群馬県太田市に鎮座する「世良田八坂神社」に参拝してきました。
群馬県太田市の南部、伊勢崎市に近いところに神社は鎮座していました。
最寄り駅は、東武伊勢崎線「世良田駅」になります。
徒歩では、約15分位はかかりそうです。
駐車場は、鳥居前にありました。
こちらの神社の由緒は、次の通りです(案内板より)。
「八坂神社の創建は明らかでないが、縁起によれば新田氏代々の崇敬社であり、織田信長も同社を崇拝し社殿を修造したという。
また尾張国(愛知県)津島天王社の分霊を移したとも伝える。
これは世良田政義の娘と南朝の王子尹良親王との間に出生した良王が、津島天王社の神主となったという故事によるものであろう。
『永禄日記』(長楽寺蔵)の永禄八年(1565)六月七日の条に、『天王祭ヲイタス』とあり、古くは『牛頭天王』を祀る天王社であった。
江戸時代は神宮寺(大正二年普門寺へ合併)が奉仕し、世良田・女塚・境・三ツ木・粕川村など五ヶ村の鎮守であったが、明治初年さらに平塚・村田村・木崎宿などが加わり、二十四ヶ村の郷社とされ、八坂神社と称した。
当社は、農業・疫病除けの神として広く信仰されている。
特に夏祭は『世良田祇園』として知られ、かって十一台の屋台が繰り出して競う祇園ばやしは、夜空にこだまして絢爛幻想の世界を現出し、関東の三大祭の一つに数えられた。
近年は交通事情により祭りの規模は縮小されているものの、村人により祭り屋台・囃子が良く保存されており、神輿の渡御などに『世良田祇園』の伝統が受け継がれている。」
国道354号線から少し北へ行ったところに神社は鎮座しています。
こちらは鳥居になります。
木造のようです。
こちらは手水舎になります。
手と口を漱いで参拝です。
境内は静かになります。
こちらは案内板になります。
由緒が記されています。
境内には入ると正面には社殿が鎮座しています。
(´人`)
社殿は、織田信長が造営を命じたとも伝えられていますが、どうなんでしょうか?
こちらが本殿になります。
なかなか立派です。
境内の右側には、神楽殿がありました。
どんな神楽が舞われるのでしょうか?
大きな舞台もありました。
こちらでも神楽が舞われるのでしょうか?続きを読む
群馬県太田市の南部、伊勢崎市に近いところに神社は鎮座していました。
最寄り駅は、東武伊勢崎線「世良田駅」になります。
徒歩では、約15分位はかかりそうです。
駐車場は、鳥居前にありました。
こちらの神社の由緒は、次の通りです(案内板より)。
「八坂神社の創建は明らかでないが、縁起によれば新田氏代々の崇敬社であり、織田信長も同社を崇拝し社殿を修造したという。
また尾張国(愛知県)津島天王社の分霊を移したとも伝える。
これは世良田政義の娘と南朝の王子尹良親王との間に出生した良王が、津島天王社の神主となったという故事によるものであろう。
『永禄日記』(長楽寺蔵)の永禄八年(1565)六月七日の条に、『天王祭ヲイタス』とあり、古くは『牛頭天王』を祀る天王社であった。
江戸時代は神宮寺(大正二年普門寺へ合併)が奉仕し、世良田・女塚・境・三ツ木・粕川村など五ヶ村の鎮守であったが、明治初年さらに平塚・村田村・木崎宿などが加わり、二十四ヶ村の郷社とされ、八坂神社と称した。
当社は、農業・疫病除けの神として広く信仰されている。
特に夏祭は『世良田祇園』として知られ、かって十一台の屋台が繰り出して競う祇園ばやしは、夜空にこだまして絢爛幻想の世界を現出し、関東の三大祭の一つに数えられた。
近年は交通事情により祭りの規模は縮小されているものの、村人により祭り屋台・囃子が良く保存されており、神輿の渡御などに『世良田祇園』の伝統が受け継がれている。」
国道354号線から少し北へ行ったところに神社は鎮座しています。
こちらは鳥居になります。
木造のようです。
こちらは手水舎になります。
手と口を漱いで参拝です。
境内は静かになります。
こちらは案内板になります。
由緒が記されています。
境内には入ると正面には社殿が鎮座しています。
(´人`)
社殿は、織田信長が造営を命じたとも伝えられていますが、どうなんでしょうか?
こちらが本殿になります。
なかなか立派です。
境内の右側には、神楽殿がありました。
どんな神楽が舞われるのでしょうか?
大きな舞台もありました。
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