神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

山岳信仰

金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町二宮)5

埼玉県児玉郡神川町に鎮座する「金鑚神社(かなさなじんじゃ)」に参拝してきました。
旧官幣中社になる神社になります。

駐車場はありました。


こちらの神社の由緒は次の通りです(國學院大学日本文化研究所編 弘文社刊『神道事典』より)。
「〈指定文化財〉多宝塔(重文)、鏡石(特別天然記念物)
〈例祭日〉4月15日 〈神事〉火鑽祭、筒粥神事
〈由緒〉式内社。日本武尊が伊勢神宮において倭姫(やまとひめ)命から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)添えて火鑽金(ひきりがね、火打ち石)を賜り、この剣で賊を打ちはらい、火を放って退治した。日本武尊は東国を平定した帰路、火鑽金を御室岳に鎮め、天照大神と素盞嗚尊を祀ったと伝えられ、本社はこの山を神奈備として本殿を設けない。
 『延喜式』では明神大社に列し、児玉郡の総鎮守、武蔵国二の宮として崇敬され、一社相伝の金鑚神楽獅子舞が伝承されている。
〈旧社格〉官幣中社(明治十八年)」


埼玉県さいたま市の中の旧大宮市に鎮座する「大宮氷川神社」を一ノ宮とすると、こちらの神社は「二ノ宮」になるそうです。

鳥居になります。
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社号標になります。
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先に進みます。

二の鳥居になります。
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こちらが多宝塔になります。
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先に進みます。

こちらが社務所です。
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こちらで授与品や御朱印を頂きます。

先に進みます。

鳥居があります。
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手水舎がありました。
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手と口を漱いで参拝です。

こちらは神楽殿でしょうか?
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こちらが社殿になります。
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(´人`)

後ろを覗きこむと。
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本殿がありません。
御室岳を御神体とするためでしょう。

こちらの建物は何でしょうか?
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境内社でしょうか?

御朱印や授与品は社務所にて。



神社名:金鑽神社(かなさなじんじゃ)
鎮座地:埼玉県児玉郡神川町二宮750番地
祭 神:天照大神 素盞嗚尊
配 祀:日本武尊
通 称:二宮さま
社格等:延喜式内社(明神大社) 官幣中社 武蔵国二宮(五宮) 児玉郡総鎮守

三夜沢赤城神社 御神札(群馬県前橋市三夜沢町)5

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群馬県前橋市にある「三夜沢赤城神社」に参拝してきました。
旧県社になります。

群馬県前橋市の北部、旧宮城村に神社は鎮座していました。

以前の参拝日記⇒三夜沢赤城神社(群馬県前橋市)


こちらの神社の由緒は、次の通りです(境内の案内板より)。
「赤城神社は東国開拓の神々が祀られている古来の名社である。
東国経営にあたった上毛野君の創祀以来 国司 武将が篤く崇敬し朝廷からも承和六年(839年)に従五位下を賜られ 元慶四年(880年)に従四位上にあげられ 延喜式には名神大社に列せられた 長元九年(1028年)頃には正一位に叙せられ 次いで 上野国の二宮とうやまれていた赤城山は高く 美しく うしろに山々をひかえて 雄然と聳えている
山頂の小沼から出る粕川を始め各河川は麓の村々をひろくうるほしている その尊厳と恩恵とはみ山とよはれ親しまれ尊はれ上毛野君の昔から祀りつかれて来た分社は群馬県下のみで七十八社その他を併せると三百余社に及ぶ 昭和十九年(1944年)には国幣中社に昇格の内定があったが 終戦後は国土建設 開拓精神発揚のため 神威益々顕著である」


こちらの神社は、赤城山をご神体とする「山岳信仰」の神社になります。
赤城山は、上毛三山の一山になります。

鳥居になります。
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二の鳥居だそうです。
木造の鳥居のようですね。

社号標になります。
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境内に入ると、右側には手水舎がありました。
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御神池に手水舎はあります。
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手と口を漱いで参拝です。

境内には、サワラの木がありました。
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結構大きな木です。

参道を進みます。
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右側には、神代文字が書かれた碑がありました。
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こちらが案内板になります。
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参道の左側には、鎌倉幕府三代将軍源実朝が詠んだ歌碑がありました。
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「上野の勢多の赤城のからやしろ やまとにいかであとをたれけむ」と詠まれています。

こちらが狛犬になります。
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結構いかつい顔をしています。

先に進んでいきます。
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こちらが社殿になります。
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「神明造」になります。
「赤城神・大己貴命・豊城入彦命」の三柱が祀られています。

(´人`)

ここまでくると、何だか森の中に来たようです。続きを読む

三夜沢赤城神社(群馬県前橋市)5

群馬県前橋市に鎮座する「三夜沢赤城神社」に参拝してきました。

前橋市の北部、富士見町に神社はありました。

赤城山の中腹に鎮座しているといった感じでした。

鳥居の左側に大きな駐車場がありました。
自動車は、数十台くらいは停められそうです。


こちらの神社の由緒は、以下の通りです。
「赤城神社は東國開拓の神々が祀られている古来の名社である
東國経営にあたつた上毛野君の創祀以来 國司 武将が篤く崇敬し朝廷 からも承和六年(西暦八三九年)に従五位下を贈られ 元慶四年西暦八八〇年に従四位上にあげられ 延喜式には名神大社に列せられた 長元九年(西暦一〇二八年)頃には正一位に叙せられ 次いで 上野國の二宮とうやまわれていた赤城山は高く 美しく うしろに山山をひかえて 雄然と聳えている
山頂の小沼から出る粕川を始め各河川は麓の村〃をひろくうるほしている その尊厳と恩恵とはみ山とよはれ親しまれ尊はれ上毛野君の昔から祀りつかれて来た分社は群馬県下のみで七十八社その 他を併せると三百余社に及ぶ昭和十九年(西暦一九四四年)には國幣中社に 昇格の内定があつたが 終戦後は國 土建設 開拓精神発揚のため 神威 益々顕著である」

こちらが鳥居になります。
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木製の鳥居のようです。
かなり大きいです。

こちらが社号標碑になります。
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旧県社になります。
また、上野国の二ノ宮にあたる式内社の神社になります。
大洞赤城神社と二宮赤城神社も式内社で二宮ですが、どうなんでしょうか?

こちらが由緒が書かれた案内板です。
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参道を進んでいきます。
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こちらが手水舎になります。
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池の中にあるといった感じです。
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鯉が泳いでました。

参道を進んでいきます。
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歌碑がありました。
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鎌倉幕府三代将軍源実朝が詠んだ歌です。
「上野の勢多の赤城のからやしろ やまとにいかであとをたれけむ」

こちらが「神代文字」が書かれた碑になります。
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漢字が伝わる前に使われた文字です。
ネットを見ていたら、「神代文字はハングル文字からできている」とふざけた書き込みを見ましたが、全く別の文字ですのであしからず。
案内板です。
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こちらが社殿になります。
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神明造でしょうか。

こちらの神社は、赤城山の中腹に位置していますので、森の中に居るといった感じでした。
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境内には、御神水を持ち帰る方々が多くいらっしゃいました。続きを読む

黒髪山神社(群馬県榛東村)3

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群馬県榛東村に鎮座する「黒髪山神社」に参拝してきました。

高崎市の北にある自衛隊の演習場の近くに鎮座しています。

「井戸尻」という交差点の近くにある、溜め池の反対側に神社の看板と鳥居がありました。

これといった最寄り駅はないので、自動車で行かれた方が良いかもしれません。

駐車場は見当たりませんでした。
自動車は、鳥居前に2台位は停められそうです。

こちらの神社は、上毛三山の一つ榛名山にある「相馬山」を御神体とする山岳信仰の神社になります。
相馬山は、別名「黒髪山」というため「黒髪山神社」という神社名になったようです。

上毛新聞社刊「上州のお宮とお寺 神社篇」には、以下が書かれていました。
「相馬山には、日本武尊が、東夷征伐の時に登ったという伝説もあります。
また尭恵も北国紀行に
たが袖の秋の別れか櫛の歯の 黒髪山ぞなまくしぐるる
と詠んでいます。
黒髪山は“くらおかみ”、すなわち雷電の発生する山である。
〈中略〉
この地帯の人達が、この雷に対していただいた恐怖は、われわれの想像以上である。
それと同時に、水源神としての信仰心も認められるのである。
ただし、山に対する信仰心は、山の頂上において礼拝することから発生したものでは無いように思える。
山を仰ぎ見ることのできる所で礼拝ははじまったのである。
いわゆる里宮が先に生まれたと思える。」


また、榛東村役場のホームページには、以下の由緒が掲載されていました。
「相馬山は山岳信仰の霊山として厚く信仰されていた。
しかし、険阻なため老人、婦女子には登拝が困難なため里宮建立の気運が高まり南和十郎ほか地元の有志が発起人となり、山頂に社を造営したのち、明治20年現在地に神道修成派上野祠(黒髪山神社)を完成した。
節分、二年参りなどの祭典には講社によって村内は勿論、前橋、高崎方面からの信者で賑わう。
祭神は大山祇命。」


こちらの神社の周辺は、かなり長閑になります。
しかし、こちらの神社に来る途中に自衛隊の演習場があるため、大きなレーダーが数基あるのが見えました。
何だか周辺の風景に似つかわしくない感じもしましたが、仕方ありません。

こちらの神社は、「群馬名所百選」に選ばれている神社だそうです。
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こちらが鳥居になります。
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右側には、神楽殿がありました。
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境内に入ると「講」と思われる石碑が多くありました。
「光正霊神」・「喜元霊神」・「天流摩夜天宮」と刻まれていました。どのような「講」なのかは、全くわかりませんですし、あえて調べません。興味もないですし・・・

また、手水舎の隣にも「講」のものと思われる石碑が多くありました。
何だか異様な感じもしましたが・・・
その碑の写真を撮る気がおきませんでした。

唯一撮ったのが「御嶽山神社」の碑です。
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いわゆる「御嶽教」の講の碑でしょうか・・・
社殿の左側にありました。

参道を進んでいきます。
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石段を上がり左側には、赤松がありました。
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ずいぶん立派です。

先に進んでいきます。続きを読む

産泰神社(群馬県前橋市)3

群馬県前橋市に鎮座する「産泰神社(さんたいじんじゃ)」に参拝してきました。

前橋市の東部に神社はありました。

駐車場は、鳥居の右側、また参道の左側にありました。
自動車は、かなりの台数が停められそうです。

こちらが鳥居と神門になります。
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なかなか立派な神門です。

神門の左右にいらっしゃいました。
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神門には、「正一位産泰大神宮」との扁額が掲げられていました。
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古そうな扁額です。


説明板によると
『この神社の創建は、社伝によれば履中元年とされているが定かでない。しかし、社殿背後に壘々としている巨石群から、神社信仰の初現形態の一つである巨石崇拝にその起源があるとみられ、歴史の古さがしのばれる。
安産を祈る者が、軽くヌケル(生れる)ようにと底を抜いたヒシャクを奉納するようになったのは、江戸時代以降のことで、前橋、伊勢崎などをはじめ県下一円の人々から、安産の神として篤い信仰を受けた。特に、前橋藩主酒井雅楽頭は、社殿の造営をするなどその信仰著しいものがあった。
酒井氏の造営になった社殿は、多くの彫刻で飾られ、内部格天井には、酒井抱一が描いたとされる極彩色の花鳥図もある。数ある社宝のうち八稜鏡は、平安時代のもので、前橋市の重要文化財に指定されている。
また、四月十八日例祭の際に奉納される太々神楽も前橋市の重要無形文化財に指定されている。』


こちらの神社は、「山岳信仰」や「安産子育ての信仰」の神社のようです。

社殿になります。
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「入母屋造り」になり、彫刻が素晴らしいです。

幣殿と本殿です。
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本殿です。
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本殿の真裏です。
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彫刻が素晴らしいです。

また、社殿の後方には「産泰磐座(いわくら)」がありました。
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赤城山が噴火した時の火砕流が原因の巨石がありました。
巨石崇拝や山岳信仰に基づくものだと思われます。
一説には、巨石があることからこちらの神社が「赤城神社の里宮」ではないかとも言われています。
神社専用の駐車場からは「赤城山」が見えますので現実味があります。
また、こちらの神社から南下した所には「二宮赤城神社」が鎮座しています。

境内には「安産子育て戌」がありました。
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何だか可愛らしいです。
やはり、「木花咲耶比売命」を主祭神とするだけあります。続きを読む
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