まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

大物主命

国領町琴平宮(群馬県前橋市国領町)5

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 群馬県前橋市の中心部から少し北に神社は鎮座していました。

 自動車は境内に停められますが、月極め駐車場と兼ねているみたいで・・・


 こちらの神社の由緒は、次の通りです。
「国領町琴平宮の歴史
 祭神 大物主神 大山祇神
 創建年月は不明である古くは金刀比羅宮と書き金毘羅、金比羅大権現と称した。
 慶長六年(1601)に徳川家康の命令で酒井河内守重忠が川越城主から厩橋城主に代った時、当社に家臣をつかわして着城奉告祭を行ない以後酒井氏が代々崇敬してきた神社である。
 徳川家綱が征夷大将軍に任ぜられた時、厩橋城主酒井忠清(四代城主 大老下馬将軍といわれた)が家綱に代り京都の朝廷へお礼に出向いた折り、道中の安全祈願をして大任を果たした。帰城後六歌仙の額を献じて奉賽祭(お礼参り)を行なっている。慶安四年八月(1651)のことである。
 その後寛延二年(1749)に、松平大和守某が姫路から厩橋城主として移ってきた時も着城奉告祭を行ない前の酒井氏と同様に篤く崇敬した。
 また当社は庶民の信仰を集め旅立ちにあたり道中無事を祈願する人が多く、文化文政の頃(1804〜1830)は広瀬川の舟の往来が盛んで沿岸住民からの奉額等がずいぶんあったようである。
 文化八年(1811)には手水舎と鉢の寄進。文政十二年(1829)と天保三年(1832)にはそれぞれ立派な燈籠が一対ずつ奉納されている。
 天保十一年6月(1840)には、社殿お建て替えがなされた。当時の世話人は、島田専兵衛、井下清七他十名の前橋の名主たちであった。
 当社が道中安全旅の神様として人々から信仰され隆盛であったのは文化・文政・天保・弘化の頃(1804〜1847)で毎月九・十両日特に十月の大祭には参拝の人々が列を作り広瀬川にかかる厩橋を経て細ヶ沢かた当社に通ずる道筋は露天商が連なり遠くは利根・吾妻・新田・佐波・多野・甘楽にわたる広い地域からも集り境内には小屋掛け舞台を設けて諸芸を演じ、一隅の土俵では、氏子連の奉納角力があり近郷近在きっての、にぎやかなものであったという。
 規模こそ壮大ではなかったが、長い歴史と共に生きてきた大木に囲まれて、人々に親しまれ静かな憩いの場であった琴平宮は、太平洋戦争中昭和二十年八月五日前橋大空襲の折りに社殿やゆかりの品々と共に焼失し、往時をしのぶよすがとてないのは、まことに惜しまれる。
 現社殿は昭和三十三年建立。境内は区画整理の為およそ三分ノ一の広さに縮小された。境内には二社があったが、現存するのは、稲荷神社(百十年前に川越町奉行所内から移築)のみで他は定かでない(淡島神社もあった)
 昭和四十九年十月」



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 境内は狭く、社殿自体も大きくはありません。
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 社殿左側には「北野稲荷神社」が鎮座しています。
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 昭和四十九年(1974)に氏子さんにより作られた案内板によると、110年前に川越町奉行所内からの遷座だそうなので、文久四年or元治元年(1864)に松平大和守直克時代に勧請かと思われる。当然祭神は倉稲魂命でしょう。
 遷座当時は松平大和守直克はまだ川越城主、文久三年(1863)に前橋城を再築城を幕府に願いで、慶長四年(1867)に前橋城主に返り咲いている。

 御朱印は、前橋東照宮にて書き置きが頂けます。初穂料300円です。




神社名:国領町琴平宮
鎮座地:群馬県前前橋市国領町一丁目1‐18
祭 神:大物主神 大山祇神
社格等:旧村社

虎ノ門金刀比羅宮(東京都港区虎ノ門)5

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 東京都港区の官庁街の少し南に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、東京メトロ銀座線「虎ノ門駅」になります。2番出口を出て神社までは徒歩1分はかかりません。

 駐車場は見当たりませんでした。自動車で行かれる方は、周辺の有料駐車場をご利用ください。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京都港区琴平町の旧府社。祭神は大物主命・崇徳天皇。例祭は10月10日。
 元旦と1月10日の初金比羅には開運御守を授与する。
 万治三年(1660)に丸亀藩主の京極高知が讃岐の金刀比羅大神を藩邸に勧請し、虎ノ門金毘羅大権現と称した。
 招福・除災の神として信仰が厚く毎月10日は群参があった。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「東京都港区芝琴平町。旧府社。祭神には大物主神・崇徳天皇を祀る。虎門金比羅宮とも呼ぶ。
 讃岐より、もと丸亀藩主京極家の邸内に勧請し、のちに独立して明治六年(1873)府社に列する。
 除災招福の尊信きわめて篤い。
 例祭10月10日。」


 ビルの谷間に神社は鎮座していました。
 鳥居になります。
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 社号標になります。
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 鳥居をくぐると、右側には由緒が書かれた案内板と広告の案内板がありました。
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 手水舎になります。
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 手と口を漱いで参拝です。

 右側には、神楽殿と思われる建物がありました。
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 平日に参拝しましたが、境内に置かれた椅子にはサラリーマンが休憩してました。

 二の鳥居になります。
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 文政四年(1821)10日に奉納された明神鳥居になり、港区指定有形文化財・建造物になるそうです。

 お百度石がありました。
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 往年の信仰が偲ばれます。何人の人が願掛けしたのでしょうか。

 こちらが社殿になります。
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(´人`)

 結神社になります。
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 由緒書きによると「女性たちは、この結神社の前で自らの黒髪を一部切り取り、或いは折り紙を持参し、社殿の格子や回りの木々にそれを結わい付け良縁を願い成就させた。」ことが記載されていました。

 隣には、喜代住稲荷神社になります。
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 祭神は、倉稲魂命になると思われます。いわゆる商売繁盛でしょうか。

 こちらが授与所兼社務所になり、御朱印や授与品が頂けます。
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 オリジナル御朱印帳がありました。
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 初穂料は1,500円(御朱印代込み)になります。
 由緒書きは、頂きたい旨を告げると頂けました。無料になります。
 御守りや御神札といった授与品はありました。





神社名:虎ノ門金刀比羅宮
鎮座地:東京都港区虎ノ門一丁目2‐7
祭 神:大物主神
相 殿:崇徳天皇
社格等:旧府社
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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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