神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

式内社

三夜沢赤城神社 御神籤5

群馬県前橋市に鎮座する三夜沢赤城神社に参拝したさいに御神籤をひきました。
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「大吉」でした。良いことがあるといいです。

境内です。
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参拝者が多く、御神籤や授与品、御朱印をいただく方がいらっしゃいまさした。
御朱印あり。




神社名:三夜沢赤城神社
鎮座地:群馬県前橋市三夜沢町114番地
祭 神:赤城神 大己貴命 豊城入彦命
社格等:延喜式内社 旧県社 上野国二宮

大国神社(群馬県伊勢崎市境下渕名)5

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 群馬県伊勢崎市の南部、旧佐波郡境町に神社はありました。

 駐車場はありました。自動車は10台以上は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県佐波郡境町下渕名の旧郷社。延喜式内社。祭神は大国主命・日葉酢媛命 渟葉田瓊入媛命・罔象女命・素盞鳴命。例祭は10月22日で獅子舞の奉納がある。7月25日には神輿渡御がある。
 垂仁天皇朝に丹波国から勧請したと伝える。
 五護宮・第五姫明神と称し、国内神名帳に従一位と記される。
 淵名三十六郷の総鎮守となる。」

 群馬県神社庁伊勢崎佐波支部著「伊勢崎佐波の神社誌」よると次の通りです。
「延喜式神名帳に『上野国大國神社』、上野国神名帳に『従一位大國神社』と記されるのが当社である。
 縁起によれば、第十一代垂仁天皇の九年(約ニ千年程前)四月より天候不順で大干魃が続いたために、疫病が流行り人蓄共に大半が死亡したという。これを深く憂い給いた天皇は、諸国の名神に祈雨のため奉幣し、東国には奉幣使として百済の車臨を遣わした。垂仁天皇十一年九月、その車臨が当地に来て老松の樹下に一夜の宿をとった。翌朝、前の池で手を洗う白髪頭の翁を見つけ名を尋ねると、『吾は大国主命なり。』と答えた。それを聞いた車臨は、『私は疫病平癒と降雨祈願のために、天皇の勅を奉じて遣わされた奉幣使です。どうか国家の大難をお救いください。』と嘆願した。翁は『よし、よし。』と答えるやいなや、その姿は立ち消え、しばらくすると巽(東南)の方角から風が吹き始め、雨が降り始めた。この降雨のおかげで草木は蘇生して五穀豊穣となり、疫病もおさまった。天皇は車臨を賞して左大臣の位を授けると共に、当地を下賜して大国主命を奉斎せしめた。
 同十五年九月、丹波国穴太郷より五媛の宮を奉遷して配祀神とした。その後、称徳天皇の御代の神護景雲元年(767)、勅を奉じて当地に来た従五位上佐位釆女が、大国主命を国の造神と號し、渕名荘三十六郷の総鎮守として当社の社殿を修造した。
 光格天皇の文化元年(1804)現在の社殿に改築し、明治七年には熊谷県北第十六第区の佐位・那波両郡四十二ヶ村の郷社に列せられた。さらに、同四十年三月二十五日、無格社御手洗神社、八坂神社を合祀して今日に至る。
【古老の伝説】
 当神社は古くは五護之宮、五后之宮とも称され、また第五姫大明神と世俗に言われているのは、垂仁天皇の十五年九月、丹波国穴太郷より日葉酢媛命(ひはすひめのみこと)・淳葉田瓊入媛命(ぬはたにいりひめのみこと)・真砥野姫命(まとのひめのみけと)・薊瓊入媛命(あざみにいりひめのみこと)・竹野媛命(たかのひめのみこと)の五姫の宮を奉遷して配祀神としたためと伝えられ、『第五姫大明神』と書かれた古い額面が現存している。」


 普段は無住の神社になります。延喜式内社なのに残念です。

 一の鳥居になります。
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 先に進みます。
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 4月3日に参拝しましたので「春祭」が行われました。
 境内の桜が満開でとても綺麗です。
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 社殿になります。
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 社殿には、大黒天と恵比寿天の描かれた絵馬が掲げられていました。
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 なかなか福々しい笑顔になります。

 境内社として「渕名天満宮」が鎮座していました。。
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 「菅原道真公」を祭神としています。

 春祭でしたので授与所が開いており、御守りが頂けました。一体500円です。御神札は、一体500円と1,000円がありました。





神社名:大國神社(おおくにじんじゃ)
鎮座地:群馬県伊勢崎市境下渕名2827番地
主祭神:大国主命
配祀神:日葉酢媛命 淳葉田瓊入媛命 真砥野姫命 薊瓊入媛命 竹野媛命 罔象女命 素盞鳴命
社格等:延喜式内社 上野国五宮 旧郷社 

高城神社(埼玉県熊谷市宮町)5

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埼玉県熊谷市の中心部、熊谷市役所からも近いところに神社は鎮座しています。

 最寄り駅は、JR高崎線「熊谷駅」になります。

 自動車は、境内に数台停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県熊谷市宮町の旧県社。延喜式内社。祭神は高皇産霊尊。
 縁結びや安産の信仰がある。
 春季例祭が4月10日、秋季大祭が10月1日から3日。
 崇神天皇朝の創祀と伝える。天正十八年(1590)の秀吉の小田原攻めにより社殿は焼失したが古祠への崇敬が続き、寛永十六年(1639)に忍城主の阿部筑後守忠秋が再興をはかり、子の播磨守正能が御蔵屋敷舗から現社地に遷した。」


 熊谷市の中心部にありますが、小ぢんまりした感じはしませんでした。
 鳥居です。
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 手水舎になります。
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 御神木でしょうか?
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 狛亀でしょうか?
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 社殿になります。
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(´人`)

 戦国時代にあった豊臣秀吉の忍城攻めの際にこちらの神社は、焼失したようです。
 その後再建されました。

 以前、仏滅の日に参拝したら社務所は閉まってました(・ω・)

 御朱印あり。




神社名:高城神社(たかぎじんじゃ)
鎮座地:埼玉県熊谷市宮町2‐93
祭 神:高皇産霊尊
社格等:延喜式内社 旧県社

金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町二宮)5

埼玉県児玉郡神川町に鎮座する「金鑚神社(かなさなじんじゃ)」に参拝してきました。
旧官幣中社になる神社になります。

駐車場はありました。


こちらの神社の由緒は次の通りです(國學院大学日本文化研究所編 弘文社刊『神道事典』より)。
「〈指定文化財〉多宝塔(重文)、鏡石(特別天然記念物)
〈例祭日〉4月15日 〈神事〉火鑽祭、筒粥神事
〈由緒〉式内社。日本武尊が伊勢神宮において倭姫(やまとひめ)命から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)添えて火鑽金(ひきりがね、火打ち石)を賜り、この剣で賊を打ちはらい、火を放って退治した。日本武尊は東国を平定した帰路、火鑽金を御室岳に鎮め、天照大神と素盞嗚尊を祀ったと伝えられ、本社はこの山を神奈備として本殿を設けない。
 『延喜式』では明神大社に列し、児玉郡の総鎮守、武蔵国二の宮として崇敬され、一社相伝の金鑚神楽獅子舞が伝承されている。
〈旧社格〉官幣中社(明治十八年)」


埼玉県さいたま市の中の旧大宮市に鎮座する「大宮氷川神社」を一ノ宮とすると、こちらの神社は「二ノ宮」になるそうです。

鳥居になります。
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社号標になります。
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先に進みます。

二の鳥居になります。
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こちらが多宝塔になります。
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先に進みます。

こちらが社務所です。
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こちらで授与品や御朱印を頂きます。

先に進みます。

鳥居があります。
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手水舎がありました。
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手と口を漱いで参拝です。

こちらは神楽殿でしょうか?
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こちらが社殿になります。
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(´人`)

後ろを覗きこむと。
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本殿がありません。
御室岳を御神体とするためでしょう。

こちらの建物は何でしょうか?
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境内社でしょうか?

御朱印や授与品は社務所にて。



神社名:金鑽神社(かなさなじんじゃ)
鎮座地:埼玉県児玉郡神川町二宮750番地
祭 神:天照大神 素盞嗚尊
配 祀:日本武尊
通 称:二宮さま
社格等:延喜式内社(明神大社) 官幣中社 武蔵国二宮(五宮) 児玉郡総鎮守

十番稲荷神社(東京都港区麻布十番)5

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東京都港区に鎮座する「十番稲荷神社」に参拝してきました。
最寄り駅は、都営大江戸線・東京メトロ南北線「麻布十番駅」になります。
麻布十番駅7番出口を出て、右側に神社はありました。


こちらの神社の由緒は、次の通りです。
「十番稲荷神社は、もと末広神社(旧坂下町鎮座)および竹長稲荷神社(旧永坂町鎮座)です。両神社は、昭和20年4月15日に戦災に遭い焼失、昭和25年6月復興土地区画整理により、両社境内地を現在地に換地、隣接指定されました。その後両社は合併して社名を十番稲荷神社と改称し、平成9年3月29日、現社殿に建て替えられました。

<末広神社由緒>
慶長年間(1596〜1615年)に創建され、元禄4年(1691年)には坂下東方雑式に鎮座していましたが、同6年永井伊賀守道敏が寺社奉行の時、坂下町41の社域に遷座されました。往古より境内に多数の柳樹があ
り、「青柳稲荷」と称されていましたが、後にその中の一樹の枝が繁茂して、扇の形をしていたことから「末広の柳」とよばれるようになり、社名に冠されて末広稲荷と称されました。その後、明治20年4月に末広神社と改称されました。

<竹長稲荷神社由緒>(たけちょういなりじんじゃ)
創建は定かではありませんが、一説には和銅5年(712年)とも、弘仁13年(822年)に慈覚大師の八咫の神鏡を以て武蔵国豊島群竹千代丘(今の鳥居坂上)へ稲荷大神を勧請したとも伝えられています。延喜式内社の稗田神社と目されており、少なくとも10世紀初頭には鎮座していた古社と考えられます。その後、弘安2年(1279年)に鳥羽氏が社殿を再建、そして寛永元年(1624年)3月に永坂町に遷座されました。」

麻布十番にありました。
大通りに面しています。

御朱印は、授与所で頂きました。





神社名:十番稲荷神社
鎮座地:東京都港区麻布十番一丁目4‐6
祭 神:倉稲魂命 日本武尊 市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命
旧社格:式内社
札所等:港七福神 宝船
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