神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

如意輪観音

神齢山 悉地院 大聖護国寺(東京都文京区大塚)5

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東京都文京区にある真言宗豊山派に属する寺院になります。

最寄り駅は、東京メトロ有楽町線「護国寺駅」になります。
一番出口から徒歩ではすぐです。

駐車場はあります。
しかし、参拝者用なのか職員や檀家用なのかがわかりません。


こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京都文京区大塚にある真言宗豊山派の寺院。神齢山悉地院。本尊は如意輪観音。
 天和元年(1681)徳川綱吉が生母桂昌院のために、桂昌院が、前々から祈祷を行わせていた上野国大聖護国寺の元住持亮賢を召し、高田薬草園の地を与えて建立させ、桂昌院の念持仏如意輪観音を安置したのに始まる。
 桂昌院の存命中は、その由来から桂昌院の祈願寺だったが、元禄半ばから将軍家の祈祷も勤め、宝永二年(1705)の桂昌院没後は将軍家の祈祷を専らとした。
 寺領は千二百石。
 亮賢と桂昌院は隆光とともに綱吉に生類憐みの令をすすめたとされるが確かな根拠はない。
 享保二年(1717)、炎上した将軍家祈祷寺の護持院が、幕府命で、当寺の本坊に移されると、従来の観音堂(本堂)や大師堂等の境域を護国寺と称するようになったが、その年からの六年間と宝暦八年(1758)以降は護持院の兼帯とされた。
 明治二年(1869)に護持院が廃寺となると、その遺構を引きつぎ近代寺院として再出発した。
 墓域には近代以降の著名人の墓が多い。」

また、東京堂出版「古寺名刹大辞典」によると次の通りです。
「東京都文京区大塚5‐80‐8。神齢山悉地院大聖護国寺と号す。真言宗豊山派の関東における中心となる大寺(大本山)で、東京・小石川の音羽にあることから、音羽の護国寺の名前で知られている。しかし、寺の歴史は新しく、まだ300年ほどにすぎない。徳川五代将軍の綱吉とその生母桂昌院が帰依した亮賢和尚が開基となり、将軍と母公が願主となって天和元年(1681)にひらかれた。
 これと並んでさらに広大な規模で神田御門外に護持院が柳沢吉保を奉行とし将軍母子によってつくられたが、これは享保二年(1717)に焼失し、八代将軍吉宗の緊縮政策はこれの再興をゆるさず、護国寺を護持院と改めさせ、境内の観音堂を護国寺と改めさせてしまった。しかし、この変則的な関係は、明治に入って終止符がうたれ、両寺は合併されて、護国寺の名のみがのこることになった。
 現在の本堂は、元禄十一年(1698)に建立したもので大きさは方七間、重文である。ほかに桃山建築の月光殿がある。これは園城寺の塔頭を移築したものである。その他、内仏堂、大師堂、薬師堂、鐘楼堂、本坊、山門、仁王門、孔雀門等がある。また寺の裏山にある儒者の墓(史跡)が有名で、江戸時代の学者ばかりが40墓以上も存在する。境内には、鈴木学術財団の事務所や、豊山派の会館などもおかれており、関東におけるもっとも活発な寺院の一つである。かつての童謡の会『音羽ゆりかご会』は盛大なものがあった。
 開基の亮賢の後継者が、有名な隆光僧正である。隆光僧正は、将軍綱吉に献策して犬保護を主とする『生類憐れみの令』を出した張本人としてだけ知られているが、実際は将軍の帰依に価する傑僧で、関東真言の再興者であることも忘れてはいけない。護国寺は、まさに隆光僧正と綱吉母子の信仰の記念碑ということができる。」


江戸幕府五代将軍徳川綱吉と生母桂昌院の所縁の寺院になります。

こちらは山門になります。
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寺号標になります。
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さきに進みます。
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石段右側には、富士塚がありました。
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こちらは不老門です。
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境内はとても広いです。
徳川家所縁の寺院は、広い境内をもつ所が多いかもしれません。

境内には「月光殿」があります。
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この建物は、滋賀県にある「長等山園城寺(通称:三井寺、観音堂は西国三十三観音霊場十四番札所)」の日光殿の客殿を移築したものです。
こちらの建物は、国指定重要文化財になっています。

本堂になります。
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桂昌院の念持仏「如意輪観音」を祀っています。
月光殿と同様に国指定重要文化財になっており、とても立派です。

大師堂や地蔵堂もありました。
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大師堂には御府内八十八ヶ所の御詠歌の額が掲げられていました。
地蔵堂には一言地蔵が祀られています。

多宝塔は大日如来が本尊となります。
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なかなか立派な建物です。

こちらに大仏がありました。
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阿弥陀如来でしょうか?

鐘楼堂になります。
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どんな音色なんでしょうか?

御朱印は、本堂内にある納経所で頂けました。御朱印代は300円でした。
御朱印を頂く際に納経をさせていただきました。

御守りや御札といった授与品はありました。




寺院名:神齢山 悉地院 大聖護国寺
所在地:東京都文京区大塚五丁目40‐1
宗 派:真言宗豊山派
寺格等:大本山
本 尊:如意輪観音
通 称:音羽護国寺
札所等:昭和新撰江戸三十三観音霊場 十三番札所
    御府内八十八ヶ所 八十七番札所
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:もろもろの くのうをすくう 観世音 だいひの恵み 尊とかりける

清池山 醫王寺(群馬県太田市小金井町)5

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群馬県太田市の西部、旧新田町に寺院はありました。

駐車場は、門前にありました。


こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗』から抜粋)。
「寺伝によると、醫王寺は正保二年(1645)に中興開山良伝が再建し、真言宗烏山村西慶寺の末寺であった。『生品村郷土誌』によると、創建後久しく廃絶していたが、文政年間(1818〜1830)に再建したとある。
(中略)
 不動明王は、万延元年(1860)に四国霊場四十八番札所西林寺から移したといい、通称黄金身代わり不動尊として今日も人々の信仰があつい。そのため、醫王寺は昭和六十二年(1987)9月に指定された北関東三十六不動尊霊場の第十番である。また、観音堂はかつて宝永五年(1708)4月に堯観によって邑楽・新田・山田三郡にまたがる東上州三十三番札所が創設されたが、醫王寺はその二十一番札所である。」


こちらのお寺には二度目の参拝になります。
前回は「東上州三十三観音霊場」での参拝でした。

以前の参拝日記→こちら
今回は北関東三十六不動尊霊場での参拝です。

こちらが入口になります。
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寺号標になります。
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参道を進みます。
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こちらが本堂になります。
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こちらが不動堂と観音堂になります。
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中には大きな不動明王立像があります。
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太田市指定文化財になっています。

御朱印は、北関東三十六不動尊霊場のものになります。
納経軸に頂きました。
不動明王の御守りまで頂きました。



寺院名:清池山 醫王寺
所在地:群馬県太田市新田小金井町982番地
宗 派:高野山真言宗
本 尊:薬師瑠璃光如来
札所等:東上州三十三観音霊場 二十一番札所
    北関東三十六不動尊霊場 十番札所
    上州新四国八十八ヶ所 五十六番札所
御詠歌:妙なるや 法の蓮の 花咲きて 心の底も すめる小金井

石青山 威徳院 大聖寺(埼玉県比企郡小川町)5

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埼玉県比企郡小川町にある「石青山 威徳院 大聖寺」に参拝してきました。
天台宗に属するお寺になります。

比企郡小川町の国道254号線から南へ行った所にお寺はありました。
道路沿いにはお寺の入り口の看板が出ています。
お寺までは細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけてください。

駐車場は、第一駐車場と第二駐車場がありました。


大聖寺の縁起が書かれた案内板がありました。
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「大聖寺は、天台宗に属し暦応三年(1340)に、この地域の土豪と思われる貞義が希融法印を招請して創建したと伝えられ、本尊は如意輪観音である。
境内にある法華院には、国指定重要文化財の石造法華供養塔(六角石塔婆)が保存されている。六枚の緑泥片岩を組み合わせたもので、塔の高さは1.36mあり、康永三年(1344)の造立ときざまれている。
大聖寺は、『下里観音』あるいは、『子育て観音』という名で、一般に親しまれており、四月二十日。十月二十日の縁日には、たくさんの参詣者が訪れる。
また、江戸時代末期頃から戦前までは、数百組の観音講(女人講)があり、にぎわいをみせたそうです。
本堂奥の高台にある観音堂は、江戸末期の建物で天井の絵は、小川町中爪の細井竹翁のものと伝えられ、当時のこの付近の文化をしのばせるものである。」


名刹になります。

お寺は、山の中腹にあるといった感じでした。

本堂まで行く途中に、「地蔵堂」がありました。
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(´人`)

お地蔵様が祀られています。

こちらが「本堂」です。
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(´人`)

本堂の右後方に「観音堂」がありました。

観音堂までには急な階段を上ります。
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こちらは「男坂」と呼ばれています。。
男性はこちらを上がっていきます。

両側には幟が立っており、信仰が偲ばれます。
「厄除け祈願」とあるので、御祈祷をしていただけるのかもしれません。
詳細は、お電話でご確認下さい。続きを読む

春日岡山 惣宗官寺(栃木県佐野市)2

栃木県佐野市にある「春日岡山 転法輪院 惣宗官寺」に参拝してきました。
天台宗に属するお寺で、「佐野厄除け大師」として有名なお寺です。

佐野市の中心部にお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線・東武佐野線「佐野駅」になります。
徒歩では、10分位かかりそうです。

お寺専用の無料駐車場が周辺にありました。
お寺の前には有料駐車場もありますので、気をつけて下さい。


お寺の由緒は以下の通り(ホームページより抜粋)。
「朱雀天皇の天慶七年(944年)3月、奈良の僧宥尊上人が開いた寺で、最初は日本の仏教で最も古い南都六宗の法相宗に属し、正しくは春日岡山転法輪院惣宗官寺(かすがおかやまてんぼうりんいんそうしゅうかんじ)という。
藤原秀郷公が平将門降伏の誓願により、佐野の春日岡(現在の城山公園)の地に、春日明神の社殿とともにお寺を建て朱雀天皇に申し上げたところ、天皇は大変喜ばれ「春日岡山惣宗官寺」の勅額を賜ったといわれている。
それ以来、藤原一門の信仰あつく栄えたが、平安時代の末期の保元・平治のころには衰えた。

その後比叡山の僧で俊海という人が、父の藤原光憲から「春日岡は、わが祖父である秀郷公の創立した氏寺である。 昔、保元・平治の乱に殿堂が焼けて灰になったが、父の志を継ぎ修行の後にこの山を復興せよ。」このことを深く 心にとどめ、この寺の荒れ果てたことを憂い、正応年間(鎌倉時代)に信徒を集めて、藤原一族および北条一門の 有志とはかり、鎌倉幕府九代執権北条貞時をさとして、永仁五年(1297年)8月に復興完成し、これ以後「法華経」を所依の経典とし、伝教大師を宗祖と仰ぐ天台宗となる。
その後十二世の僧豪海のときに慶長七年(1602年)、秀郷公から30代の佐野信吉公が、幕命により唐沢城をこの春日岡(城山公園)に移すにあたり、寺は現在地に移転した。
徳川時代には御朱印五十石を拝領し、寺社奉行も置かれ、三代将軍家光公も参拝する等徳川幕府との縁故も深い。
また当山は、厄よけ元三慈恵大師(御本地・如意輪観音)を安置し、厄よけ、身体安全の祈願を続けており、年毎に信者が激増し、正月大祭には約百万人以上の参拝客を仰いでいる。」


こちらが山門でしょうか?
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土曜日に参拝したので、参拝客はとても多かったです。

入って目に付くのが、こちらの鐘楼です。
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信者と書いて「儲かる」と読みますが、この鐘を見るとそう思います。

山門を入り、左側お片隅には、「春日稲荷大明神」がいらっしゃいました。
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いわゆるダキニ天を祀ってあると思われますが、開山と深く関係があるようです。
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説明板がありました。
ふむふむ。

こちらが「東照宮」です。
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「佐野東照宮」と呼んでいいのでしょうか?
こぢんまりしています。
神仏習合的でしょうか、おそらくは徳川家康公が久能山から日光山へ改葬される際にこちらのお寺で一時的に休息したのかもしれません。
それが故に、東照宮が勧請されたのかもしれません。
もしかすると、こちらはお寺の境内にあるので「東照宮」というよりも東照神君の本地仏にあたる「薬師如来」が祀られているのかもしれませんね。
つまり「薬師堂」かもしれません。

こちらが地蔵堂です。
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小僧さんがいらっしゃました。
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可愛らしいです。続きを読む

寺岡山 薬師寺(栃木県足利市)5

栃木県足利市にある「寺岡山 施薬院 薬師寺」に参拝してきました。
「寺岡山元三大師」として知られ、天台宗のお寺になります。

足利市の東部、佐野市に近いところにお寺はありました。

駐車場は、山門前にありました。
自動車は、数十台位は停められそうです。

最寄り駅は、JR両毛線「富田駅」になります。
徒歩では、約15分になります。

お寺までの道は、とても狭いので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。

以前の参拝日記は⇒こちら


お寺の由緒は以下の通りです(ホームページより抜粋)。
「近年、寺岡の元三大師として知られる当山の正式名称は、寺岡山施薬院薬師寺と号す。
寺伝によると、聖徳太子の命よって建立され、『下野八薬師』と称されていたと伝えられている。
元文年間(江戸時代)東山天皇の第三皇子、崇保院宮前天台座主准三后一品公寛法親王が、上野東叡山寛永寺(輪王寺門跡第六世門主)をされていた時、足利市寺岡町出生の亀田庄左衛門則重公が、永年身命を賭しての忠節を認められ、【 日本に3幅 しか現存しない】元三慈恵大師尊影御真筆を拝領する。
その後、自家に安置して礼拝恭敬していた所、『困窮の人、救済すべし』という元三大師自らのお告げを受け、元三慈恵大師尊影御真筆を寺岡山施薬院薬師寺(後の寺岡山元三大師)に奉納するに至る。
以来、寺岡山薬師寺は寺岡山元三大師として厄除け・商売繁盛の祈願寺として江戸の人々の信仰を受ける。
檀家をとらず、祈願寺のみの寺院として歩んできた経緯には、当時の栄華と信仰の顕れが伺える。
また頃を同じく(江戸期)、祈願寺として人々の信仰を集めていたのが川崎大師、西新井大師である。
当山の境内には、皆様の憩いの場となる様、四季折々の花を咲かせ、特に萩の季節は見事であり、近年に於いては、『下野の萩の寺』として称讃を賜っている。」


山門になります。
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さほど大きくはありません。

山門の扁額です。
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山門を入り、石段があります。
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正面には本堂があります。
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元三大師が祀られています。
合わせて本地仏の「如意輪観音」も祀られています。

また、石段を上がった左側には「開山塔」と呼ばれる宝塔がありました。
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足利市指定文化財になっています。続きを読む
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