗りの社殿が造営され、昭和12年5月7日仮殿から遷座して現在に至っています。
 緑に映える朱塗りのお宮は、国登録有形文化財にも指定されている足利の名勝の一つで、足利県立自然公園の最南端に位置しています。社殿の東側には関東ふれあいの道『歴史のまちを望むみち』が通っており、北に続く織姫山一帯は明治100年記念事業として造成された総合公園(織姫公園)になっています。」


 足利市を象徴するような神社です。

 駐車場から境内に入れます。
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 1月29日に参拝しましたが、神前結婚式が行われていました。
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 参道途中で新婦が写真撮影がありました。

 女性の参拝者や夫婦連れが参拝に来てました。私は男一人で行ってしまいました。

 社殿になります。
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 境内からの眺めがとても良いです。
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 しばらくこちらの御朱印は頂いていなかったので、久しぶりに頂きました。御朱印代は300円でした。私の前にも御朱印を頂く女性がいました。
 また、縁結びの御守りを頂きました。一体500円です。




神社名:足利織姫神社
鎮座地:栃木県足利市西宮町3889番地
祭 神:天御鉾命(あめのみほこのみこと) 天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)
社格等:旧無格社
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